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戦国時代に「愛」とはどんな意味を持っていたか?

今NHK「天地人」で、上杉景勝の家臣直江兼続が、「愛」の一文字をあしらった兜を着用して豊臣秀吉に拝謁するために上杉軍とともに上洛し、都で物珍しさからか大変な評判になっていますが、当時はやはり質実剛健を旨とする時代ですから、武士階級の間で「愛」というのはヤワな印象をぬぐい切れなかったと思うのです。 一説には、直江兼続の兜の「愛」は「愛染明王」から取ったとのことですが・・・ 1)実際の所、直江兼続はどんな気持で「愛」の一文字を選んだのでしょうか?  2)又、兼続や当時の武士階級にとって、「愛」とはどんな概念だったのでしょうか? 現代の「愛」との意味の違いについては如何でしょうか?

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noname#87391
noname#87391
回答No.3

近頃この質問がおおいですね 狭い範囲の肉親間の愛情なら 今と近いでしょう 何百年も前に現代の愛と思しき概念があろうはずはないでしょうし ましてや兜の前立ちですから 戦場での心構えでしょう 愛染明王の武としてのあやかり愛なら 戦国100年の間に 他にも 使用した武将もいたでしょうしね  抵抗するな わしは 慈 愛 があるから 降伏しろという具合の仏教的背景なのか 結構抵抗するものには なで切りしていますからね 神社なら 愛宕神社の愛  本地佛は勝軍地蔵ですしね まあ戦国なんでね 常勝祈願的に 愛民の愛なら よほど 領地の一揆が多かったのかということになりますわね 景勝は義 そして愛 無愛想な当主  NO,2としての治政的思慮的バランスからなあ それとも武としてのもうひとつをカバーしたかったのかなぁと まあ テレビはテレビ 都の人に愛という字が読めたかどうか 話題ひとつならなかったんじゃないですか 他国のそれもやたら強かった上杉軍には 秀吉も宣伝して人目の野次馬はおおいでしょうけど 一国の家老クラスですから 宰相といえど官僚 小説のテレビ化ですので 兜の前立てに愛は格好のエサでしょう みんなあっというまに 戦国と愛 戦場に咲く愛の花になっちゃったね 戦国100年間は農業史的に3,4年に一度飢饉に見舞われ どの大名も他国への侵略略奪に忙しかった100年でもあったわけで 上から下まで 生きるか死ぬかの戦いの中で 絶対勝ち抜くとしての 愛染明王 愛宕社の 武運の希求にほかならないというところが 妥当じゃないかと  利のみで動く時代から 今 その前に立ちはだかったのが現代の愛 

oozora2000
質問者

お礼

色々推理を巡らして頂き、戦国への旅案内有難うございました。 色々考えられますが、落ち着く所は >NO,2としての治政的思慮的バランスからなあ >それとも武としてのもうひとつをカバーしたかったのかなぁと ・・・という所でしょうか。 テレビドラマだから当然現代にアレンジしている所はあると思いますが、その頃の人が偉かったことは否定しないまでも、「現代の愛」の方が当時に比べ成熟しているとは思いたいですね。

その他の回答 (5)

noname#87391
noname#87391
回答No.6

No,3 追加です 愛染明王はなぜか 雲に乗っています 明王ですから ふつう 火というか火炎ですわね 兜の前 両側に角のように伸びる雲の上に愛の字が載っています 上杉景勝も上杉憲正も伊達の家老片倉重綱も前立ちの下 土台というか 同じような意匠です 他方 東北は昔から 武士階級に愛宕信仰が強いところですので 考慮しなければならないでしょうね また別の兼続の兜には普賢菩薩の梵字が使われています 普賢菩薩も愛宕権現の生まれ変わりといわれていますのでね 戦国100年は侵略略奪の歴史で 食うか食われるかだったでしょうから どんなひどいことをしても(現代からみればエグイ)常に残ったもの勝ち 勝たしてくださいと神仏に頼る愛の字 今と違って うらぎりもあるかも知れないし 情報もつかみきれない 推測憶測? いまでゆうなら そうだなあ ロト6ではなくて ナンバーズ4を毎回 当てなければならないような  例えが悪いか。。。

oozora2000
質問者

お礼

再度有難うございます。 「愛」の意味も当時は複雑だったのですね。 生きるか死ぬかというプレッシャーの強い中で、「愛」に救いを求めたのでしょうか?

回答No.5

質問者様へ 『愛』の文字だけ見ちゃダメですよ。 あれは瑞雲に『愛』です。 瑞雲は仏教の意匠です。また、主君・上杉景勝は前立てに『愛染明王』の文字そのものを入れています。 主君が愛染明王を掲げているのに、家臣は愛民なのですか? 上杉軍の主神が『愛染明王』なんだと思います。 直江軍は虐殺・掠奪・強姦を繰り返した事は周辺各地の文書ではっきりしています。現代ならニュールンベルク原則に則り、C級戦犯として裁かれるでしょうね。

oozora2000
質問者

お礼

上杉軍の主神が『愛染明王』なのでそれに因んだというのも有力な説のようですね。

回答No.4

たしか『文芸春秋』で『天地人』の原作者・火坂雅志氏が、「愛民」説の立場で執筆したと投稿されていたことを思い出しました。 大略次のような内容でした。 「愛」は、愛宕大権現あるいは愛染明王の頭文字を取ったという説をはじめは信じていた。 また、近代民主主義的な「愛」が戦国時代にあったはずがないと思っていた。 ところが、米沢では愛は「愛民」という言葉から来ていると語り継がれている。 そこで、謙信の語録『謙信公語類』を読んでみると…というような話でした。 それならWebサイトに出ているかも知れないと検索しますと、次のサイトにほぼ同じ内容のことが載っています。 佐倉市立図書館 仲町つれづれ No.220 今の世の中に足りないもの http://www.library.city.sakura.lg.jp/nakamati/BN0812-0901.html 2)兼続や当時の武士階級にとって、「愛」とはどんな概念だったのでしょうか 想像することは私の得意とするところですが、当時の「愛」については全く想像できません。 天・地・人の「人の和」を大切にした領国統治が、領民を「愛した」ことになるのではないでしょうか。

oozora2000
質問者

お礼

『文芸春秋』での火坂雅志氏の投稿及び佐倉市立図書館「仲町つれづれ」の引用有難うございました。 「慈愛」=「仁愛」、「仁」こそが「義」とならぶ(師の謙信から受け継いだ)武士道の根本精神であるとのこと、納得しました。

  • cobamax
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回答No.2

戦国時代には現代の「愛」という概念はなく、愛は愛欲 愛憎というような否定的な漢字としてつかわれました 現代の愛という概念は明治以降のことといわれています 兼続も武士として戦で殺戮 謀略を重ねたといわれています この時代に兜の前面に愛という字を使ったのは現代でいう愛ではなく 戦いの神である愛染明王 愛宕神の愛を取ったと解釈するのが 妥当であると考えます また儒教の仁を義 愛と解釈する考えもあったようです

oozora2000
質問者

お礼

wikipediaの「愛」を見ると「愛」にも色んな概念があることがわかりますが、昔の「愛」は「愛欲」の意味が強く、ネガティブな概念のようですね。現代の「愛」の概念が伝わったのは、キリスト教の影響が強いと思います。 その後に書かれていることは、私も拝見しましたが、それでは、現代の「愛」に相当する男女の愛を示す言葉は存在しなかったのでしょうか? 当時は儒教の影響が強く、妻は夫に仕え、周囲の世話をする者、夫は妻をはじめ家族や一族郎党を養い、外敵から守る者、という役割がしっかりしていて、「愛」は夫から妻に対して与えるもの、と同時に妻から夫に対してはひたすら従い、夫を援護するものという関係が、明確だったような気がします。そこには今のような対等な「愛」の形はなかったのかもしれませんが、女性はその役割に精一杯答えることで、それなりに幸せだったのかもしれませんね。

  • tanuki4u
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回答No.1
oozora2000
質問者

お礼

早速有難うございます。 「愛」は妻や家族に向けられたものではなく、領主として民に向けられたものだったのですね。

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