- ベストアンサー
巨人の斎藤雅樹が二年連続20勝したとき
巨人の斎藤雅樹が二年連続20勝したとき、中二日で登板していた気がするんですが、現在の常識からすると考えられないし、記録を見つけられません。 当時、斎藤はどのような間隔で登板していたでしょうか? その証拠も含めて、教えてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
http://number.bunshun.jp/articles/-/12046 http://www2u.biglobe.ne.jp/~akichan/column/col23.htm 中二日で、登板命じられたこともあったということで、 一年間、中二日で回ったわけじゃありません\(^^;)... 上記のホームページにも紹介されてますが、 二年連続20勝投手もすごいけど、11連続完投勝利投手というのも すごいね! 今は、勝ち試合でも、完投することすくないし。 先発では、中二日してますが、1994年の10月8日の対中日戦(優勝決定戦となる)では 二回からリリーフ、中継ぎで勝利投手なのですが、このときは6日対ヤクルト戦に先発で 負けてからですから、中一日です。 生涯記録は180勝で、残念ながら名球会に入ってませんが 記録にも記憶にも残る名選手ですね。
その他の回答 (3)
- hiroki033
- ベストアンサー率39% (711/1788)
おはようございます。 登板間隔などは先の回答者さんが答えてくださっていますが、あらためて「凄い」って思いますね。 計画停電の影響で、今、「日テレG+」で昔のジャイアンツの良いとこ取りを放映しています。暇なときはずっと見ています。 もちろん斎藤投手の連続20勝、連続完投、開幕戦連続完封も流れます。 球速はすごくありませんが、球威はビックリ。 球が弾んでいるので、内角高めに打者のバットの上をボールが通過しています。 しかも、後半になればなるほど球速があがり、球威がさらに上がっているように見えます。 さらに、延長も投げますし、バッターとしてもそこそこの成績です。(サイドにするか野手になるかを選択したのと違いましたかね?) 今で例えるなら。 先発・日ハムのダルビッシュ投手。 7回から・中日浅尾投手。 8回から・巨人山口投手。 9回に阪神藤川投手。 延長に入って、気合いたっぷりの楽天・田中まーくんが投げる。 それを斎藤投手が一人でやってしまっているようなものでしょうか。 あの時代のプロ野球は面白かったし、今見ても面白いですね。
1989年 30試合20勝 7敗 1990年 27試合20勝 5敗 これが斎藤雅樹投手が2年連続20勝した時のデータです。ウィキから引っ張りました。ご覧の様に、1989年は30試合、1990年には27試合登板しています。当時の年間試合数130で割っても、1989年は4.33試合に1登板、1990年には4.81試合に1登板している計算になります。登板した試合は全部先発ですから、移動日などを含めても中4~5日で登板していた計算になります。 中2日とかいう超人的な登板間隔を実際していたのはプロ野球開始~30年代後半までの投手です。先発あり、中継ぎありですから、そりゃもう凄い使われ方をしてたわけです。完投完封した次の日にまた途中から登板して5イニングとか投げてたのですから。また西鉄ライオンズの稲尾もいつだったか忘れましたが連投につぐ連投で42勝という驚異的な記録を残しています。チームに所属する投手自体が少なかったとは言え、エースは30勝するのが当たり前の時代でしたからね。巨人の別所・阪神の村山・中日の権藤・国鉄の金田・西鉄の稲尾・南海の杉浦・・・。また別途では中継ぎ・抑えだけで20勝した巨人の宮田。まぁ凄い時代だったんですねぇ。
- EFA15EL
- ベストアンサー率37% (2657/7006)
当時は130試合制。 そして斎藤の登板数は30と27(先発数と同じ)。 おおよそ4~5試合周期で先発していた計算になります。 つまり中4~5日ですね(移動日もあるため)。 これ以上短い間隔だと故障していないと計算が合いません。 (89年、90年には大きな故障無し) 当時を振り返る記事からもそれが窺えます。 http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09may/KFullNormal20090501154.html 5月7日に1回ノックアウト、10日にリベンジで完封勝利して11連続完投勝利が始まり、30日で4連続完投勝利。 ここだけでも中2日が確かに存在した事、しかしそれは1回ノックアウトによる特例であり、ローテーションに戻ってからは中4~5日だったらしい事が分かります。
お礼
そうでしたか、子供の頃の印象だったので、誇張して記憶していたようです(^^;; それでも凄いことに違い有りませんね。 200勝したら一人で祝杯を挙げるつもりでしたが、叶わぬ夢となりました。 堀内投手や工藤投手のような執着心があったら、きっと出来たと思うのですが、人柄でしょうね。 他の方も御回答ありがとうございました。