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「××に続く」の「続く」の用法について質問

「××に続く」の「続く」という言葉には、「××に向かって続く」と「××の後に続く」という2通りの意味があると、以前見ました。 ある国文法の教科書で、「未然系とは、「ない、う、よう」等に続く形」と定義されてました。 質問1:この定義で使用されている「続く」の意味は、「××に向かって続く」ということであり、たとえば「走らない」という語であれば、「ない」を先頭として、それに向かって続くような形で「走ら」という単語が続くというイメージでしょうか? 質問2:「××に向かって続く」という用法においては、××が先頭ということでしょうか?

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noname#226810
noname#226810
回答No.2

質問1 「未然系とは、「ない、う、よう」等に続く形」 これは、動詞「走ら」(未然形)から打消しの助動詞「ない」に向かって続くという連続関係を表します。「次頁に続く」などと同じ用法です。 質問2 ××が先頭ということではなく、「××」が向かう方向の先にあることを意味します。 例: 「ローマに続く道」 ちなみに「××が先頭」というのは「××の後に続く」方の用法であり、例えば戦場で武将が兵に対して「者ども、我に続け!」と命じるようなケースです。

その他の回答 (1)

回答No.1

回答1 全く違います。 此の定義では、『××の後に続く(追従する)』、という意味の用法が当て嵌まります。 回答2 こちらにも誤解していらっしゃいます。 『××に向かって続く』というのは、『××へ広がり行く』ということを意味しております。

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