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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この津波が想定外というのは嘘では?)

福島第1原発:東電「貞観地震」の解析軽視

このQ&Aのポイント
  • 東京電力福島第1原発の深刻な事故原因となった大津波を伴う巨大地震について、09年の経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたことが分かった。
  • 東電は「十分な情報がない」と対策を先送りし、今回の事故も「想定外の津波」と釈明している。
  • 専門家の指摘を軽んじたことが前例のない事故の引き金になった可能性があり、早期対応を促さなかった国の姿勢も問われそうだ。

質問者が選んだベストアンサー

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  • TANUHACHI
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回答No.15

 このところ頻繁に使われている言葉としての「想定外」に関してですが、誰がどのような根拠に基づいて「想定外」と発言しているのでしょうか?。  今回の大規模地震に関して言えば、マグニチュード9に相当する地震が日本の近海で発生する可能性に関して「想定外」と説明している方々にとって2004年のスマトラ地震は視野のうちに入っていなかったのでしょうか。インドネシアで発生した地震規模と同等レベルの地震が日本では「起きえない」とでもいうのであれば、少なくともその根拠を示す必要があるはずです。スマトラ地震の時には海底が震源だったことで大規模な津波が発生したことも記憶に新しい。また日本列島そのものが環太平洋造山帯の上にあり、過去その上で発生した地震がどれほどあったことか。78年の秋田沖地震の時ですらも津波の被害が少なくなかったことも事実です。  危機管理との関係で言えば、災害を始め事故そしてテロ行為を含めて「想定されうる最悪の事態」までを幾つかの段階に区分して「対応策」を設定しておく、これは企業においてBCPと呼ばれる復旧プログラムとして既に浸透していることも事実です。無論“9.11”のようなケースもあってそれは「想定外」とせざるを得ないケースもあることも確かでしょう。けれどそこから何かを学び、シミュレーションをやり直すための材料として活かすこともできるはずであって、最悪の事態を想定してのシミュレーションには意味がありますが、最良の事態が続くことを仮定してのシミュレーションにどれほどの説得力があるのでしょうか。「全ての可能性など考慮していたら原発を作ることは出来ない」と原子力安全委員会の方々が国会で答弁していたとも報道されていますが、全ての可能性を想定することが困難ならば、ではなぜ自分たちと異なる見解を持っている人の意見を聴くことすらもできなかったのでしょうか。それほど自信を持っていたのか或いは本当のところは自信がなかったのか。何れにせよ、彼らは「学識者」としての基本を忘れてしまっていたことも確かです。なぜなら学問の世界には「とりあえずの結論」はあってもそれは「確定した結論」とはなり得ない、との認識からスタートすることが大原則だからです。99.9%は仮説にしか過ぎない。ましてや自らの説明に対して都合の良い根拠だけを引用するなどとの発想は決して許されるべきではなく民間企業だったら意図的に都合の悪い事実を隠蔽したとしてPL法(製造者責任法)に基づいて告発されかねない。  もし「想定外」の言葉を使うならば、先ず自らの「想定」が1つのたたき台にすぎないこと(=他にも可能性があるかもしれない、との認識)を最低限、意識した上で自らの言葉に責任を持つことも必要だったのでないのか、と私は思います。

その他の回答 (15)

  • onokei12
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回答No.16

想定外という発言には 僕も疑問です 過去にも 大きな地震があり  このような大きな津波が来ることだって 研究の結果から分かっていたはずです まあ正直に被災地からの意見を言わせてもらいますと 想定外なのは 東電の 日々地震に対する意識が低いからなんではないでしょうか? まあ私たちも今回の地震は想定外なのですが 人体に危険を及ぼす建物は 今まで起きた津波のデータから もし1番大きい津波が来たときでも 大丈夫なところに建設するべきだと思いますね まあ何百年に一度の大震災なので 長くて百年の人にとっては まさか自分の一生涯で 起こるとは思いませんが 建物は人間より長生きするものもありますからね 建物の一生で 想定外や想定内か 判断してほしいです

回答No.14

たぶん,「想定外」という言葉が良くなかったと思います。 科学者は仮説を立て,モデルを作り,実験,計算などで検証しようとします。 原発建設でも,それはやったと思います。 その際,確率としては起こりうるだろうけど,考慮しなかった,条件に加えなかった,という場合に想定外と言ってるのだ思います。 考えられなかった,とか,予想出来なかった,という「不可能,あるいは不可知」の意味ではないと思います。 ただし逆に言うと,知っていてなぜ考慮しなかったのかと言われると,面倒な話になるので避けている気がします。 地震関連では,次のような話が有名です。 伊豆半島の付け根付近で,新丹那トンネルを通って,新幹線が走っています。 ここには,丹那断層という古くから知られる活断層があります。 当然,ここに新幹線を通す際には問題となりました。 しかし,数百年は動かないだろう,という「想定」のもとで,トンネルは建設されました。 詳細は以下に書かれています。 http://www.bosaijoho.jp/reading/item_1423.html もし,この断層が,今年中に動いてしまったら,「想定外」となります。 理屈は,先ごろの地震の影響とかなんとか言えるでしょう。 果たして,この断層の話,乗客のどれほどが知っていることでしょうか? そっちのほうが,私は心配です。 「どんなリスクも考慮すべきだ」だと,この新幹線は出来ていなかったでしょう。 私としては,どんなリスクも常に開示し,新たなデータとともに何度も検証し,一般人にも理解してもらう(学んでもらう)ことが重要だと思います。 ここで言う理解とは必ずしも同意ではなく,内容が分かると言う意味です。 その上で,極端な場合,稼動中止(新幹線なら運転休止)を求めるかどうか,一般の人にも意見を述べてもらうことが重要と考えます。裁判員制度の科学版ともいえるシステムが必要だと思っています。

回答No.13

回答でなく、ついで質問ですがご容赦ください。 質問者さんは貞観地震をおっしゃっていますが、三陸沖には明治、昭和にも大地震、大津波 が発生していますよね。 明治三陸地震 1896年6月 M8.2~8.5 最大津波38.2m 昭和三陸地震 1933年3月 M8.1   最大津波28.7m (Wikipediaより) しかも震源は、今回の震災と殆ど同じ地域のようです。 今回の規模の地震・津波は、No.2さんのおっしゃるように 数百年に1度の災害でなく、少なくとも100年に2度 発生しています。これがなぜ「想定外」だったのか、 私にも理解できません。 明治や昭和の大地震と同規模の地震が、少なくとも数十年以内に来る可能性がある、 とは想定されていなかったのでしょうか。。

回答No.12

嘘というか言い訳というか・・・ 今回の福島原発は、かなり人災に近いと思います。 女川原発と福島第2が一応でも安定しています。 外部電源(送電装置、発電機)が海側にあるなんて・・・ 高台と海側体勢でそれでも駄目だったなら自然災害って言われても・・・ 一般市民(私)でも『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と思うでしょう。 結局、初動の遅さ判断の遅さが致命的、ECCSが作動しないってありえないですよ 作動しないならすぐさま海水注水を行えば被害は縮小されたのではって思います。 まぁ私がここに質問としてあげたとき「ゲームのしすぎ」とか「あんたわかってんの?」とか・・・ 多分、私が質問を上げる前に多くの人が心配したと思いますけど・・・ 一番肝心な所(東電、政府)が、あんまり心配しなかったのでしょうね

  • dspdsp
  • ベストアンサー率35% (23/65)
回答No.11

おそらく、想定外とは、「商用施設として設計する際に考慮すべきレベルではない」と判断したのでしょう。 当時の技術水準をして妥当な判断であれば、責任は問えないと思います。 原子力発電所は、飛んでいる飛行機が緊急停止できないのと同様、緊急時にぱっと止められない設備ですので(核反応を止め、崩壊熱を冷却しないと破損する)、飛行機がある確率で墜落するのと同様、人知を超えたことが起こると考えるべきで、それを容認した当時の政治家、および、それを選出した国民全員に責任があると考えるべきです。 むしろ、「想定外のことが起こりうる施設である」と、我々が正しく認識すべきだと思います。 そのうえで、停電リスクとどちらが大きいかを、改めて判断すべきかと思います。

  • woowq
  • ベストアンサー率23% (7/30)
回答No.10

#1で回答した物ですが、もっと、決定的な話がありました。 設計段階で、フェールセーフ設計が通常はあると思いますが、津波については設計段階あらその考え方が抜け落ちていたようですね。URL参照。 同様のことが、次は、テロなどで原発の暴走が起こる気がしますが、日本ではWTCのような飛行機を使ったテロがありませんから考慮さえされていないように思います。どうしても作るとなっても、近くには欲しくありませんね。と言うか、原発は廃止にして欲しいですね。 「想定超え」津波は考慮せず=原発耐震指針の委員長―被害経験なく「責任痛感」 http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011032700097&m=rss 指針で、津波の記述は「地震に伴う随伴事象」としてわずか1項目だけ。断層調査や建物の強度など、地震の項目が多岐にわたるのに比べると極端に少ない。 入倉さんは「地震も津波も同じ自然現象。常に想定を超える可能性がある。機器が水をかぶっても、他に回避する方法があるのが原発の設計思想のはずだ」と指摘。「今回の事態を見ると、今まで言ってきたことは何だったのかという気がする」と悔しがる。

  • Kon1701
  • ベストアンサー率24% (1445/5856)
回答No.9

津波、際限がないといっても良いように思います。 地層を調べると、100m近い津波が発生した可能があるのでは、と思えるような痕跡がある、と聞いたことがあります。 この推測が正しいとすると、100mの津波への対策が必要でしょうか? 海岸線に高さ120mのダムのような壁が必要でしょうか? 私はそうは思いません。100mの津波が発生したような場合、それこそ全世界的な災害であり、人類の文明の継続が困難になるような状況かもしれないと思います。 想定は出来ても対策には限界がある、と考えます。既に回答にもありますが、発生確率が100年に一度であれば対応は必要だと思いますが、1000年1万年に一度だとどうでしょうか? そこまでは無理だと思います。

  • mi-e007
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.8

作られた当初の予測・計測では想定外でしょう. また,貞観地震の震源域も当時ははっきりと分かっていませんでした. なので,想定外は想定外なのです. どんなリスクも考慮すべきだというのは不可能です.この理論が正しければ,巨大隕石にも対応しなければなりません.ですが,岡村氏もこのようなことはいっていないのでしょう.つまり,現実的に起こりうる事象に対処できるだけの能力という意味でしょうね. で,現実的に起こりうる事象ですが,これは結果的に確率論です. たとえば,原発が使える期間(まぁ50年がせいいっぱいでしょう)にこれだけの災害が起こる確率がどれくらいあるのかを計算します.そして,この確率が十分小さければ起こらないと考えてもよいでしょう. しかし,現実的には起こりました.確率なので起こらないわけではない.たまたま今回起こった,それだけのことです.問題とすべきことは想定外のことが起こったときの対処の仕方でしょうね.原発安全神話は国民が信じるのは構わないのですが,作った会社・許可した政府は信じてはいけないでしょうね.

回答No.7

福島第1原発は40年以上前に建設されました。 当時は津波に対する対策という考えがありませんでした。 あとになって津波対策ということがいわれ、 適当に「4mくらいを想定」などと答えていただけです。 想定外があってはならない原発! 虚構の安全神話が崩れたことはよいことです。

  • parts
  • ベストアンサー率62% (6366/10151)
回答No.6

ちょっと時間を掛けて考えてみました。 想定外は想定外だった。でなければ、今になってこんな情報は出てこないのではないでしょか。 はっきり言えば、今後、落ち着けば責任は嫌でも取る人が出てきますし、今も複数からのバッシングを受けている人は多々いるでしょう。 今の社会は、昨日身方でも一つボタンを掛け違えば今日は敵です。武器で戦う時代と違い、人道的なという理由で、言葉のバッシングが多くなっていますから、ある意味、道を一度間違うと生き地獄です。 この社会の構造について書いておきますが、 地震はいつ起きるか分からないわけで、それに投資するにはその根拠がはっきりしていなければなりません。日本は、資本を中心としてリスクを計算し、そこからどれだけのリスクに対してリターンがあるかを考えます。起きていないことを前提とした回避策は、今までもこれからも無意味となるため根拠が絶対的なものではなければならないのです。それが、前提なのが資本主義です。 その前提を考えると、起きた後に、起きたことに対して、いくらはしゃいだところで亡くなった方々や失われたものは返ってきません。むしろ、最悪の場合はそこから派生する複数の揺り戻しがおき、別の前提が崩れ混沌となります。これから、どうするかが今問われているとは思いませんか? これは私が思うことですが、亡くなった人のご家族や現地の人よりも、メディアや外側の人の方が批判的な動きをするケースが多いような気もします。何というか、温度差があるのですよ。彼らは生きることに今必死ですからね。余計にそれが大きく見えます。 批判が増えるのは今は仕方の無いことだと思いますが、今単に責任を追及しても何の解決にも至りません。今の時点で出来る対処をするしかないでしょう。 貞観地震についての研究は、文献と地質学的な調査によって示されつつありますが、当時の段階では、まだ不確定な要素があると突っぱねられた可能性が高いと思われます。実際には、結果としてこれが起きたことで証明されたという皮肉なことになりましたが、経済学的にもその時にその根拠を示せなかったことにもまた責任はあるでしょう。 事件が起きたときに、多くの人は起きることを予測した人を評価する傾向があります。ただ、彼らは当時の目線で言えば少数派になってしまい、社会の中に埋もれるべくして埋もれたケースも多いのです。事故発生の対処は別として、その責任は、東電だけが受けるのではなく、実際には70年代~90年代に断層が見つかった際には、耐震基準や津波対策見直しを検討したが、経済界などからの裏での反発が想定と、実際の反対があり見送ったことも言われています。同様にして、我々庶民でさえも電気代が上がることを嫌気していました。それが、結果として表れたということも言えると思います。批判で生まれるのは、こういった部分をほじくり出すだけで、責任者のすげ替えのオンパレードと堂々巡りです。実際には、知恵を出すべきですが、それが批判から出ることはほとんどなく、逆説に変わり、今度は逆説に問題があれば、元の道に戻るか、方向修正をします。 我々は、今出てくる情報の一端しか知りません。実際にどれだけの議論があり、どのような報告書を元にして評価したのかも分かりません。メディアは、今旬な情報で尚かつ勝ち馬に乗る傾向があります。そのため、我々は一歩退いて冷静に物事を判断しなければならないでしょう。 再び同じような事態にならないためには、実際に出ている情報とは対局の、たとえば、では何故その情報が出ていながら対処できなかったのか、対処できない力とは何だったのかも知らなければなりません。そうしなければ、今度はそのしわ寄せが別の方向に向かいます。 まあ、津波に関してでは一部には署名活動などが発生しこれからだったという話もあります。 本当に、考えると世のはかなさも感じますが、言い訳や批判は私自身はもう聞き飽きました。何というか、批判が増えると被災地でなくともまるで被災地のように日本は重い空気が流れているような気もします。 その上で、今回の地震は想定外で良いが、今後は想定外を想定した対処を考えなければならないのは確かです。ただ、そこに今の反省が必要であり、例えばM9.5を目安に建物を作るなら、もしそれを越える場合は、どうするかのマニュアルは必要になります。想定外を想定外ですまさない対処が今後は求められるでしょう。それが、本来メディアや我々一人一人が考えるべき事だと思います。 最初に戻りますが、やはり想定外だった。 そして、今後は都合の良い想定外を無くすこと(想定外を想定する)が大事だと思います。 だからこそ、今回は想定外でなければならないのです。私自身がそれを元に自分の職場マニュアルを考えなければなりません。

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