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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:水子供養について)

水子供養について気になることとは

このQ&Aのポイント
  • 宗教を気にせずに供養した人は居るのか、日蓮宗の水子供養はどうすれば良いのか、供養が遅くなってしまったからと言って供養前に水子が迷ってしまうことはあるのか、東京近郊に関連した所はあるのかと悩んでいます。
  • 水子供養に宗教はあまり関係無いとの記載がありますが、小さい頃から宗教に関わりを避けるよう言われてきたため不安になっています。
  • 家族に内緒で水子供養をするため、頼る人がいなくて困っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.1

日蓮宗は理論派で非常に排他的な宗派ですし、その結果自分達の間でさえ主張が噛み合わず排斥しあうくらいです。だから他の宗派の慣習や世俗的なものは避けています。(別に善し悪しではなく) なので、日蓮宗だからというよりは日蓮宗の中の何派であるかによって大きく対応が変わるのだと思います。 実際には日蓮宗でも水子供養をして頂けるお寺のサイトが多くヒットしますから、基本的にそれらの場所であれば供養できます。 つまり、『お婆様が崇敬している或いは菩提寺としているお寺の会派ではダメだろうという事が想像でき、その他の日蓮宗では供養できるところもあります』というのが答えになります。 近年水子供養が流行り、あまり根拠のない供養が多いようです。 別に水子さんは祟りが怖くて供養しているのではありません。それは金銭欲の自称霊能者の主張です。 昔、新生児死亡率が高かった事から、生まれて1年以上経たなければ家族として認められませんでした。歳は時代によって異なりますが、“3歳までは神仏の子”として扱うというのは、実はこの事を意味しています。 つまり、最低1年は家系(家の墓)に入れられませんので、それ以前に亡くなってしまった子供が水子として家族とは別に供養されたのです。(それでも思い入れから墓所内に別に墓を建てる場合もありました。昔は子供は下の名前だけで姓は家系に入ってから頂けるものなんです。) 近年新生児死亡率が高まり、水子様の多くが流産子さんとなりました。また故意の中絶も増えたことから、反省の心もあって水子様といえば流産子か中絶した子供という事になりました。 特に「祟り」という話には、この中絶子に対する罪の意識が深く関わっています。そのため自称霊能士らがそれを煽るように祟り話を広めて行ったのです。 水子様には二つの考え方があります。 一つはこの世の垢に染まらずに帰った、或いは生まれる事、胎内に宿る事で修行を終えたという考え方です。 もう一つは家系に入れなかったのは人間として寿命を全うしていないという考え方です。 どちらを採るかは自由です。正誤などありません。私は前者説をとっています。 供養はいずれの解釈でも同じ事ではあります。 “供養しなければ祟りがある”というのは供養の意味を知らない者の言い様です。 供養の本当の意味は「仏・菩薩・天部諸神に対して飲食などの供物を真心から捧げること」を意味します。( この場合の神は仏界の天部にいる諸仏の事です) また俗には追善供養や回向を供養と呼ぶ事が多いです。 回向は布施でもあり、自らが積み上げた善根功徳を相手にふりむけて与えることをいいます。 特に仏法を広めることによる徳が最も大きく、読経するのはそのためであり、一部僧侶などが「読経するのは死んだものの為じゃない自分のためだ」と主張するのも、本来はこのことにあります。 自分が読経をして仏法を理解することで得られる功徳、それを他の人や亡くなった人に与えることが布施です。これを法施といいます。 その善行はやがて更に大きな功徳となって我が身に戻ってくる。これが「情けは人のためならず」という事です。 魂の修行は真の「仏」に至る(悟りを開く)まで続きます。人間であることはその一部でしかありません。だから人はずっと追善供養を行なうのです。 水子様に対しても、この世からの解脱、つまり仏の世界に生まれ変わる事を願い、更にその先の修行に対しても回向を続けるのはこのためです。 従って悪魔祓いなどとは異なり、一回やれば終わりと言うものではありません。 本来わざわざ供養行事を行なわなくても、水子様を思い起こし、無事に修行を終えて悟りを開くようにと読経をすればそれで充分です。 どんなに儀礼に従った儀式よりも、心を込めた読経の方が功徳は大きいと思います。 御布施は「財施」という立派な功徳ですからキチンと払うべきです。 供養を行なうならそのお寺さんに聞きましょう。でも自分で行なう場合もお寺さんに御布施は納めましょう。 神社での水子供養もこれと似たり寄ったりです。 神道でもちゃんと葬儀は行なうし、どうせなら訳を話して昇殿参拝で祝詞を奉じていただきましょう。 水子様の場合は、喪の期間はありませんから、翌日には普通の生活に戻って構いません(神仏両方とも同じ) 時期に関しては「思い立ったが吉日」で行動に現せばいいだけです。「供養しよう」と思った瞬間に供養は始まっています。 問題は中途挫折しないことです。しっかり考えて、納得いく方法を取ってください。

anex1st
質問者

お礼

とても丁寧に回答頂きありがとうございます。 なんだか小さい頃からの疑問も一緒に解消されました。 祟り云々は正直全く気にしていなくて 私と彼があまりにも方向音痴なので、そんな私達の子だから迷子になってしまうんではないかと勝手に心配してしまい 読経時に焚かれる煙には霊を正しい場所に導くという話を耳にした事があったので きちんとお寺で形式通りに供養した方が良いものなんだと決め付けていました。 あとは自分の子が確かに生きていたんだという証が欲しくて、位牌を手元に置きたいというのもお寺にこだわる理由でした。 もう少しよく考えて、彼と話し合って最善だと思える形で供養していきたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • peri1005
  • ベストアンサー率33% (610/1798)
回答No.2

こんにちは。女性のかたですかね。 全部が全部そうではないんですが、日蓮宗さんですと教義上「地蔵信仰」とはどうしても縁が薄くなってしまうこともあり、他の宗派に比べると表立ってお地蔵さんを祀って「水子供養」すると言う形にしているところは少ないかと思います。どちらかといえば観音様とか鬼子母神のもとでお祀りする形のほうが多いかなと思います。ただ中にはご住職の考え方もあって、水子地蔵を祀って行うところもあります。 http://www.daisenji.or.jp/  例えばこちらは東京都小平市にあるお寺さんのHPです。 さて、あくまでも日蓮宗さんにこだわるということであれば、本来でしたら先祖代々のお墓のある菩提寺がそうなのでしょうから、そちらにお話するのが筋なんです。供養したいということであれば話も早いでしょう。ただ家族に内緒というのは問題ですよね。 私はどちらかというと、水子になってしまったお子さんのことよりも、貴女ご自身のことのほうがとても心配になります。どのような事情があったかは存じませんが、少なくとも子供を失った母親になっています。迷うのは子供だけではなく、母である貴女もこの世において迷うのです。おわかりでしょうか。 お母さんである貴女がしっかりせねばなりません。赤ちゃんはお母さんだけが頼りなんです。 仏さまの元にいく法門というのはいくつも開いているものです。日蓮宗や天台宗などは法華の門。浄土宗や浄土真宗などでは念仏を用いた浄土の門。曹洞宗や臨済宗などでは禅の門。真言宗においては密教の門。細かい点での差異はありますが、みなくぐる門が違うだけで最終的には同じところにいきつくものなんです。 まずきちんと供養されたいという気持ちがあるのなら、どちらのお寺さんでも構いません。自分のやれる範囲の中で、きちんと気持ちをむけてあげることが一番重要なことなんです。宗旨宗派にこだわりすぎてしまって、やりたいのにできないという気持ちになるのが一番いけないことだと思います。これが迷いなんです。 貴女は母として赤ちゃんをしっかりと導いてあげてください。誰のお子さんなんですか?貴女のお子さんなんですよ。ご先祖との宗旨宗派が違えども、それで仏さまが差別することはあり得ません。 質問文からは母であるか父であるかはわかりませんけれども、これは父であっても全く同じです。 以上よろしいでしょうか^^

anex1st
質問者

お礼

お心遣いのある回答頂きありがとうございます。 最初にお話するべきでしたね…。 私は22歳の女性です。 宗派にこだわるなら、同じ宗派なら何でも良い訳では無いのですね。 先祖の眠る場所は毎年お墓参りに伺っていて場所は分かるので2人だけで行くことは可能だと思います。 ただ、場所が遠く行くとなると色々調整したりで遅くなってしまいそうなので 頂いたご回答を参考に彼と話し合い最善だと思える形で供養した後に先祖の眠るお寺にもう1度供養に行くのでも良いのかな…と回答を読みながら考えました。 本当はきちんと祖母に伝え 方法を聞いた方が良いのだとは思いますが 相手とまだ結婚していない事 相手が現在無職である事 私が仕事を諦められず仕事をしながらの出産を望み、ただ私の体が弱く普通の人のようにいかない事 子供が欲しいと言いながら迎える準備を整えられなかった事 情だけでは子育ては出来ないという客観的な意見のもと 私達の勝手な都合で水子にしてしまった事を祖母に言うにはあまりにもショックが強く また古い考えの人なので私や彼の批判に留まらず子供の批判もされるのが嫌で内緒で供養に行きたいと思っています。 この考え自体が勝手で我が儘なのですが。 頂いた回答を参考に先祖の眠る場所を調べてみようと思います。 ありがとうございました。

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