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里山を保存する理由は?

環境保護活動に積極的な人の中に 「里山を保存しなければならない。」とか 「人間が山を放置するので山が荒廃している。」とか主張する人がいます。 日本列島は誕生して何千万年も無人でした。人間が住んで農業をしたのは2千年前です。 里山は生物が豊富といっても人間が作った人為的環境です。 山は柴刈をした方が生物が豊富といっても人間が作った人為的環境です。 自然保護というのは自然に手を加えずあるがままを保つというのが大原則だと思うのですが

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  • ベストアンサー
  • ryuzin
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回答No.5

>「人工の森をの森を原生の森に変えること。」が日本における自然保護ではないでしょうか? 大変申し上げにくいのですが・・・。 「原生の森」を人間が造り出す事はほぼ不可能です。 地球工学を駆使すれば大まかにはなんとか再現可能かも知れませんが、 出来るのはデッドコピーであって、そのものではありえませんし。 また、単に原生の森」=雑木林や雑木森という訳にもいかないのが一番の悩み。 地域毎の植生やら地形から微生物等の生態ピラミッドをも考慮、再構築しなおさないといけないので。 >この方面の活動はされておられるのでしょうか? 実はそういった活動の拠点の一つとなっているのが現在の里山なんです。 人間が活動する場所は森の中だけでは足らないでそうなるらしい。街の中じゃ出来ませんよね;そりゃ。 また、工具やらなんかは基本的に平地等の開けた場所で使う事を前提にしてますので、 一定以上のスペースが必要らしいです。地の利を生かし無駄を省くって意義もあるのかな。 また、最初の回答でも記述しましたが、日本の場合、大体約80%の森が人の手が入った森です。 今ならまだ本格的な地球工学を行わずに日本古来の「原生の森」に近づける事は可能。なのですが、 それらを行うの為にも、ある意味里山は必要不可欠と考えられているみたいですね。 (自分は賛成派でも反対派でもないので、抗争等があるとしても詳しい抗争理由等は知りませんが。)  何故そうなるのかというと、場所の確保の問題と消費の問題の解決の為でもある様です。 かつて材木の利用を目的として植えまくった木々は消費を前提にしている為、 外部から見た目以上に森の中は砂漠化が進んでいます(人間が入って手入れしやすい意味で)。 放っておけば、土砂崩れや山津波等が起きてしまいかねません(回復力より荒廃の方が早い)。 里山はそういった事を防ぐ為のベースキャンプであり、切り出した材木等の一時的な貯蔵庫としての 役目をも担う場所としての役目をも新たに与えられつつある様です。 まだ活動としては初期段階に近い(撒き戻ってるというのが正しい表現らしい)のが現状らしいですけど。

noname#133962
質問者

お礼

回答有難うございます。 回答を完全に理解できた訳でも、また納得した訳でもありませんが、事情が複雑なことは分かりました。 自分の考えを整理して別の機会に疑問質問します。

その他の回答 (4)

  • ryuzin
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回答No.4

>里山 >人間が作った人為的環境 おっしゃる通り、里山は人為的に整備された環境です。ですが、それ故に >自然に手を加えずあるがまま では絶対にしてはいけない場所でもあるのです。 >人間が山を放置するので山が荒廃 日本の森の大体約80%位は既に手の入った森です。原生の森や林は数えるしかありません。 里山を放棄するという事はそういった既に手の入っている森や林へのアクセスすら難しくすると言う事でもあります。 里山はそういった手の入っている森や林の管理をも前提にした造りになっているからです。 また、人為的環境であるが故に、そういった手の入っている森や林よりも、自然環境は悪いのです。 手が入らなくなれば環境は悪化しつづけ、終いには禿山になってしまう可能性は高いでしょう。 つまり里山とは、人為的に砂漠化を開始し、人間にとって程よいと思われる所で 押し留めている状態で維持管理している存在だとも云えます。 それを放棄(手を加えずあるがままに)するという事は山を砂漠化する手助けをする事に他なりません。 >自然保護 現状維持という意味だけではなく、回復させる事も視野に入れた活動だとご理解して頂けるといいかも。ですね。

noname#133962
質問者

お礼

回答有難うございます。 >日本の森の大体約80%位は既に手の入った森です。原生の森や林は数えるしかありません。 とのことですが、そういう「人工の森を原生の森に変えること。」が日本における自然保護ではないでしょうか? この方面の活動はされておられるのでしょうか?

回答No.3

お世話様です。 <里山を保存する理由は?ですが あくまでも人類主導、人類にとって都合が良いだけの話かと思われます。 <自然保護というのは自然に手を加えずあるがままを保つというのが   大原則だと思うのですが ちょっとニュアンスが違うかと思われます。 理由 【自然保護】と言うのはあくまでも人間がいての事で 現在の環境を大きく変化させないという意味だと思われます。 あくまでも自然に任せると言う事であれば【自然保護】の定義は成り立たないと思われます。 (人間を排除してもしなくても) 【自然流動】とでも言いますかね!? (今の)環境(自然)は維持されず推移していくのもだからです。 気候変化や自然の驚異(火山噴火とか、、、) 例) 【湿原】 湿原とは、主に過湿な環境下で生育する草本や蘚苔類に覆われた陸地を指す。似た言葉に「湿地」があり、小規模な湿原、或いは浅い湖沼や水田、干潟等の陸地以外の場所も含んだ広義的な使い方をする。 湿原は主に浅い湖沼や潟などが次第に堆積物で埋まり、陸地化したものである。平地にある浅い湖沼は、周囲からの土壌の流入、それに水中や水辺の植物の生長につれ、それの生産する植物遺体などの堆積によって、次第に浅くなり、次第に陸化すると考えられている。このような湖沼→湿原→森林(陸地)と変化していくことを湿性遷移と言う。 長い年月の間に陸化していく途中の草原地域が湿原であるとも言える。 以上のことから時が経てば湿原は消滅し多くの湿原動植物は絶滅もしくは環境対応しカタチを変える。 自然環境も大きく変わる。 よって湿原の環境保護(自然保護)と言う事は【環境維持】(人為的維持)です。 <自然に手を加え無い>ことは湿原の消滅を意味します。 関連で人間が釧路湿原をそのまま放置して将来ただの陸地にしてしまう事はありえないでしょう。 この環境を守ろうとする、それは100%湿原の動植物のためになるかもしれないけれど、 地球全体を考えれば果たして、、、どこかにひずみが、、、!?難しいところです。 環境維持が成り立てば今の人間社会に都合がいい。 絶滅危惧種が守られる。しかし反面、進化(変化)、新種が出来難くなる!?と思われます。 しかしどこかで歪は必ず出てくるかと思われます。 (この環境下で勢力を伸ばすもの、衰退するもの、、、そのときまた人間の手が加わるこの繰り返しかと) 自然環境は微妙で難しいですね。 回答以外のところが長文で失礼いたしました。

noname#133962
質問者

お礼

回答有難うございます。 >関連で人間が釧路湿原をそのまま放置して将来ただの陸地にしてしまう事はありえないでしょう。 人間が手を加えなければ釧路湿原が無くなるなら手を加えることに賛成です。 しかし放置された水田は20年もたてば、元の森に帰るでしょう。その方が良いと思います。 (中には里山として保護観察するスペースがあっても良いとは思いますが) 結局どこまでやるのという匙加減の問題なのかも知れませんが

noname#155097
noname#155097
回答No.2

>自然保護というのは自然に手を加えずあるがままを保つというのが大原則だと思うのですが 人跡未踏の地を残す保護と、人間生活に便利な里山を保護するのとでは 全く意味が違います。 里山の保存は人間生活に有益な生態系を維持する。という意味で 大切というだけです。目的が全く違う。

noname#133962
質問者

お礼

回答有難うございます。

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.1

( ̄ヘ ̄;)ウーン難しい問題ですね 極端な事を言ってしまえば人間も動物 本能のままに喰いたいだけ食ってやりたい方だいして 環境を破壊し滅びるのが一番自然だと言う事も出来ますよね 人が手を入れない山奥などはそのままで自然治癒力が働き 自然を維持できるのでしょうが里山保護と言うのは 長年にわたり人間の手が入り生活用品としての山の産物を 利用してきた地域でありもはや自然治癒力を失っている場合が 多いので 人間が世話をしてやらないとその姿を停められないと 言う意味だと思います。 人間自体が居なくなれば長い年月をかけて地球は元の緑の楽園に 戻りそれが一番良いのかもしれませんがそれでは生類憐みの令では 無いけど人間は生き物ではないと言う事に成り本末転倒 そう思う事が人間のおごりやエゴなのかは 私には解りません><

noname#133962
質問者

お礼

回答有難うございます。

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