- ベストアンサー
頭とhead
頭という漢字には、動物がもつ「あたま」という意味と「長、リーダー」という意味がありますよね。 headという単語を辞書で調べてみると、同じように「あたま」「長、リーダー」と出てきました。 なぜ違う言語なのに同じ2つの意味を持つのでしょうか? 人間は違う言語を話しても考えることは同じであるということを示しているのでしょうか? 教えてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
多くの原語で、動物のアタマと集団の統率者に対し同じ単語を使う理由は、他の回答者の方が言われるように二つ考えられます。 1.人間の思考過程がどの人種も同じであるから。 2.昔から、各国間、各人種間で交流があり、影響し合っていたから。 どちらが本当の理由であるか.あるいは他にも理由があるか、想像で決めてはいけないと思います。言語学者は、古代からの事例を多く集め、統計学的にも検証しながら結論を導くのです。言語学は、厳密な科学です。偉そうなことを云うつもりはありません。私が識者の方に叱られたので、ここに記しました。事例はインターネットで調べる程度では、いけないとも云われました。 また、言語学の裏付けに、MRIを使用した脳の働き解明も行われているようです。
その他の回答 (3)
- 畑山 隆志(@deltalon)
- ベストアンサー率39% (733/1864)
人は言葉は通じなくても世界中どこへ行っても「表情」は共通しています。(スプライミング) これは言葉でも同じで、目に見える具体的なものであればどこでも似たり寄ったりです。つまりイメージが同じということです。だから翻訳が出来る。 ただ「愛」とか「命」、「時」のように抽象的になると変わっていきます。これは家のように何かの構造を持つ場合、組み立てる材料や組み立てる技術などの違いが最終的な形を変えるように、具体的な言葉一つ一つは似ていても、論理によって組み立てられる時におそらく最終的なカタチ、つまり意味にズレが生じるからでしょう。 例えば「愛」は坪内逍遥訳がでるまで日本では今のような使われ方はされていませんでした。また「時」に関しては独語のZeitは意味の上では英語のtimeですが、文字のカタチは英語のtideに引き継がれています。さらに日本語ではこういう二つの分け方をしていない。(ちなみに小説「ハイペリオン」では量のような時間表現を「時潮」と約している。お見事。) さらに言葉がいろいろな民族のイメージの森を移動するうちに、様々な形になっていくのは用意に察せられるかと思います。個人的には、英語の「fine」の意味の違いがまだ信じられません。
お礼
回答ありがとうございます。 完璧に理解はできていないかもしれません。 申し訳ありません。
- marbleshit
- ベストアンサー率49% (5033/10253)
>人間は違う言語を話しても考えることは同じであるということを示しているのでしょうか? 同じ人間ですから、普遍的な事象に関してはそう言えると思います。 しかし言語的に考察すれば「頭、お頭」と「リーダー、首長」とは何ら差のない定義だと思いますよ。 物事の「中枢」と言う概念で規定すれば 「代表、長、局長、所長、社長、学部長、理事長、委員長、団長、主任、元首、党首、世帯主、長官、ボス、親玉」 もまた然りですね。
お礼
回答ありがとうございます。 申し訳ないのですが難しくて全ては理解できませんでした。 高1なので許してください。
- yoshi20a
- ベストアンサー率20% (470/2291)
そういうこともあるでしょうし、多言語間の交流は今に始まったことではありません。 お互いの言語が影響しあっていくつかの意味を持ち合わせることも珍しくないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 そのような考え方もあるのですね!!
お礼
回答ありがとうございます。 言語学は厳密な科学と知って驚きました。 軽率な行動をしたと反省しています。