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江戸時代の夜の街の照明事情について
百 楽天(@100rakuten)の回答
- 百 楽天(@100rakuten)
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室内照明として使われていた行灯については、実際に江戸時代に書かれた書簡や木版刷の本を使って実験してみました。 行灯では、どんなに近付けても今の活字文字を読むのは苦痛です。 江戸時代の大きな文字でも、行灯にくっつくくらい近付けないと、よく読めません。 月夜でも外出時には、提灯を持っていったものです。 提灯の底に油石を落としてふらつかないようにし、前方三尺ほどの地面を見ながら歩くのです。 江戸時代には裸足生活者が大勢いましたが、ふだん履物を履く人でも、夜間、急ぐとき、坂の多いところを行くとき、雨降りのときなどは、裸足であることもありました。 騎乗を許されない下級武士では、麻裃や羽織袴姿で裸足で行くこともありました。 出典は、最近再発見された「佐藤條衛門覚書」のなかで、元禄十五年十二月十五日(1703年1月31日)の午後の泉岳寺門前の様子を書いたなかにこんなことが書かれてありました。 歩行目付(麻裃着用)3人と小人目付(羽織袴着用)6人が、いずれも裸足で泉岳寺まで来て、山門の際で足を洗い、草履を履いた。 冬なのに、裸足で長距離歩いてきたのです。草履を履いても足袋はなし。 理由は、急いで泉岳寺まで行かなければならず、当時の泉岳寺は東海道から海とは反対方向の坂を上ったところにあったからだと考えられます。 歩行目付(徒歩目付)も小人目付も、公儀小役人。目付の配下に歩行目付がいて、その下に小人目付がいました。 騎乗の身分ではないので、どこに行くにも徒歩です。 同史料には安部飛州公(寺社奉行安部飛騨守)の家来2人もでてきますが、彼らは騎馬の人でした。 江戸時代には裸足生活者が多く、ふだん草履を履いている人でも、時と場合によっては裸足で歩くこともありました。 農作業も裸足です。 明治34年(1901) の5月29日に、ペストの予防と風俗の改善のために「裸足禁止令」が出されました。 愛知県豊田市に昨年できた豊田市能楽堂(http://www.t-cn.gr.jp/index_n/)での、「ろうそく能」の写真を添付しておきます。 この「ろうそく能」は、電灯照明の無い時代に座敷などで百目蝋燭を灯して演じたものを再現する趣向で、舞台の周りに燭台を巡らせ、蝋燭の灯で能・狂言を演じるものです。 行灯の灯で夜間過していた人から見れば、百目蝋燭の灯は明るかったにちがいない。 でも、蝋燭の灯だけでは良く見えないのです。 で、「ろうそく能」の実際ではわずかに電灯照明を入れるのです。 それでも普段の舞台よりははるかに暗い。目が慣れてきてやっと見えるというくらいです。
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