女系天皇の問題とは?

このQ&Aのポイント
  • 女系天皇について質問があります。女系天皇だと何か問題があるのでしょうか?
  • 女系天皇については、悠仁親王がまだ幼いため、本格的な議論は起こりにくいと考えられます。
  • しかし、日本の伝統では、男系を保つことが重視されてきましたが、女系で家を存続することもあった例もあります。
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女系天皇だと何か問題があるのでしょうか?

悠仁親王はまだ幼いので、女系天皇を認めるか否かの本格的な議論は、私が生きている間には起こらないでしょうが、女系天皇だと何か問題があるのでしょうか? 確かに、皇統はこれまで一貫して男系を保ってきました。 しかし、それは偶然男系を保ってこれただけで、男系が保てなければ女系で家を存続すると言うのが日本の伝統ではないでしょうか? 例えば、上杉謙信の後継者を争ったのは、上杉謙信のお姉さんの男子である上杉景勝と上杉謙信のお姉さんの女子の婿である上杉景虎ですし、 直江兼続は婿養子として直江家を継ぎ、本多政重を婿養子に迎えて直江家を告がせようとしまし、 吉川元春は母親の実家を継ぎました。 自分としては「男系優先・女系容認」というのが日本の伝統だと思うのですが、間違っておりますでしょうか?

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質問者が選んだベストアンサー

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  • jkpawapuro
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回答No.27

>私は竹田氏と同じく「万策尽きたら女系もやむ得ない」という考えです。 しかし、竹田氏が男系論者ということは、私も男系論者なのでしょうか? そうなりますね。 >悠仁親王が男子に恵まれなかったら、悠仁親王から皇位をどれだけさかのぼっても男系男子がいない(まったくいないことはないかと思いますが、家系図が残っているなどの血筋を証明できる人はいない)と考えていたのですが、誰かいるのでしょうか? ですから竹田氏初め、旧皇族の方がたくさんおられます。 戦後すぐに臣籍降下されたばかりなので、系図もばっちり残ってます。 >だったら、その男性を皇族に復帰させられる法整備を検討すべきなのに、なぜ愛子内親王が皇位を継承できるようにするための法整備を検討したのでしょうか? 男系論者⇒皇籍に男系が尽きた場合は旧皇族の男系子孫の方を天皇に 女系論者⇒臣籍に戻したものを皇族に戻すなんてありえない。男系男児が尽きた場合は愛子様およびそのお子を天皇に。 おおむねこういった意見だと思います。

ikyoikyo
質問者

お礼

男系論者⇒男系が絶えたら皇統断絶、女系などもってのほか 女系論者⇒男系が絶えたら女系で皇統を保つ かと思ってました、 とんでもない勘違いをした状態で質問してしまったんですね。 質問の前提が間違っているので、今回は早々に質問を締め切るべきですね。

その他の回答 (26)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3031)
回答No.16

日本の伝統としては男系優先・女系容認ですが、天皇家の伝統としては明らかに男系が全てです。 女系の近親がまったく即位できず、傍系の男系が即位してきた歴史を見れば明らかだと思います。 男系というのが天皇家の伝統の根幹です。 伝統を捨てた天皇家に何が残るのでしょうか?天皇家が伝統を捨てるとなると、そもそも天皇家の存在する意義さえ失われるように思います。

ikyoikyo
質問者

お礼

>男系というのが天皇家の伝統の根幹です。 それは男系継承者がいなくなると言ったケースを考えた上での判断だったのでしょうか? 昔から「男系でなければ皇統断絶」だと考えていたのでしょうか?

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.15

>女系天皇でもあるし男系天皇でもあると言うことになりますから、皇統は一貫して男系を保ってきたと言えるのではないでしょうか? その理論でゆきますと、源頼朝や武田信玄は、清和源氏ですから、天皇を廃して自分が天皇になっても、男系として主張できることになります。 当然平清盛などもです。 そういう事になりますと、神武天皇以降多くの人が対象となり、誰でもかまわないという理論がなりたちます。 また、皇統は、一貫しておらず、傍系での皇統相続が行われています。 皇統の一貫とか、万世一系というのは、明治期につくられた幻でしかありません。

ikyoikyo
質問者

お礼

>その理論でゆきますと、源頼朝や武田信玄は、清和源氏ですから、天皇を廃して自分が天皇になっても、男系として主張できることになります。 なぜ天皇を廃するのですか? 清和源氏をだしたので、例として徳川将軍を考えますと、家光の子孫の男系が絶えたときは、一旦東照大権現(家康)まで家系を戻して、その東照大権現の男系家系の男子であった吉宗が将軍になりました。 家継からは8親等も離れている吉宗からしてみれば、まさか自分が将軍になるなど夢にも思っていなかったでしょう。 たまたま吉宗の場合は8等身離れておりますが、仮に9等身離れていたら将軍になれなかったわけではないでしょう。 極端な話、何等身離れていようが、東照大権現(家康)の子孫であれば将軍になれるのでしょう。 ただし、誰でも将軍になれるというわけではなく、例えば5等身はなれた家康の子孫と、9等身離れた家康子孫がいたら、少しでも血縁の近いものが将軍になるものでしょう。 だから、源頼朝も武田信玄も平清盛も、自分以上に皇室と血のつながりが濃い人間がいなくなったと言うのであれば、上記3人も天皇になっていた可能性はあります。

  • jack-a3
  • ベストアンサー率34% (198/577)
回答No.14

質問に答えるならば、確かに日本では「男系優先・女系容認」が 日本の伝統です。 ですが逆に言うと、125代に渡って男系で遡れる血統の連続性その ものが天皇が天皇として君臨できる正当性の根拠だとも言えます。 もし天皇家も他の武家や商家のように「イエ」の継続を目的として 養子だろうが婿とりだろうがなんでもアリだったとしたら、天皇家は 今頃とっくに消滅してたでしょう。 歴史を紐解くと、、 平安時代初期、藤原家は一族の女子を天皇の嫁として嫁がせ、 その子どもが次期天皇になることで藤原家は天皇の外祖父となりました。 これを権威の拠り所として摂政関白政治を行いました。 藤原家を中心にした摂関政治から脱却を図るために院政をとりましたが 結果的に天皇の後継者争いが激化し、それが原因で武家が台頭し、 そこから平家が出てきて、今度は平家が政治の中枢を抑えることに なりました。 この時、天皇が男系で継続できていたからこの程度で済んでますが もし女系を容認していたなら藤原家や平家が天皇家を乗っ取っていた ことでしょう。 でまぁ、歴史から学ぼうと思うのであれば。 未だに「イエ」文化が残るような日本において、権威の根拠が 「血統」であるような体制・仕組みを維持するならば、 その権威の移譲に女系を許容すると、その体制はいつか滅びます。 気がついたら「天皇家」という名前だけは継続しているけど、 その中身は全然違うモノになっていた、なんてことになってて 「じゃあ天皇制度なんて意味ないじゃん。ヤメちゃえ」なんて 意見が今より強くなります。で、それに誰も反論できなくなります。

ikyoikyo
質問者

お礼

そもそも皇記2000年ぐらいまで、男系天皇がいなくなったときのことは想定していなかったんでしょう。男系天皇が絶える危機が現実味を帯びる前から「皇統は男系に限る」なんて考えていたんですかね? 「男系じゃなければ皇統断絶」なんて考えていたとは思えないのですが、 男系が絶えた時点で共和制への移行をすべきなのでしょうか?

回答No.13

   例外の法則 ~ 遺伝子の異常は、いかなる仮説をも沈黙させる ~   >XXなのに男性の可能性もありますし、XYなのに女性の場合もあり< ── SRY(Sex-determining region Y)とは哺乳類のY染色体上にあり、 胚の性別を雄に決定する遺伝子である。── (Wikipedia)   ── 小林 よしのり氏は、女系容認(公認)の立場として「Y染色体論」 を論破するために SRY遺伝子の話を持ち出している。(鷹司 堂後) http://dohgo.blog22.fc2.com/blog-entry-213.html   http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4334034748 ── 福岡 伸一《できそこないの男たち 20081017 光文社新書》  福岡 伸一 分子生物学 19590929 東京 /青山学院大学教授   ── 迷信の偏見は他のすべての偏見にまさり、その理屈は他のすべて の理屈に勝つ。── モンテスキュー《法の精神 19660228 河出書房新社》 http://okwave.jp/qa/q2603535.html (No.2)  

ikyoikyo
質問者

お礼

bilda様は遺伝子の話を持ち出して何を言いたいのでしょうか? 遺伝子の話を振られたので私の持論を述べます。 皇統は可能な限り男系を維持するべきだと考えるのは、伝統だからであり、遺伝子のことはまったく関係ない。 男系だろうが女系だろうが天照大神の子孫であることに変わりはないので、男系の維持が無理なら女系で維持すればよい。 遺伝子について言えば、Y染色体により父系をたどれると言う論理は破綻している。 もし、遺伝子をもって、「脈々と皇統をつないできた」と言いたいのであれば、女系で継承すべきだった。 なぜなら、ミトコンドリアDNAは母から子へしか受け継がれないので、もしも、女系で継承していればミトコンドリアDNAをたどることで皇統の一貫性を証明できた。 女系で継承しなかった時点で、遺伝子を基にした皇統の一貫性の証明はできなくなった。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.12

>天皇は一貫して男系を守ってきたのではないのでしょうか? 皇位が女系で継承されたことと、現在の天皇が男系であるということは、別の事です。 そのことを混同されています。 「皇位の継承が、女系で行われた箇所がある」ということを言っているのです。 これは、どういう事かといいますと、愛子内親王が、旧皇族に嫁ぎ、その子が天皇となることを考えてください。 旧皇族は、かつての天皇の誰かからの男系ですが、皇位継承は、女系での継承になります。 過去においては、そういった事実があるという事です。

ikyoikyo
質問者

お礼

その旧皇族の男性は父系をたどれば天皇に行き着くのですよね、だったら、女系天皇でもあるし男系天皇でもあると言うことになりますから、皇統は一貫して男系を保ってきたと言えるのではないでしょうか?

回答No.11

   遺伝の原則 ~ 万世一系の概念は明治以前の事例に拘束されない ~   >女系反対論者は(略)テロでも起こさなければいいのですが<  質問者のお礼が、あまりにも見当ちがいなので、再回答します。 (以下、遺伝の法則に詳しい方の「加筆・修正」をお願いします)    母の染色体はXX、父はXYからなる。  男の子は母のXと、父のYを併せもって、父のDNAを継承する。  女の子は母のXと、父のXを併せもって、父のDNAを継承しない。    初代天皇が女性であれば、夫のDNAが、男子だけに継承される。  初代天皇が男性であれば、妻のDNAは、女子だけに継承される。  天皇の娘が天皇になれば、父のDNAを、男女ともに伝達できない。    <神話・欠史天皇<記紀・実録天皇<奉還天皇・現人神<人間天皇< http://okwave.jp/qa/q6574059.html (No.4)  四大革命 ~ 壬申・関が原・維新・玉音 ~  

ikyoikyo
質問者

お礼

もしかして、男系であればY遺伝子を継承してきたので初代天皇までさかのぼれるが、女系になると、さかのぼれなくなると言いたいのでしょうか? Y遺伝子があれば男性になるというのは厳密に言えば正確ではありません。 SRY遺伝子によって、男女が決まるのです。 だから、xxなのに男性の可能性もありますし、xyなのに女性の場合もあります。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.10

国歌斉唱はたかだか1世代か2世代ぐらいの歴史だとお思いかもしれませんが、1世代か2世代ぐらいでも立派な伝統だと思います。 ↓ はい、そのとおりです。 一世代か二世代でも立派な伝統だと認識出来るくらい、伝統は変更可能だということです。 たとえば、○○天皇と称すること。 これは光格天皇が900年とか1000年とか耐えていた事を復活させた。 逆に言えば、光格天皇が復活させなければ、天皇とは呼んでいなかったとも考えられます。 これは、光格天皇が分家の閑院宮家から出たがゆえに、復古主義に走ったんだろうなと思います。 平安時代末期 後鳥羽天皇は三種の神器がなかったので、後白河法皇の院宣で即位OKということにした。 南北朝時代 後光厳天皇は三種の神器もなければ皇室の家長である治天の君もいないということで、廷臣に擁立でOKということにした。 まぁ適宜対応するわけです。 その適宜対応が、そのうちに女系天皇となることもあるなぁと私は思う。

ikyoikyo
質問者

お礼

>まぁ適宜対応するわけです。 >その適宜対応が、そのうちに女系天皇となることもあるなぁと私は思う。 女系天皇が誕生するのは史上初のことです。 しかし、tanuki4u様が適宜対応の結果、女系天皇の誕生がありえると考えるのは、私も感覚を同じくするところです。 だからこそ、男系でなければ皇統断絶だと主張する人の感覚が分からないのです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.9

一世代くらいで変更される伝統なんていくらでもあります。 国歌斉唱 そもそも明治時代になるまで国歌もなければ、斉唱するという組織もありませんでした。 国歌斉唱時に起立しなければならないという伝統は、明治になってからの一世代くらいのあいだに確立したものです。 国体で・・・ 戦前や戦中の映画やテレビドラマでは、「国体」とか言う時には、軍人は足を揃えます。(なんていう行為名であるかは失念)あれも昭和になってからの行動様式ですので、東条などの軍の上層部はそんなことをしないという伝統の中で育っています。 皇室関係で言えば、天皇と皇后の立ち位置 http://bunkarekishi.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/12/ 明治天皇の時代は 五番  皇后 天皇 大正天皇以降は  天皇 皇后 これは、左のほうが位置が上なので向かって右側に天皇がいるというのが、1000年以上日本の伝統でしたが、大正天皇以降、ヨーロッパスタンダードに合わせています。 伝統というのは、その時の自称伝統主義者が主張する内容であると私は思います。  

ikyoikyo
質問者

お礼

国歌斉唱はたかだか1世代か2世代ぐらいの歴史だとお思いかもしれませんが、1世代か2世代ぐらいでも立派な伝統だと思います。 国体については、まったく知らないので、申し訳ありませんがコメントできません。 立ち位置に付いては、伝統的に左が上位だったというのは知ってます。 問題なのは目に見える形ではなく、コアではないでしょうか? 立ち位置が下位なので、天皇は位が下がったと考える人は誰もいないでしょう。 立ち位置もそうですが、非常に重要な即位の儀式のとき、今上天皇は燕尾服だったと記憶しております。 三種の神器を引き継ぐと言う非常に重要で、かつ、何世代にもわたって行われていた儀式を、日本の伝統的な衣服ではなく、西洋の衣服を身にまとって行いましたが、重要な儀式であるというコアの部分は変わっていません。コアの部分が変わっていないからこそ洋服とはいえ正装の燕尾服を身にまとったのであり、伝統を無視するのであればTシャツにジーンズで行ったでしょう。

ikyoikyo
質問者

補足

【訂正】 即位の儀は見ておりませんでした、見たのは「剣璽等承継の儀」でした。

  • 469437
  • ベストアンサー率38% (185/483)
回答No.8

No2、7です。返信についてですが、 私が回答したのは、 1:皇位の男系による継承は日本の伝統か? 2:男系が伝統である理由は何か?(女系の問題とは何か?) 3:天皇とそれ以外では、どのような違いがあるか。 であって、未来における男系の継承者の不在への対応について、語ったつもりはありません。 質問者様もそれについては質問していないと思いますが。 >今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか? 偶然ではないと思います。 理由は、少なくとも明治以前は、側室制度があり、正室に男子がいない場合の保険として機能していましたし、 宮家の数も現在より多く、それらも男系のストックになっていました。 また、女系容認の他国でも、側室や寵姫による継承者数の確保(=断絶の防止)は認められています。 以上から、男系を維持する為の努力はされている以上、偶然という評価はできません。その結果として女系天皇が誕生していない以上、天皇家における男系は伝統とみなして問題はないと思います。 >No.3様の話では、商家では婿養子をもらうと言うのが一般的だったみたいですが、469437様も「天皇以外は「男系優先・女系容認」」というのはお認めですよね 確かに認めていますが、私はNo2で、皇室以外では、男系女系以前に「イエ」の存続が重要視されるとお話し、それらと皇室の血統との違いも説明しています。 女子すらいない家では、他家から血縁のない養子を貰って、相続すると言うことも行われています。 私の考えでは、それらは伝統というより、目的の為の方法・手段として考えるべきもので、とどのつまり何でもありと変わりません(実際そうですが)、これを「伝統」と称してよいのか疑問を感じます。 また、女系に比例して外戚も増えることになり、外戚間の派閥が発生するのは好ましくありません。 天皇の男系は、確立の過程において、このことも考慮されていると思います。 更に、王朝交代でも血統は維持されるとはいえ、日本の天皇のみが有している祭祀王としての正当性は薄れていくと思います。これは伝統(神話)との乖離を意味するもので、可能なかぎり避けるべきだと思います。 >今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか? 違うと思います。現在の皇室の男性継承者不足は、これらの側室というものが社会道徳上の理由から不可能になった上に、GHQによって宮家が減らされたという事に起因しています。 竹田家についても、戦前戦中の基準であれば、宮家として存続した筈です。 である以上、日本政府・国民が、起り得る問題への対処を怠ってきた結果として生じた必然であると思います。 >469437様は悠仁親王が男子に恵まれなかったときは、皇統の断絶により共和制への移行をすべきだとお考えなのでしょうか? その時点で旧宮家の復活がなされなかったという前提で回答します。 私は、男系維持の為に、可能な限りの努力はするべきであり、その上で仕方がない場合のみ、女系の選択も止む終えないという立場です。 共和制には、絶対反対です。

ikyoikyo
質問者

お礼

>宮家の数も現在より多く、それらも男系のストックになっていました。 >GHQによって宮家が減らされたという事に起因しています。 >その時点で旧宮家の復活がなされなかったという前提で回答します。 宮家とは何なのか分からないのですが、今回のような天皇の継承問題を考える上で必要な知識なのでしょうか? 私は宮家とは何なのかが分からない状態で質問しております。 私の言った「今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか?」ですが、側室制度の影響が大きいと思うようになりましたので、私の意見を撤回します。 皇室以外では、男系女系以前に「イエ」の存続が重要視されるとお話し、それらと皇室の血統との違いですが、やはり、この点につきましては私としては皇統もイエの存続と同じようなシステムで存続すべきだと考えます。なぜなら、今までは側室がいて、男系が途絶えるというケースが想定されないまま皇統が存続してきて、側室制度がなくなるという制度の変更と40年も親王が誕生しないと言う偶然が重なって、皇統が2000年以上続いた後に今まで想定し得なかった男系断絶の可能性が浮上してきたから問題になったのであり、この前代未聞のケースについては日本の伝統を参考にすべきと考えます。イエの存続は、最初は男系の血筋にこだわり、男系の血筋が保てなければ女系の血筋に頼ると言うことになります。このイエの存続と皇統の存続も同じ要に考えればいいのに、逆に何ゆえ「血統は男系に限る」などという主張が出てくるのでしょうか?「血統は男系に限る」という考えは日本の歴史上、なかったのではないでしょうか? >私は、男系維持の為に、可能な限りの努力はするべきであり、その上で仕方がない場合のみ、女系の選択も止む終えないという立場です。 ちょっと待ってください、それだと私の考え、つまり「男系優先・女系容認」と一緒ということですよね。 いままでのご回答からは、私とは異なる意見をお持ちと推察したのですが?

  • 469437
  • ベストアンサー率38% (185/483)
回答No.7

No2です。なにやら、男系と天皇についての歴史にも定義にも無知な方がまた来ているようです。 女系に皇位継承権を与える事は、法律の変更によって可能でも、男系女系の定義を変えることはできない筈ですが。 前回の回答の補足ですが、 男系とは、父親の系譜を辿ると男性天皇にたどり着くということで、その先祖の男性天皇のどの妻(&側室)から生まれたかは、問題になりません。 女性天皇にぶつかった場合は、そこで王朝交代が起ったことになり、その新王朝の歴史はそこからスタートということになります。 実際、他国の「王室」の「王朝」それによる交代を繰り返しています。 この問題では、よく継体天皇の件が出てきます。 系図では継体天皇は応神天皇の5代の孫(男系)となっており、それが否定できない限り、皇統の男系も否定できません。 歴史上、皇族間の婚姻は、頻繁に行われており、それを以って実質的に女系に移ったとする考えは理解できません。 皇族の男女が結婚した=女系になった ではありません。 飯豊天皇については、はたして天皇だったのか?という問題もある上に、彼女の子孫は皇位についておらず、彼女が抹殺されたという証拠もありません。なので、天皇であったとしても「女性天皇」に過ぎないと思います。 飯豊青皇女 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E8%B1%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87 光仁天皇は天智天皇の孫(男系)でこれも、皇族同士での結婚をしただけで、女系ではありません。 光各天皇も皇族間の婚姻にすぎないので、同様です。 仁孝天皇も光格天皇の皇子であるので、少しでも女系かもしれない?と考える事体が愚かです。 光仁天皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E4%BB%81%E5%A4%A9%E7%9A%87 光格天皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%A0%BC%E5%A4%A9%E7%9A%87 仁孝天皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AD%9D%E5%A4%A9%E7%9A%87 女系を採用するということは、男系女系どちらも認めるということで、男系の廃止ではありません。 そんなことをしたら、将来、男の皇子ばかりになった場合、今と全く同じ問題が起ります。 女系の問題とは、それによって王朝の交代が起るからです。 日本の場合、歴史が長い上に、天皇の権威は神話に結びついたものである以上、血統が影響するからです。 皇統の男系の問題とは、以上の理由により、日本の文化と伝統に関わる問題であって、単に性別による区別や差別とは違う次元の問題であり、従ってDNAによるアプローチでは、問題の本質は解決できず、語ることすらできません。

ikyoikyo
質問者

お礼

>質問文から、質問者様は「女性天皇」と「女系天皇」を混同しているように思えます。 一応理解しているつもりなのですが? 悠仁親王が男子に恵まれれば、男系が保たれますが、女子しかもうけられなかった場合、おそらく悠仁親王の女子が悠仁親王の後の天皇になるでしょう、その天皇とは「男系の女性天皇」です。 ここまでは、女系天皇否定論者といえども問題視しないでしょう。 問題となるのは、その「男系の女性天皇」が崩御したあとです。 「男系の女性天皇」のお子様は、男子であっても「女系の男性天皇」と言うことになるので、 女系天皇否定論者からすれば、皇統断絶と言うことになるのでしょう。 >日本の皇位継承は、基本は男性優先で、男系の「女性天皇」はいましたが「女系天皇」はいません。 ということで、全く例がない以上、「伝統」にもなっていませんし、偶然でもありません。 言い方が悪かったかもしれません。確かに皇統につきましては前例がないので、伝統にはなっておりません。 しかし、悠仁親王が誕生されるまで40年の永きにわたり、親王が誕生せず、現時点では次世代の親王は悠仁殿下しかおられず、不吉なことを言うべきではないのですが、高円宮殿下のように悠仁親王が薨去してしまっては、次世代の親王が不在と言うのは史上空前のことであり、今まで男系を保てたのも、将来的な男系維持の危機も「偶然」なのではないでしょうか? 伝統にはなってはいないのは分かるのですが、史上初の男系の皇統が途絶えることを想定した場合、どのようにすべきかと言うことを、日本国の伝統と照らし合わせて考えるのが筋ではないかと思います。 No.3様の話では、商家では婿養子をもらうと言うのが一般的だったみたいですが、469437様も「天皇以外は「男系優先・女系容認」」というのはお認めですよね。 469437様は「皇統の存続のシステムは天皇以外の日本の伝統的なシステムとは異なる」、と考えておいでなのでしょうが、 わたしは、天皇以外の「男系がだめなら女系で保つ」という伝統を、皇統の場合も当てはめるべきなのかと思います。 明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏も 「一般の資産家や旧財閥においても、女性のみの場合は婿養子をとり家系を維持することもあります。」についてですが、そのような家柄においても、婿養子を取るというのは、できれば避けたい選択肢であり、積極的に男子を得ようと努力しているのもまた事実です。特に伝統芸能や、老舗の旅館などは顕著でしょう。そしてそのように悩んでいる姿もまた不自然ではありません。つまり、男系継承というのは、現在の社会の姿であるということです。民間の家であれば、いざとなれば婿養子でよいですが、皇室の場合は、それ以上に厳格に捉えているということです。男系継承できたほうが良いことは明白であり、万策尽きない限り、女系を認めるべきではありません。ただし、本当に万策が尽きたなら、女系を認めるのは致し方ないでしょう。まだ万策は尽きていませんので、女系を論じるべきではないと断言します。 http://blogs.yahoo.co.jp/takebom1024/25798040.html 右翼団体一水会常任顧問四宮正貴氏も 「神武天皇以来の伝統は出来得る限り守られるべきであるが、万策尽きて、女系天皇が御即位あそばされても「天照大御神の生みの御子であらせられるのだから皇統断絶ではない」と小生は信ずる。」 http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2011/02/post-7e2b.html 上記の2人の主張はまさに、万策と言う言葉を使用しているように、「まずは男系を維持するために全力を尽くし、だめだったら女系でもやむをえない」と考えているのでしょう。 私も両名の主張に賛成なのですが、469437様は「女系の問題とは、それによって王朝の交代が起るからです。」と言っております。469437様は悠仁親王が男子に恵まれなかったときは、皇統の断絶により共和制への移行をすべきだとお考えなのでしょうか?

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    2~3年前のテレビの日本語雑学系バラエティ番組により、「申し訳ございません」という表現は実は誤用、というのはすっかり有名になってしまいました。 「申し訳」が「ある」とか「ない」とかの問題ではなく、「危ない」「情けない」同様、「申し訳ない」で一つの形容詞だからですよね。 それが、昨今の、「何でも丁寧にいえばよい」という風潮から、「申し訳」が「ない」ので「ございません」となった…。なるほどなあ~と思ったものです。 さて、2009年2月8日放映のNHK大河ドラマ「天地人」(第6回)を観ていたのですが、「申し訳ない」について気になるシーンが出てきました。 七尾城を攻めあぐねていた上杉の陣中では、景勝と景虎の家臣同士のいさかいが起こっていました。 景虎の家臣たちが、犬に景勝の幼名「喜平次」と名付けてからかっているのを見て兼続が激怒、思わず相手に切り掛かりました。 この騒ぎを起こしたことで処分を待つ兼続。謙信は兼続に「心が迷っている。故郷・上田庄で己を見つめなおせ」と言い渡し、兼続は失意のまま陣を去りました。 この場面の直前なのですが、兼続の主人である景勝は、トップである謙信に対し「こたびの不始末、申し訳ないことでございました。」と謝罪しました。 一方、この場面の直後では、兼続が景勝に対し、「殿、申し訳ござりませぬ!」と謝罪していました。 16世紀の当時でも「申し訳」が「ない」と勘違いして、「申し訳ござりませぬ」と本当に言っていたのでしょうか?

  • 大河ドラマの主人公直江兼続

    上杉謙信が死去する頃以前の直江兼続についての詳しい経緯を記している史料があまり無いと聞いたのですが、それでは今回の大河ドラマの直江兼続の幼少期や若年期のストーリーは全くの空想ということになるのでしょうか。

  • なんで男系天皇にこだわるのか?

    そもそも、なんで女性じゃ駄目なんですか? 安倍氏が、女性宮家の創設に伴い、「男系の伝統が崩れる」と言って反対しておりますが、なぜに日本は男系天皇にこだわるのでしょうか? 自分は頭が芳しくないので、そこまでこだわっている意味が分かりません。 しかし、一方では今回の「女性宮家創設」の経緯については反対です。 今、皇位継承順位は、皇太子の次に秋篠宮弟君、そしてその次は秋篠宮の息子さん悠仁様になっておりますよね。 愛子様はすっ飛ばされております。 なんでも「女性にすると血が薄まる」とか何とか言われておりますが、男性でも女性でも「直系」から見た場合、血が薄まると言う事はありませんよね? 血が薄まると言うのは、「男系」から見た場合と言う事のようです。 過去に日本でも「女性天皇」は存在したらしいですが「女系天皇」は存在しなかった模様。 話が小難しくなりますが、例えば愛子様が天皇に即位されれば「女性天皇」となり、その愛子様の子供が次期天皇となった場合には、それが男であっても女であっても「女系天皇」となるようです。 過去に女性天皇が存在したのに、なぜその子供が即位した時に女系天皇とならなかったのか? それは同じ皇室から男性を迎えた事により、男系に戻ったと言う事だと推測されます。 つまり、今回の女性宮家創設は、悠仁様が天皇になった後、その跡継ぎである子供の事を考えての発案と思われます。 周りを見渡しても、悠仁様以外に男性はおりません。 全て女性ばかりです。 宮家では女性が婿をもらう事はあり得ません。通常は、女性は紀宮さんのようにお嫁に行きますよね。 その時に、今回の雅子様のように、悠仁様に女性のお子様しか生まれなかった場合、一体どうするのか? と考えた場合、「女性宮家を創設する事で、民間から婿をもらって子供を増やしましょう」と言う風に思えてしまうのです。 それって、女性は「ただの子作りの道具」じゃないですか? 男系にこだわるから、そんな人権を無視したおかしな事になるんじゃないですかね。 そもそも、皇族には人権なんてないに等しいとも思っておりますが、それでも今の時代に合わない考えではないかと思えるんです。 長くなりましたが、男系にこだわる意味と、自分の解釈に誤りがありましたらご指摘頂きたいと思います。 よろしくお願い致します。

  • 戦国時代の人身売買

    戦国時代では人身売買が当たり前ですが、大名によってやり方は違ったみたいですが、上杉謙信はわざわざ出稼ぎにいって女子供も人身売買に使ったみたいです。それにともなって直江兼続も人身売買をしていましたが、やり方は上杉謙信と同じようなやり方でしたか?それとも出稼ぎではなく金持ちの兵士だけ戦のついでにとったのですか? それと、武田信玄と上杉謙信、キリスト教徒の大名の人身売買は酷かったみたいですが、他に酷い大名はいたのですか?

  • 戦国時代に「愛」とはどんな意味を持っていたか?

    今NHK「天地人」で、上杉景勝の家臣直江兼続が、「愛」の一文字をあしらった兜を着用して豊臣秀吉に拝謁するために上杉軍とともに上洛し、都で物珍しさからか大変な評判になっていますが、当時はやはり質実剛健を旨とする時代ですから、武士階級の間で「愛」というのはヤワな印象をぬぐい切れなかったと思うのです。 一説には、直江兼続の兜の「愛」は「愛染明王」から取ったとのことですが・・・ 1)実際の所、直江兼続はどんな気持で「愛」の一文字を選んだのでしょうか?  2)又、兼続や当時の武士階級にとって、「愛」とはどんな概念だったのでしょうか? 現代の「愛」との意味の違いについては如何でしょうか?

  • 皇室で男系が守られてきた理由

    皇室で男系が守られてきた理由 少し前まで女系天皇の是非をめぐる論議がありました。 確かに文献を信用する限りは有史以来皇位継承は男系が守られてきました。 しかし、日本においては皇室以外では公家でも武家でも商家でも女子に外から婿を迎えて その婿を跡取りとする事はよく行われています。 そうでありながらなぜ皇室のみはかたくなに男系を固持してきたのでしょうか? そもそも皇室の祖とされる天照大神は女神です。 継体天皇は実際は上記のような入り婿であるという説はありますが、記紀ではあくまで 皇統に属している事になっています。