「国語」と「道徳」・・・何が違う?
小学生の国語には作文と読書感想文がつきものですが、これらでいい評価をもらうためには、前向きな意見を書く必要があります。(「遠足楽しかったです」「もっと自然を大事にしようと思います」など。)
そこで考えたのですが、本来、こうした学習の意義というのは「感受性をより豊かにし、それを文章という形で表現することを学ぶ」ことなのではないでしょうか?
否定的な意見が小学生の作文選集に選ばれることはあまり想像できません。選ばれたくて、それらしい前向きな意見を思ってもいないのに書いた覚えがあります。でもそれは自分の気持ちに嘘を付いているということですから、感受性がより豊かになるようには感じられません。
実際のところは「道徳教育」がこれらの学習の基盤になってしまっているように感じられます。
小学生には「道徳」という授業がありますが、どうしてこれとは別の「国語」という授業にもかかわらず、「読書感想文」「作文」という形で「道徳」を教えなければならないのでしょうか?
「国語で教える道徳」と「道徳の授業」の違いはなんなのでしょうか?
よろしければ皆さんの意見を伺わせてください。