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仏教の人間以外について

芥川龍之介の蜘蛛の糸を読んでふと思いました。 仏教(私の知る限り)では人間以外のことはほとんど教えられていないですよね? 殺生はだめとだけいっているって印象があります。 蜘蛛の糸ではお釈迦さまは犍陀多が蜘蛛を殺すのをやめたから糸をたらしたとあります。 芥川龍之介の蜘蛛の糸にかぎらず、いろんな本に、人以外の生き物を殺さないのは善だ、とあります。善だといっているわけでもないですが良いとは言っていない。 私の仏教の印象では、「人の生き方の教え」といったイメージがあります。 質問は、仏教での人以外の生き物、物についてです。 他の生き物に対してはどのような扱いになっているのでしょうか。 たとえば、ゴキブリをスプレーで殺したとします。       木像をつくりたいから木を切ったとします。       邪魔な石があって壊したとします。 食べるために生き物を殺すから、ご飯は感謝して食べる。 けれど、ゴキブリに限らず虫を殺すのってごめんね、と思うだけです(私は)。 こういうのって、変な言い方かもしれませんが、仏教的にはどうなんでしょう。

みんなの回答

回答No.5

お釈迦さまの教えとしての「殺生」についての記述なら、仏典にはたくさんあると存じます。 小生は、僧侶から聞いただけなので具体的にどこに書かれているのかまでは存じませんが、たとえば。 お釈迦さまは、歩くときは素足で歩かれた。何故ならば虫を踏みそうになった時、素足なら足の裏に「虫が居る」という感覚を掴めるので、ぎゅっと踏んづける前に足を持ち上げて殺さずにすむから。 お釈迦さまは、歩くときに錫杖を持って歩かれた。錫杖の先には金属の輪がたくさん付いていて、杖をつく度に「しゃらんしゃらん」と音がするし、地面にかすかな振動を与えることができ、その「気配」を察して虫が逃げてくれるから。 お釈迦さまは、川の水を飲むとき、目の細かい布で濾して飲まれた。何故ならば、川の水には小さな生き物がいるから。その虫を水と一緒に飲んでしまわないため、常に水を濾すための布を持ち歩いておられた。 お釈迦さまは、自分にたかってくる虫を殺さないよう、長い獣の毛を束ねて柄を付けた「払子(ほっす)」という道具を使って、虫を追い払っていた。 上記のように「不必要な不殺生はせぬこと」ということは、仏典の中にいくつも例があるようです。 現在の我々がゴキブリを殺してしまうことが果たして「必要な殺生」なのか「不必要な殺生」なのか……といった「教義」的な問題については、小生は門外漢なので、上記、「こういう説話もあるよ」ということのみを回答しておきます。

noname#142071
noname#142071
回答No.4

科学の視点から申しますと、仏教は、国を治める為の道具として日本が輸入した律令なのです。「悪い事をすればバチが当たりますよ、御上に逆らえばバチが当たりますよ。」みたいな、為政者にとっては、道具として便利なものにすぎませんでした。 しかし、一部の僧侶が、仏教ではなく、釈迦の哲理そのものに興味を持ち始めた為に、御上との距離を置くことになります。そして遠い村々に一部の僧侶が哲理を広めていった。したがって、首都圏から遠い村々に哲理そのものが残ったのではないでしょうか。 ですから、山間で自然と共に暮らしていけるなら、無益な殺生はしなくて済むでしょうが、都会では無理だと思います。 いま政府が輸入している、金融資本主義の理念は、効率最優先です。邪魔な者は殺せ、というアメリカの基本理念が含まれているのです。そんな都会では、釈迦の哲理など通用するものではありません。 一方、動物たちは、どうでしょう。環境に従って、ちゃんと棲み分けをしていますね。人間も、これからは、理念ごとに棲み分けが必要になるのでしょうか。 最近よく耳にする、グローバル化が怖いです。 グローバル化 = アメリカ化(欧米か?) ちなみに、ゴキブリは餌のない所には棲み付きませんよ。入ってきても、すぐに出ていきますから。私は大人になってからは、スズメバチ以外の虫を殺した事がありません。逃げる虫は殺さない。これが私の哲理です。 釈迦の哲理にも似たところがありますね。木にも石にも虫にも仏性がある。何一つ欠けても現在は成り立たない。生きるものが生き、死ぬものが死に、収まるものが収まり、広がるものが広がる。虫一匹を観ても、宇宙の流転を観ることができますね。 だから細かい事を、こうでなきゃいけないとか、いちいち固定して考えても無駄な気もしますね。

回答No.3

 仏教は「人の生き方の教え」であるという捉え方で、いいのではないでしょうか。  人間以外の諸動物は“自然のまま”で良し、と「仏教」は受け止めているように思います。  仏教の基本中の基本は「ごめんね」という気持ちを育てることにあると思うので、この「優しさ」が宗教心の“大地”となるといいですね。

回答No.2

仏教を国教とする唯一の国、ブータンに住んでましたが、他の動物もみんな人間と同列でしたよ。 (人間にいじめられる可哀想な仲間ではあれ) 全ての動物は、互いに輪廻の中で循環している、ていう。 人間も、殺生したりすると、来世ではいじめられる側の動物に転生する。 (ちなみに僕は製図室で図面にたかったハエをうっかり叩いたため、部下に「あなたはハエに生まれ変わる」と予言されました。 アイドルにたかる変なハエがいたら、『あぁ、あの人は転生したんだなぁ』と思って下さい(-人-))

回答No.1

 【仏教(私の知る限り)では人間以外のことはほとんど教えられていないですよね?】  という文章は何を伝えようとしているのか、理解と受け取りができないですね。  たとえば、ゴキブリをスプレーで殺したとします。       木像をつくりたいから木を切ったとします。       邪魔な石があって壊したとします。  食べるために生き物を殺すから、ご飯は感謝して食べる。  まぁその通りですが、ゴキブリをスプレーで殺すとき、木像を造るとき、邪魔な石を壊すとき、食べる時。  kiyono_2011さんは其処に憎しみや危害、憎悪の観念をともなっていますか?  更に、其処で自己をどう持っていますか?  その行為をどのようなものに差し向けていますか?  その辺をすこし思うと、異なる事柄を何か無意味に同じ事のように考えているのではないですか。  何よりも自分から憎悪と危害の観念を全くなくすことをご精進されたらいかがですか。  私は仏教の門に入っては居ませんが。極く常識的大人としての意見です。

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