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無心と燃え尽き症候群の関係について
- 武道家が究極の無心の状態に至ると、周囲の状況を的確に察知して冷静な応対ができるかもしれない。
- しかし、無心の奥義を会得すると、ヴァージョン更新が困難になり、「燃え尽き症候群」に陥りやすくなる可能性がある。
- 一部の武道家は、武道の研究過程で「燃え尽き症候群」に陥った経験を報告しており、無心と閃きの関係が複雑であるとされている。
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武術は素人です。 可能性のみを記します。 ご存じでしょうが、武道の極意といわれるものに、沢庵禅師が柳生宗矩のために書いたといわれる不動智神妙録が知られています。 剣禅一如の立場から説かれた、無心の奥義のようにも思われます。 そこには精神の集中の有り方において、一点にこだわってはいけない、というような事が書いてあります。 五感と意識による集中は、逆に隙を与えてしまう、といったものだと思います。 五感によって得た情報をもとに、瞬間的に直観の働きが、どのような動作をもって対応するのか照合・選択しているのだと思われますが この場合、意識的に、直観の働きは五感の働きに拘束されている状態です。 直観の働きをこのように集中的に限定してしまえば、五感で感知しうる一定の範囲の対象には有効ではあるが、その範囲外には無防備になりやすい状態に陥ります。 直観の働きを五感から解放して無限大に活用する、といった事が必要だといっているのかもしれません。 直観そのもの働きにより、五感を通さずに、直接に感知することが出来れば、すべてに対応できる、というものなのでしょう。 直観の働きを五感に結びつけた集中も出来れば、五感から切り離した集中も、自由にできなければいけない、といったものなのでしょう。 これらの精神集中の方法は、正に禅的なものです。 五感によらず、直観によって五感以上のものを感知しようとするものです。 そこには、次に起こる事をも感知できる、といった可能性が秘められています。 直観という(無心)無限のレーダーで、すべてを捉えようというものです。 閃きとは、そのレーダーが感知したものなのでしょう。 或いは、感知というよりも伝わった、というべきかもしれません。 「燃え尽き症候群」とは、直観の働きを五感から解放できないことから生じてくるマンネリかもしれませんね。 直観の働きを無限大に活用する、といった事ができれば、そうした事にはならないと思われます。 以上です。 武道に関して素人の拙い解釈ですが、少しでも参考にしていただければ幸いです。
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- shift-2007
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その人にとって武道とは何かということがポイントじゃないでしょうか。 単に技術的なものを追い求めているならば武道ではなく武術ですかね。 武術を極めたのであれば燃え尽き症候群もわかりますが、武道は生き方、哲学を含んでいると思いますので、終わりがあるはずがないと思います。 一生懸命やっているうちに目的と手段が入れ替わったんだと思います。 奥義をきわわめるのが目的か、武芸を通して正しく生きることが目的か、ってところじゃないでしょうか。
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6870623.html)にも、 関連の質問をスピンオフさせて頂きましたので、 其処でも御教授を賜れますと、幸いです。
補足
有り難う御座います。 返事が遅くなり、申し訳が御座いませんでした。 例えば、此処で紹介させて頂いた師範の方は、免許皆伝取得後に、他の流派の技術をも盛り込ませた再編成の為に、後継者の権利を放棄して独立を為さったそうなのですが、1965年頃の当時には、他流派との情報交換が拒まれやすかったせいで、応用が行き詰ったらしいです。 但し、その師範は後に身体運動への拘りを捨てて、書道・音楽等のコツ(骨)との『共通性』の研究の価値を見出せた御蔭で、新しい技・形の開発に繋げています。 昔の先駆者達は多大な苦労を為さっているのでしょうね。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
興味本位で聞きますが、 >ヴァージョン更新が為され難くなるせいで これはどういう意味ですか。
お礼
他の分野からの情報へ興味を広げられない段階では、 普段に「無心」を維持し切れていないのでしょうか? 例えば、質問文の中で紹介させて頂きました方は、 武術・武道と違う分野での身体操作との共通性の調査によって、 「燃え尽き症候群」を克服なさったそうです。 従いまして、もし他の分野への応用をも叶え得る程に「形」のヴァージョンを更新させ続けていけませんでしたら、先駆者達が「燃え尽き」を感じやすくなるのではないか、と考えております。
補足
有り難う御座います。 それは、「【形】の構造の見直し」という意味合いを表現する為に用いました、単なる比喩です。 新しい分野への応用にも適した改革を盛り込んでいきませんと、どういう発想でも何れかの日には行き詰り得るのではないか、と考えまして、その確認の為に、この質問を致しております。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
失礼ですが、武術をやったことは ありますか? 武術をやたら神秘化しているように思えますね。 氏のビデオを観ましたが・・・。 私は武道て言葉が嫌いです。 武道てのは、武術が社会的意味を失ってから 出現したもので、いわばまやかしです。 商売の道具です。 ビデオを観ましたが、一種のオカルトですな。
お礼
もしかして鍼灸理論さえをも 御存知でいらっしゃらないのではないですか?
補足
すいません。 新体道・西野流呼吸法・宇城流空手・ディレクトシステム等では、御互いに脱力して相手の動きを警戒し合っているせいで、バランス感覚を維持し得なかった側が敵達の間合いへの踏み込みを挫かれて倒れているのです。つまり、曲がり角で自転車の衝突の回避が遅れてバランスを崩される仕組みと同じです。 因みに、注目なさっている箇所は事例に過ぎませんでして、質問の内容はそれと違います。 あくまでも、「無心」・「閃き」・「燃え尽き症候群」の関係性を伺っておりますので、身体運動に限られた話題では御座いません。
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6870575.html)にも、 関連の質問をスピンオフさせて頂きましたので、 其処でも御教授を賜れますと、幸いです。
補足
有り難う御座います。 敵達からの殺気が自分の側へ向けられた際に、其の意気込みを感じ取っていますので、『(インバウンドの)待機状態』に留まっています。 従いまして、別の分野では自分へ殺気が向けられる訳では御座いませんので、そういう分野との共通性の調査の価値に中々気付けなかったせいで、#4様が仰る通りに、その師範の心境はマンネリ状態に陥ったそうです。 つまり、自分から異分野領域へ能動的に働きかけていく『アウトバウンド』的な振る舞いこそが、閃きの舞台の『新規開拓』の為に必要になっていたのでしょうね。