江戸時代の版画に書かれた古文の意味解釈

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代の版画に書かれた文の意味解釈について、具体的な部分で分からない箇所があります。特に、「累から五節供を遣ひ」という表現について、意味を知りたいです。
  • 江戸時代の版画には古文が多く使用されていますが、その中には意味が分からない箇所もあります。例えば、「累から五節供を遣ひ」という表現は何を指しているのか、よく分かりません。
  • 江戸時代の版画に書かれた古文の中には、意味が分からない部分もあります。例えば、「累から五節供を遣ひ」という表現はどのような意味を持っているのでしょうか。
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江戸時代の版画に書かれた古文の意味解釈

知り合いの留学生が研究で江戸時代の版画を扱っているのですが、下記に書いた文の一部がわかりにくいので教えて欲しいと言われました。が、私もよく分からないので、皆さんのお知恵を拝借させてください。 「また、蓬高く鼻低く、累から五節供を遣ひ、てんと牡丹餅の舞台顔ときている不器量の女も、心立てがよければ、胸の鏡には楊貴妃、小町の如き美しき姿が写る.人は見目より唯心とは此事也」 分からないのはこの文の中の「累から五節供を遣ひ」の部分だそうです。 累は”かさね”と読み醜女で、五節供は五つの節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)、つかいは節供の供物を神に捧げ、邪気をはらう。彼女はこのように解釈していますが、前後は容姿について述べているので、何かほかの意味もあるのではないかと考えているようです。 ちなみにこれは、江戸時代の版画に書かれた文です。 どうぞよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • staratras
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回答No.1

素人の意見ですが、「累」は怪談「累が淵」に登場する醜女の名前と「かさね餅」(正月の鏡餅)をかけているのではないでしょうか。三月三日の節句に菱餅、五月五日の節句には柏餅をお供えするのは今も一般的ですが、このほか昔は九月九日の節句には栗の子餅を食べるなど、節句と餅とは密接な関係があり、地方によっては現在も節句餅を贈る風習があるようです。そう考えるとこのあとの「てんと牡丹餅の舞台顔」ともつながり易いと思います。 むりやり現代語にすれば「また蓬髪で鼻ぺちゃの、累のような醜女、かさね餅(正月の鏡餅)から始まって節句には(餅を)お供えするが、まるでぼた餅のように不細工な丸い大顔ときている不器量な女も…」見当外れでしたら恐縮ですが…。

magendavid
質問者

お礼

なるほど・・・そういうことですね。 私など「累=かさね」という言葉も、この友人(外国人)に教えられたくらいで、全くお恥ずかしい限りです。 早速、staratrasさんの説き方を、彼女に伝えさせていただきます。 ありがとうございました!

その他の回答 (1)

noname#217196
noname#217196
回答No.2

かさね(累)は目黒の祐天寺でしられる祐天上人の悪霊祓いで有名になった執念深い怨霊です。利根川図誌に、かさねの祟りと祐天上人の悪霊祓いの実録があります。 さて、五節供は、一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日という同じ奇数一桁が月と日で重なる日の行事として中国から伝わってきました。 徳川幕府の江戸城中行事では、一月一日ではなく一月七日を五節供にかえた模様。 ここは軽くうけとめれば、かさねがさねの洒落ことば。かさねは歌舞伎化作品も数あるので穿って考えれば台詞まわしを引用したか、もじった可能性はあります。日蓮宗で五節供は妙法蓮華経の念仏の五字ですから、不美人の代表かさねから念仏を唱えられる(あらおそろしや、成仏してくれと供養される)ほどの不美人、あのかさねが五節供に供養するほどの不美人という意味かしら。

magendavid
質問者

お礼

累や五節供については彼女別々に意味は調べているようですが、前後との関係で悩んでいるようです。 ありがとうございます。

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