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この時期の社会の高校受験勉強法
- 効率的に社会の勉強をするための方法を教えてください。
- 過去問の解答と覚えていなかった年号をまとめることで効果的に社会の受験勉強ができます。
- 地理の勉強についてもアドバイスが欲しいです。
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続きです。 今度は寛政の改革について見てみましょう。完成の改革を行った人物は・・・松平定信ですね。彼は実は先ほど説明した徳川吉宗の孫に当たる人物でした。なので、立派な改革を行ったおじいちゃんを見習って彼も改革に着手したのです。それが「寛政の改革」です。彼は田沼時代の影響でグラグラになった商業と農業に重点置いたのです。ではどんなことを行ったのかというと、まず田沼時代でも言ったとおり、この頃は飢饉や災害などが相次いで起こりました。松平定信は災害はともかくとして、どうして飢饉が起こってしまうのか、その理由をまず考えたのです。 考えた結果、松平定信はある一つの答えを見出しました。それは、みんなが日頃無駄遣いをするからだと思ったのです。そこで松平定信はみんなに無駄遣いをなくし、常日頃から飢饉に備えるような生活を強いるようになりました。その一つとして、「囲米」を行いました。これは簡単に言えば、取れたお米の何割かを倉庫に保存して飢饉に備えるという方策でした。頭いいですね。 さらに松平定信は幕府の権威を維持するために、「朱子学」という学問を奨励しました。実はこの「朱子学」というのは主君を重んじる思想を強く表していたのです。幕府の権威を維持するためにはうってつけの学問です。そこで、松平定信は1790年に「寛政異学の禁」を出しました。これは「朱子学」を振興するために作った法令です。そして、その「朱子学」を学ばせるために「昌平坂学問所」を設置したのです。 一見素晴らしいことをしているように思えるこの政治ですが、実は大きな穴がありました。それは統制が厳しすぎたということです。学校でも何か規則に厳しい先生って何か嫌だし、あまり好きになれませんよね?それと同じです。この厳しい政治に人々は「白河の清きに魚のすみかねてもとのにごりの田沼こひしき」と風刺するほどでした。「白河」というのは定信が元白河藩主だったことをかけていて、こんなに綺麗な河(政治)には魚(民衆)だって嫌になり、昔の餌のいっぱいあった田沼(田沼意次の時代)の方がよかったといっているのです。 最後に天保の改革について見てみましょう。天保の改革を行った人物・・・それは水野忠邦ですよね。この方は享保・寛政の改革を理想としました。が、それを重視しすぎたためか、三大改革の中でも最も厳しく行われた改革で、そのためたった3年という短い期間でした。 彼はまず、抑えこめて来れなかった物価を調節しようと考えました。彼はなぜ物価が上がったのかをまず考えました。そして考えた結果が、「株仲間」が商業を独占しているため、やつらが利益ばかりに着手して値段を上げているからだと考えたのです。そのため、水野忠邦は「株仲間」を強制的に解散させました。が、しかし本当の物価の上昇の理由はそこではなく、飢饉などの影響による「品不足」が原因でした。さらに「株仲間」を解散させて事で逆に品物が流通しなくなり、結果的に物価はさらに上昇する自体へと招いたのです。 そして、彼の暴走は止まりません。彼は世相の状態の悪さをそこを納めている統治者の問題にし始めました。「もうお前らには任せてられん!俺自身でやってやる」といって、行おうとしたのが1834年「上知令」です。これは、江戸・大阪周辺の領土を直轄地化しようとした政策でした。ですが、当然領主などから強い反発にあい、水野忠邦は失脚することになったのです。 色々と長い説明をしてきましたが、このように歴史というのはただ暗記しただけでは覚えることは難しいし、仮に覚えられたとしてもその記憶は長続きしません。それが歴史というのは「記憶すること」ではく、「物語ること」・・・つまり、こういう歴史の流れを押さえることのほうが遥かに大切なのです。 当然、他の教科にも手をつけなければならないためそこまで深くやる必要はありませんが、確かこんな流れだったな、だからこの人はこういう政策をするんだな。だからこの年号だな。と結果的に一本の紐でつながるように覚えられるはずです。そうなるとただ暗記するよりも遥かに効率がいいと思います。 大学受験になると、歴史はもっと深いところまで学ぶことになりますが、基本的なところは全部一緒です。 公民についてはとにかくニュース・新聞等を欠かさず見ておくこと。 それと歴史は今まで説明してきたとおりのことを、自分なりに勉強してみること。 地理は・・・ちょっとよく分からないのでなんともいえませんが 自分がアドバイスできることといえばこれが精一杯です。がんばって受かってくださいね!
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こんにちは。高校受験ですか~・・・懐かしいですねぇ。 社会と理科は県内共通試験なのかな?自分は神奈川県で、そういう感じでした。ただ国語と英語と数学は独自問題だったので、結構苦しんだのを覚えています。質問者さんの受ける高校もそのような感じなのでしょうか?それとも、共通試験なのかな? とりあえずどっちにしろ、社会のことですね?まず、あれはこなす際にはあなたは新聞やニュースをよく見ておくことをお勧めします。というのは、実は社会の問題だけ、今の時勢に沿った内容の問題を出す傾向が非常に高いのです。 例えば、公民で言えば与党が自由党から民主党に変わりました。なので、民主党の議席数の問題や民主党首相についての問題、もしかしたら逆に自由党の問題も出るかもしれません。とにかく、常日頃から世の中の情勢を知っておくことで、問題は格別に解きやすくなると思います。 さて、問題なのは歴史ですが・・・ 【歴史叙述は物語る行為と不可分である】ということを念頭におきましょう。これは野家啓一の「物語の哲学」という文章から引用した言葉です。 どういうことなのか、簡単に言えばつまり、歴史は暗記科目ではないということです。これは大学受験でもいえることなのですが、歴史についてはあなたの暗記力を試しているのではない、あなたの歴史的思考能力を試しているということを忘れないでください。「歴史は流れ」とはそういうことなのです。 例えば日本史の分野で見てみましょう。ちょっと授業体系にして幕政の推移の部分を取り上げます。おせっかいかもしれませんが役に立てると嬉しいです。 享保の改革、田沼時代、寛政の改革、天保の改革。この四つの時代は高校受験でもかなりの確立で出ると思います。ですが、その四つの時代がそれぞれ何をやったのか、ということを教科書などで丸暗記したとしても、おそらく次の日にはほとんど忘れてしまうと思います。では、どのようにこれらの時代を勉強すればいいのかといえば、それはこの四つの時代がどういう性格を持っていたのかをまず知ることからはじめることです。 享保の改革を行った人物は・・・8代将軍徳川吉宗ですね。彼は「権現様仰せのとおり」と言って、曽祖父の「徳川家康」の政治を理想とし、改革に着手しました。 そうやって考えてみると、まず家康のように自分の家臣・・・つまり大名と旗本を統制しようと考えました。そして、大名に対しては「上げ米」を実施し、旗本に対しては「足高の制」を行いました。 また、吉宗は家康時代の幕府を姿を取り戻すためには、民衆の意見が必要だと思い、評定所前に「目安箱」を設置しました。これによって、民衆の意見を取り入れて幕府を民衆の理想の政治体系にしようと考えたのです。 そこで、民衆が一番不満に思っていたことが分かりました。それは何かというと、法律が不平等だということです。例えば、同じ罪を犯した人間・・・盗みを働いた人がいたとします。その人が極端な例で言えば朝廷だった場合罪は軽くなる、あるいは無罪になったり、その逆にその人間が百姓だったら、かなり厳しい罰を与えるというのが現状でした。 吉宗は「それはいかん!」と思い、朝廷、武士、民衆のためにあらかじめ決めておいた裁判基準を作りました。それが1742年「公事方御定書」です。 さて、今度は田沼時代を見てみましょう。田沼時代の時の政権を握っていた人物とは・・・田沼意次ですよね。彼の政治の性格はなんと言っても、「株仲間」ではないでしょうか? 「株仲間」とは商工業の同業組合のこと・・・つまり今で言う「カルテル」や「トラスト」みたいな商業を独占する輩のことです。田沼意次はこの「株仲間」を酷く奨励しました。では、なぜかというと、それは「株仲間」を認めることで、「株仲間」から多額の賄賂金を受け取ろうと考えたからです。これを「運上・冥加」というのですが、まぁそれは高校試験には出ないでしょう。田沼はそうした賄賂金を受け取ることで、商業を発展させると共に幕府の財政を閏わそうと考えたのです。ですが、そうした商業を独占するということは普通の民衆が商売を出来ないことへとつながります。そして、その上田沼時代には飢饉や災害も起こったため、民衆の生活が窮地に追い込まれ、多数の餓死者を出しました。
お礼
とても詳しく、ありがとうございます。 とてもわかりやすく、なるほど~っと思ってすごく興味を持って 読めました。 あとお礼おそくなりまして申し訳有りません。 たしかに、丸暗記もいいけれど、つながりでおぼえると、 すごく記憶に残りますね、 ココらへんはきっとテストで答えられると思います。 私のために時間を割いていただきありがとうございました。 詳しく教ええていただきありがとうございました。