他人の事はわかるのに自分の事だとわからなくなる理由と自己理解の方法

このQ&Aのポイント
  • 他人の悩みと自分の悩みを考える内容の違いについては、自分の事だと感情や損得などの他人の問題では考える必要のない要素を加味するため、問題が複雑化する傾向があると考えられます。
  • 自分の事ももう少し理解するためのアドバイスとして、まずは客観的な視点で自分自身を見ることが重要です。心理学の専門家が自分の事をよく理解しているかどうかは個人によりますが、自己理解を深めるために学ぶことは有益です。
  • 自己啓発本や心理療法などを通じて他人の心理を理解できる場合でも、自分自身の問題になると学んだ知識が役に立たない場合があります。このような状況に陥る人は多く存在し、自己理解には個人の考え方や状況も関係しています。
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他人の事はわかるのに自分の事だとわからなくなります

人は他人の事だと客観的に考える事ができるけど、自分の事だと客観的になれずわからなくなってしまう事がよくあると思います。 例えば、心理学やメンタル系のアドバイザー(専門家)が人には素晴らしいアドバイスをしていても自分の事となると悩んだりどうしたらいいのかがわからなくなる事がある等。(人間として当然ではありますが、そこはあまり追及しないで頂けたらと思います) それは何故だと思いますか? 他人事だと客観的に見れるからとかではなく、もっと掘り下げた部分の意見を頂けたら嬉しいです。 私は結構自己啓発本を読んだり心理療法等も独学で多少知識をつけており、人の心理的な部分が少しわかったりするのですが自分の事だと全然ダメなんです(^^; だから、それをなんとかするヒントが「他人事」と「自分の事」で考えるものの違いに隠れているのではないか?と思いそのヒントを考えています。 自分の事だと感情や損得等の他人の問題の場合では考える必要のない事を加味する為、他人事よりも問題が複雑化するのだと思っていて、そういった事を考える事はリスク回避のために勿論必要であり当然だとも思っています。 ですが、 “それを考える度合いが大きすぎる人ほど「自分の事がわからなくなる」といった状態に陥りやすい” という問題がそこに隠れているように思いました。 要は私自身が「他人の事がわかるなら、自分の事ももう少しわかるようにしたい」という事を考えているだけなのですが、そのヒントが欲しくて質問しました。 ★★まとめると質問は下記です★★ (1)人が「他人の悩み」と「自分の悩み」で考える内容はどう違うと思いますか?(例.自分の事だと損得を考えるetc...) (2)自分の事ももう少しわかるようになる為の何かよいアドバイスはありますか? 心理学用語で関連しそうな内容がありましたらそれも併せて教えて頂けると嬉しいです。 実際、心理学者等の専門家は人間の行動学や心理学を勉強しているから自分の事も結構わかっているんでしょうか? 私みたいに「他人の事はわかるのに自分の事だとわからなくなる」という事はないんですかね。 私は人の悩みには心理的な部分からアドバイスができても自分の事となると学んだ知識もまっさらになる時があってなかなか難しいです・・・ 人には偉そうに言ってるのに自分の事だとやっぱり私もダメじゃん。と思う事が多いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • noname002
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回答No.5

日常で、あたりまえと言えばアタリマエのことなんですが、なかなか難しい問題ですよね。 >心理学者等の専門家は人間の行動学や心理学を勉強しているから自分の事も結構わかっているんでしょうか? そんなことないみたいですよ(苦笑) (自称に過ぎませんでしたので、真偽のほどは知りませんが)心理学を学んでいるとは言っていても、可愛い自分にとって少しでも不利な情況になりかけていると思うが早いか、非常に感情的、攻撃的言動を繰り出してくる人も実際いましたから。 そもそも、そういう性格を、自分でも持て余し、何とかしたくて、心理学に すがったという動機の人もいましたし。 私の身内に医者が おりますが、非常に冷静な(と言うより、私から見れば、「冷酷」と言いたいほどの)気性であっても、やはり、自分の家族など、ごく近しい者を患者にするのは避けるという、世間で よく聞くところですね。 >自分の事だと感情や損得等の他人の問題の場合では考える必要のない事を加味する為、他人事よりも問題が複雑化するのだと思っていて、~ >“それを考える度合いが大きすぎる人ほど「自分の事がわからなくなる」といった状態に陥りやすい” そんなところじゃないかと、私も思います。 要するに、自分自身に関する問題については、クールに論理的に考えるのが難しくなってしまう、ひるがえって、 あくまでも自分自身に直接の利害や困難が及ぶ恐れの薄い、他人の問題についてなら、それを解決するために必要な手段や目的を見失わずいられる、ということでしょう。 最近の話題では、原発施設の立地々域住民の問題が当てはまりそうですね。 「欲に眼が眩まされ、、、」という喩えもありますね。 自己の利害などのことで複雑に雑念が多いほど、迷ってしまうものじゃないでしょうか。手も足も出ない「フリーズ」状態というか、「パニック」状態というか、一つも選択できなくなったりとか? どなたかも おっしゃっているようですが、ピンチに直面したときこそ、その者の技量が知れるとか言います。 >「他人の事がわかるなら、自分の事ももう少しわかるようにしたい」 一言で言ってしまえば、「理」から入るか、「情」から入るのか、でしょうかね。 「知識」というのは、ふつう、「理」の範疇ですよね。 >(1)人が「他人の悩み」と「自分の悩み」で考える内容はどう違うと思いますか?(例.自分の事だと損得を考えるetc...) についてのヒントとしては、 よく喩えられることで、水泳の教科書を熱心に読み込んでみたからといって、実際に泳げるわけじゃないとか聞きますよね。やはり、自分の からだで覚えるものだ、と。 実際に、荒波打ち寄せる海に飛び込んだとき、教科書に書いてあったことなんか、瞬時に忘れてしまいそうですものね。 そうしてみると、 >(2)自分の事ももう少しわかるようになる為の何かよいアドバイスはありますか? 特に、心理学においては、共感能力が問われると聞きますが、ならば、想像力を培う、やはり、アタマでっかち、独りよがりな思い込みにならないよう、あらゆる経験、体験を積んでいくことで、想像力や共感能力を豊かにしていく、ということになるのでしょう。 本を読むことも、その訓練の一端にはなるとしても、そこでも、実体験に養われた想像力の豊かさは、単に字面を追うのとは違う、理解力に差を つけるように思います。 最近の私の反省ですが、 東北の被災地に、ヘリで必需品を運び、投下したらどうなの、と思っていたら、かつての阪神大震災のとき、瓦礫に埋まったまま、救援を待ち続けている人の、弱って、か細い声が、ヘリの轟音に かき消されてしまうということで、多くのクレームが起きたそうです。 こういうことも、凡人には実際の体験がないと、なかなか考えが至らないことだと思いました。

Lilyrosa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに心理学を学ぶ人の動機として自分をなんとかしたいからという事はよくありますよね。 勉強してもやはり知識より無意識と感情が勝るんですかね。そう思うと感情って恐ろしいです…感情的になると知識もぶっ飛びそうですし。 原発問題は当てはまりそうですね。考えるとわかりやすいです。確かにその者の技量がわかりそうです。 理から入るか情から入るか…納得してしまいました。 (2)について、共感能力ですか。経験に勝る知識はないと思っていましたが、やはり経験が大切になるのですね。 本を読む事は安全ですが、実体験を積む事は失敗もありますよね。私は実体験→失敗→本等で学ぶ→実体験といった感じでやっていますが…ひとつクリアしたら次の壁にぶち当たります。 実際に経験がないと考えが至らないんだ…と私も気付いた出来事が過去にありました。正しいと思っていても正しくない場合があるんですよね。やはり経験した目線は的確ですよね… 震災の例、とてもわかりやすかったです。

その他の回答 (4)

回答No.4

こんにちわ。 (1)『他人事』で仮に“相談事”の場合は要点をある程度絞って考える事ができる。故に“答え”としたものが曖昧としたものでは無く相手にとっては“目から鱗”としたことも考えられますよね。それは、余計な感情とした雑念、邪念と言ったものが邪魔をすることも無く、拘りを持つこともなく考えられる(集中)からとも言えないでしょうか。相談内容の中で、相手を取り巻く環境や、置かれている状況を聞かされいるとしても感情論的なことは切り離して考える事ができる。 (2)それは、鏡を見れば自分の眼で顔を見ることが出来る。表情や造作を見る事は容易だが、それ以外のものを映し出すことは出来ないですよね。(自分で自分の顔を見ることは不可能。)一番近くて一番遠く、一番解っている様で解っていない相手かもしれないですよね。 逆に周りの人の方が良く知っている(洞察力)ことの方が多いかも知れないですよね。 ・・・何か有った時、起こってしまった時のご自分の行動なり、発言なりを“メモ”って(日記でも)置くことも知るための1つではないでしょうか。実際にいろんな“シチュエーション”で他人の言葉にどう反応したか、自分だったらこうしただろう。と言ったことを覚えておかれ、書き記されることもいいかと・・・。(常日頃の自分の意識として) 本当の自分を知るのは“窮地に追い込まれた時”や“生死に拘わる死活問題”に遭遇したときは意識が有る無しに拘わらず自分と言う本来の姿が現れると思います。 >『例えば、心理学やメンタル系のアドバイザー(専門家)が人には素晴らしいアドバイスをしていても自分の事となると悩んだりどうしたらいいのかがわからなくなる事がある等。』 そうですよね何となく“そんなものなのかも”知れませんね。家に帰れば“フツー”の人、妻帯者であれば全部妻まかせ・・・何処に何が有るのか、(靴下の場所も)分からないといったことではと。電球の取替えすら出来ないかも知れない・・・。? 随分前のことですが“精神科(心療内科)“を営む医師が殺人を犯す、とした事件もありました。知性と人格とは別物だと言うことが良く解ります。警察官の痴漢行為、車上あらし、殺人、・・・etc “テーマ”と大分外れてしまいました。結論ではないですが、“自意識過剰、自己思考(志向)の卑下・・・etc”と言ったものはご自分を知る上では“マイナス”を招く恐れありではないでしょうか。 その反面“永遠のテーマ”ともあり、“分からない”が自然ともいえるかも。?(覆すようですが。) 少しでも参考の足しになれば幸いです。

Lilyrosa
質問者

お礼

こんにちは。回答ありがとうございます。 (1)について、感情が加わる事で思考はだいぶ変わりますものね。感情はたまにやっかいだなと自分で思う事があります。 (2)について、そうなんです。自分という存在は一番解っているようで解っていない気がしますよね。確かに外から見た自分が一番的を得たものかもしれませんね。 あ~~~やはり永遠のテーマでわからないにたどり着きますよね。いくら考えてもハッキリとはわからないと思うし、言ってしまえばわかる必要もないのかもしれないですね。それが完全にわかってしまったら淡白思考になって自分が空っぽになりそうです。 精神科医や警察官…ありますよね…人間て本当に不思議です。 深く掘り下げた回答を下さり嬉しいです。参考になりました。

noname#144523
noname#144523
回答No.3

(1)に関して 例えば友人が片想いで悩んでたとしたら あなたは冷静にアドバイス出来るでしょう だけどもし自分が同じ立場なら冷静には考えられませんよね? >私みたいに「他人の事はわかるのに自分の事だとわからなくなる」という事はないんですかね。 これは人間なら皆ありますよ 何故なら心があるからです ただ心が成熟するほどそれが少なくなっていきます >実際、心理学者等の専門家は人間の行動学や心理学を勉強しているから自分の事も結構わかっているんでしょうか? 知識があるのと自分の精神をコントロールするのは別問題ですよ それより年齢、性別、肩書などで人を1方向で判断しないように 気をつけて下さい。視野が狭くなりますからね ※質問文からの推測です >人には偉そうに言ってるのに自分の事だとやっぱり私もダメじゃん。と思う事が多いです。 この意識はとてもポジティブなもので素晴らしいです ただそれは偉そうでもダメでもなく人間関係において 自然な事であり必然な行為なのでネガティブには考えないで欲しい (2)に関して これは沢山の本を読み知識を得てもわかりませんよ ・まずは感情から自分を見失うような経験を沢山する ・大切な仲間を作る ・沢山失敗する(その失敗を誤魔化さない) ・自分とは何か?を問い続ける ・考えてもわからないときは行動する 上記は前向きさと勇気の2つの強い気持ちがないと出来ません つまりLilyrosaさんの問は机の上で答が見つかる類いのものでは ないですし、行動していくなかでその知識は補助的な役割になります 僕はこの問いは要するに 自分探し/自律心/自分を知る/自信を持つ/自分を持つ/生き方 などと表現される事と同類だと思います 参考になるかわかりませんが、その答を知る有名人を上げると ダルビッシュ有、新庄剛、田原俊彦 上記は個人的に知る限りの人として

Lilyrosa
質問者

お礼

(1)についてですが、冷静になれません… 冷静になりたくても無理で悩みにハマってしまいます。心を成熟させるにはどうしたらいいのか考えてしまいます。 年齢等はある程度判断するものだとは思うのですが、質問文から気になったという事は人よりそういう部分を感じたのでしょうか?? (2)については、私は知識をつけるプラス行動もガツガツするタイプです。やってその結果で学んでいます。でも失敗が多く凹んで自信がなくなります。不器用だからかもしれません。 確かに自分探し~等に繋がる質問の気がしますね! 参考になりました。ありがとうございます。

  • jayjay_3
  • ベストアンサー率41% (93/222)
回答No.2

1)他人の悩みと自分の悩みに対する考え方は本来一緒であるべきでしょう。他人のことに関してだって、損得は考えてあげるべきですし、そこまでしてあげないとアドバイスとは言えないでしょう。自己を相対化してみることができない人ほど、他人と自分の悩みに対する考え方が違ってくるのでは? あともう一つ無意識のレベルがあると思いますね。他人に対する悩みに対しては相手が意識していることしか聞くことができないので、意識していることに関してアドバイスできます。ただ自分には無意識のレベルがあってその部分を意識出来ていないことでなんらかの矛盾が起きている可能性もあります。だから普段の自分の行動を見直すことが大事ですね。 2)自分を客体化することですね。 自分の視点で考えているから、心理的なバイアスがかかります。第3者になりきりましょう。 質問シートを自分で作ったり、自分が考えていることについて考えるメタの視点をもって、いまじぶんがどう感じているかというふうに自分に問いかけてみましょう。 上でも言いましたが、無意識に自分がしていることを記録することで自分が客観的に見えるようになると思います。

Lilyrosa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 (1)ですが、私の場合他の人にはプラス思考な意見ができても自分の事になると損得の「損」を考えすぎてマイナス思考になります。逆に自分の場合は「得」ばかり考え他人には「損」なマイナス発言をする人もいますが、自分=他人といった思考はなかなか難しいですね。 おっしゃるように自分には無意識で矛盾が起きている場合は多いです。私の場合は自分に自信がないから自分にはマイナス思考になるのかもしれないですね。 (2)について、記録を取ることによって確かに見えてきますね。 自分の事だといつも考えている分、整理しないと客観的(シンプル思考)に考えられないのかなと思いました。簡単に記録つけてみようと思いました。 ありがとうございます。

noname#180065
noname#180065
回答No.1

面白いですね。確かに。 自分の事に関しては、損得を考えてしまうのかなと。リスクとか。 プライドなどもあるのかも。 私はなるべく客観的になるように、こうやってサイトで質問したり、回答したりして他人とどう違うか比べます。 書く事で客観的になれるし、相手が見えないから、どんな意見でも意見だけを見れるので。 なので、なるべく質問者や回答者の名前は見ないようにします。 この間、この人は嫌な事を言ったのでとか相手を曇った目で見て意見を入れないようにして世界を狭くしてしまうので。

Lilyrosa
質問者

お礼

遅れましたが回答ありがとうございます。私がサイトを利用しているのも同じ理由です。客観的になるし思考力がつきますよね。

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