人生の意味とは?自分の考えに疑問を持っています。

このQ&Aのポイント
  • 人生の意味とは何なのか、自分は曖昧な存在である神様について疑問を抱いています。
  • 友人が輪廻転生を信じている話を聞いて考えさせられました。自分は人間の意識や存在に意味を見出すことを疑問視しています。
  • 人間の存在や意味が個人の考えや意識によって決まるのか、その価値は本当に存在するのか疑問に思っています。しかし、その儚さからこそ人生を大切に生きるべきだとも感じます。友人との会話で意見が分かれましたが、自分の考えは間違っているのでしょうか?
回答を見る
  • ベストアンサー

こういう考えって、おかしいですか?

まず、自分は神様については非常に曖昧です。 居ると信じる人には確かに存在していますし、自分のように曖昧な奴には曖昧で、信じない人には居ない。そういう存在だと思っています。 次に、前に友人が輪廻転生を信じているという話を聴き、ついつい熱くなってしまい、自分が情けなくなりました。そういう考えだって、在ってもいいはずなのに。申し訳ない。 というのも、自分はそういうのって、「ずるくないか」と思ってしまうんです。本当に個人的な考えに偏りますが、人はただの生命体だし、意識なんてPCのメモリが切れちまうのと同じ感じで、意味も価値も何も無い。そういうのは人が定めたもんだし、真実ではないだろう。 けれど、そういうものだからこそ、大切だし、大事にしていけるのではないか?みたいに思ってしまうんです。ただの「人」だから、人生を己や周りに影響し、されて、息を引き取る。そこに確かに自分は「ここ」で生きていたか。それに対して満足したか。どうせ死んで意識も何も無くなるんだ。始めから自分の意思なんて関係無い。親がたまたま性交し、結果が俺だ。意味も価値も無い。それは確かに周囲の誰かには有るのかもしれないけど、結果としては俺にはなんでもない。憂鬱になるか?いやいや、だからこそ確り生きるべきなんだろう。そういう儚いものだから、人を殺してはいけないんだろう。それは身勝手だし、脆い者同士で潰しあっても意味が無い。だから人は不足を満たそうとするんだ。俺はそうなんだ。って考えています。友人に話した所、友人は「無味無臭になるからイヤ」と言っていましたが。これっておかしいですか?無味無臭ですか?そんな価値の無い生き方ですか?まだ二十歳にもなっていませんが、お願いいたします。

noname#228841
noname#228841

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#130919
noname#130919
回答No.4

問題は二つあるようですね。まずお考えの是非の問題があります。それから他人とのコミットの仕方についての問題があります。 有限だとわかるからこそ、今が大切だと思える――ということに質問者さんの意見をまとめればなるでしょう。失われると知ってこそ、大切なものに気付くという考え方は論理的です。「PCのメモリが切れるように」人の生が有限だということが分からないのなら、今目の前にあるものを大切にする気になどならないでしょう。 逆に大上段に、永遠だ、普遍だと議論を振り回す人の方が、限りあるということを甘く見ていて、身近な人を大切にできないということさえ起きます。私は個人的に、質問者の方の考えはまったく正しいと思います。 ただこの意見は質問者の方が周囲と話す時に、齟齬をきたすのが辛いというのが第二の問題のようです。おそらく神などいないという時、結論は短絡的なエゴイズムに終始すると先入観で判断されたのではないでしょうか。「神などいない。だから俺は好き勝手に生きる」的な議論だと危惧されたのではないでしょうか。 でも質問者の方の論点は別のものを含んでいると私は考えます。それは上に述べたように、有限を認めるとは自分についてだけではなく他に対してでもあって、これによって限りある相手の存在の貴重さも認められるということです。 無味乾燥でもないし、おかしくもないから、自信をもって、自分の考えを生きてみることが必要だと考えます。「そういうものだからこそ、大切だし、大事にしていけるのではないか?みたいに思ってしまうんです」という言葉の中身を示すように生きてみたらどうですか。たとえば、その友人のこともどう大切にできるか考えてみても、よい経験にはなるでしょう。就職したり、先を考えると誰かと友人であったり話相手でいられるのは、ほんの一時のものです。その方との付き合いも限られたものでしょう。 今は他人を論破して自分の正しさを確認したい、他人に認めてもらいたい、という欲求がもしかしたらあるかもしれません。しかし質問者の方との交流が豊かになれば、相手は自ずと質問者の方の生き方を認めるだろうと思います。 神などいないと言って有限を認める時、すべてのお付き合いは一期一会です。無限がないということは、有神論よりも緊張感をもって毎日に臨むということになります。相手に甘えてだらだら時間を費やしたり、配慮しないということは許されなくなるでしょう。 ラディカルな他者への配慮という点で有限性を捉えられるのなら、それは一つの愛情をもった生き方であり、価値あるものだと私は考えます。ただ配慮の問題は生活習慣にも振る舞いにも関わるものですから、理屈だけではなく、若いころから積み重ねていくものであるでしょうね。それが今問われている第一歩というところなのでしょうけれど……。 頑張ってください。

noname#228841
質問者

お礼

とても嬉しいです。 大変ありがとうございました。 そうですね。「今」を無駄にしないように生きていきます。 次に、自分を磨いて、悔いの無い生き方をしていけるように経験値を積んで行こうと思いました。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.5

 こんにちは。  《神》あるいは《信じる》ということについてあいまいである――ここから思案が始まっている。のではないでしょうか。  そもそも 同じ DNA の人間はいません。つまり《輪廻転生》をめぐってのことですが それはまんが以外では成り立ちません。  神については  ★ ~~~~~~~~~~  まず、自分は神様については非常に曖昧です。  居ると信じる人には確かに存在していますし、自分のように曖昧な奴には曖昧で、信じない人には居ない。そういう存在だと思っています。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ ほぼそういうことだと思うんですが 最後の一触れがまだなおあいまいであるようだと思います。  すなわち《信じる》という人間の行為は その対象が有るか無いか分からないから成る行為だということです。  《居る・居ない》というのは 《その対象が分からない つまり 分かるか分からないかが分からない》ので 仮りに《有る》もしくは《無い》とそれぞれ自由に想定してそのあと――言語習慣として――有るならその対象を信じるとなりますし 無いなら信じないとなります。言いかえると 有神論と無神論とは 互いにまったく同等の《信じる》という行為なのです。  つまり無神論は 《無い神を信じる》と言うのと同じことです。仮りの想定から始まっていますが それが言語習慣としてなら 人間の現実であるのです。しかもむろん 信教・良心の自由という公理において その自由がみとめられています。  ということは とどのつまりに  ★ 〔神について〕自分のように曖昧な奴には曖昧で、  ☆ という第三の立ち場があるか? こういうもんだいになります。  これはまづはっきり言えることは 《神について 有るとも無いとも自分の見方を明確には決めない》という立ち場であることです。  言いかえると 《考える》という行為ではなくそれを超えたところにおこなわれる人間の行為 つまり《信じる》とはどういうことか? これについてあいまいであるということではないでしょうか?  神ないし信じるということは 非思考だということになります。非思考の場が 人の心にはあって しかも《考える〔結果としての判断〕》を超えて あたかも賭けのごとくに 《われは神を信じる》かあるいは《われは神はないと信じる。われは無い神を信じる》かいづれかを人はえらぶということになるようです。    もっとはっきり言えば 神は《無根拠》です。《なぞ》です。《人間のおこなう一切の経験思考を超えている》そのような心の非思考の場のもんだいです。  ですから 《無根拠》であるゆえに たとえばあなたなら《信じない》と言ってしまえば 友だちらからもあいまいさは消えることでしょう。無根拠ゆえに信じるという立ち場もある こう認め合っていれば もう問題は起こりません。  ちなみに 神は有るという立ち場の人びとが さらにこの神を何と呼ぶかで 世界にはいろんな有神論のかたちがあるようです。ですが ヤハヱーと言おうがキリストと言おうが アッラーフと言おうが ブラフマンと言おうがアミタ―ユス(阿弥陀仏)と言おうが・・・ すべて互いにまったく――そしてさらに無神論の《無神》とも――同じひとつの《信じるの対象(もしくは非対象)》だということになります。《ひとつの》というのは《全体として本質として同じ》という意味です。  どうでしょう。  あとは この原点から出発して行かれることでしょう。

noname#228841
質問者

お礼

脳たりんな自分でも、なんとか理解できた様に思います。 認め合い、尊重し、自分でできる最大限で理解しようと努めます。 先走りの思考をしてしまった事を悔やみます。 そして、ありがとうございました。頑張ります。

回答No.3

この質問は、とても答えにくい。なぜなら、対象としている宗教は、一応仏教と言うことにしておきますと、仏教が言っている生命感って、死んだら終わり、と言うような薄っぺらい教えではありません。だから、話がかみ合わないのです。信じなくても良いので、少しは仏教を学んでからでないと、質問も的確になりませんし、お友達の意見も理解できないと、結局、正しい反論ができず、頭ごなしの否定だけになってしまいます。 質問者さんの質問も過去にいろんな人が疑問を感じ、それに対して仏法に詳しい人がきちんと説明しています。 納得するかどうかは別にしても、仏法のイロハぐらいは、知ってないと、お友達の言っている「無味無臭になる」という意味も伝わってないのではないかと思います。同様に「価値」という言葉を用いておりますが、価値、価値観だけでも本が一冊書けるくらいの知識がないと、本当に理解されているか疑問です。 例えを変えますと、ここは、哲学カテゴリーですが、私は哲学は知りません。恐らく日本人のほとんどは、学んだことがないか、身に付いていないか、役立たせていないかのいずれかで、はっきり言って一部の研究者や特別な人だけにしか意味のない学問で、大きくの人には、役立っていません。だから哲学は意味のない学問で、価値がありませんから、存在しなくてもいいわけです。 これ、正しいですか? 輪廻転生は意味がない、と言うことと50歩100歩の質問だと思いますが。

noname#228841
質問者

お礼

確りと物の理解を深めるべきだと思いました。 ・・・もうしわけありません。 しかし、ご指摘頂いた事と、回答して頂いた事に大変感謝しています。 ありがとうございました。

回答No.2

あなたはまず、【自分が存在する意味】を求めようとしています。 「死ねば無くなる」‥‥そうかも知れません。 しかしそこに逃げ込んで、「自分の勝手」、「他人の自由」レベルで思考停止したのでは、【『自分』以外(世界)が存在する意味】を知る事はないでしょう。 そこ(自我仮説と相補的に対発生する時空仮説)にこそ、「存在する意味」を超えた「生きる意味(他我性=愛)」があるのに。

noname#228841
質問者

お礼

そうです。俺は自分の価値が欲しいんです。 しかし、伸び白も薄く、何より判断能力が低いのです。 そして、俺は結局、なんと言われようとそういったものへ寄り添うという事は出来ません。信用するというよりも、一種のトラウマがあります。 結果として、友人を否定し、彼の素晴らしい人格を否定してしまっている事になってしまいました。この点には今更ながら申し訳なく思います。 自分は、自分で律していこうと思います。神様を信じる人が居ても、輪廻転生を信じて日々を生きる人が居ても、批判も迫害も決してしないように生きていきます。そして、自分が自分で肯定出来るような日が、出来れば死ぬ前に、いや、殆ど無いでしょうが、それでも生きていこうと思います。回答して頂き、大変ありがとうございました。自分は愚か者なので、こういった素晴らしい回答は大変助かります。情報を知れるというのは、素晴らしいことなのですね。

  • 6186move
  • ベストアンサー率47% (76/160)
回答No.1

人も動物も,生まれて,食べて,動いて,育って,パートナーを見つけて,巣を作って, 子孫を残して,働いて,老いて,死んでゆく。 ただそれだけの同じような存在に思えますね。 果たしてその存在に何の意味があるのか。疑りたくもなります。 人間は高等動物といわれますが,何が高等なのか,考えたことがありますか。 人間と動物の違うところ? 一つは信仰心や宗教かな。 動物やペットが手を合わせたり祈ったりしているところは見たことがないからね。 進化論によれば,我々は偶然発生し,偶然存在し,偶然今のような生命活動をするようになった。 これからも適者が生存し,弱ければ淘汰されてゆく。 存在に理由や意義はなく,未来も偶然によって決まることになる。 進化論に疑問を持たない人は,すべてが偶然の産物だと考えて, なるようにしかならないと考えるでしょうね。 でも信仰心のある人や神(キリスト教の聖書が説く創造者)を信じる人は, 自分を含む人間は単なる偶然の所産なのでなく, 目的をもって創造された人類の子孫のひとりであると考えるようです。 だから人生には目的があるはずだ!というわけです。 何が真実かは,何を信じるかによって決まるようにも思えます。 でも相反する考えのどちらも真実だというのは考えにくいので, それを考え抜くことで,あなたも答えを見つけることができるかもしれませんよ。 前述の相反する考え,それは人の存在は進化(偶然)によるものか, それとも創造(意図的な設計)によるか,ですから, それを考えてみると良いかも,と思いました。 私なりの考えはありますが,自分で探求することに意味があると思います。 若い方のようですから,焦らずに考え続けてゆかれると良いと思います。

noname#228841
質問者

お礼

ありがとうございます。 どれも決して100%ではない。 けれど、それを責めるのはいけない。 迫害も否定もいけない。みんな違って良い。 ありがとうございました。 しっかり足を地に着けて上を向いて歩いていきます。

関連するQ&A

  • 輪廻転生肯定派の方に質問

    今現在輪廻転生を肯定されている方は多いと思いますがその理由を教えていただけますか?私は何人か霊的な物が見えたり感じたりする方に出会ったことがありますので死後の世界は絶対にあると思いますが輪廻転生については出会った方々の中でも意見が分かれます。ある方は人が死んでも生まれ変わらない、またある方は輪廻転生は存在する。現在輪廻転生についての研究や本などが存在し、実際本当にあるかもと思うような実例があり個人的には輪廻転生はあると思う様な気がします。そこで何か今より輪廻転生があるなと思えるようなお話をお願いします。

  • 輪廻転生以外の生まれ方

    輪廻転生を是認している人がおられます。 そうだとすると、人口がどんどん増えているのですから、輪廻転生以外でこの地上に生まれてきている方も多いという事です。 人間の輪廻転生以外で生まれてきている方の前の存在は何だったのでしょう?

  • 「輪廻転生」とはどのようなことを言うのでしょう。

    私がどうしてもわからないのが「輪廻転生」です。「輪廻転生」とはどのようなことを言うのでしょうか? ブッダの生きた時代はバラモン教が主流であり「輪廻転生」は当たり前の概念だそうですが、ブッダは「輪廻転生」について何か述べたのでしょうか? 述べなかったでしょうか? ある本には、悟りを開いて「輪廻転生」のループから脱するのがブッダの教えであるとも書いてあります。普通、日本で「輪廻転生」と言うと、肉体と魂は別々で、肉体は滅びても、魂はまた別の肉体で生まれ変わるというような事ですよね。 ブッダは人間が生まれ変わるというようなことや、魂と霊魂とか・・・は、しょせん事実関係が証明できないことだから、そのままにしておきなさい!と教えています。 また、自分と言うものに実体はない?と言うことも述べています。自分に実体がなく存在していないなら生まれ変わることもないはずです。 つまり「輪廻転生」とブッダの教えはどう考えても容認し合えない思想かと思います。 それとも、バラモン教の「輪廻転生」とブッダの「輪廻転生」は全然別物なのでしょうか?

  • 魂の存在について

    人は何故、「命」や「魂」「輪廻転生」と言う存在を作り出したのか。 個人的にコレらの概念については否定的な立場ですから、幾ら考えても納得出来るものが浮かびません。 もし宜しければ皆さんの考えをお聞かせ下さい。

  • すべてが消滅したら

    神の存在を信じる人、または輪廻転生を信じる人に質問したいです。 もし、地球上のあらゆる生命体が消滅したら、人間は永遠に魂だけの存在になるのでしょうか。また、この場合でも輪廻転生を立証できますか?

  • 輪廻転生について

    仏教を独学で勉強しています。まだ、初心者ですので判り易くご説明いただければと思います。 私の疑問は、輪廻転生を釈尊はどのように考えていたのかということです。 1.否定しないで悟りへの方便として利用したのか。 2.縁起の考えにより、生前の行いの結果転生すると考えたのか。 3.物質からできている肉体は滅びても分子レベルで分解され、再び他  の生物を構成する物質の一部として生まれ変わると考えたのか。 1-3とは全然違う考えなのか。  そもそも、疑問に思ったのは、「業(カルマ)によって、人は転生する事を仏教では、苦であるとする。解脱することによって輪廻転生から開放される。」と解説書に書いてあったからです。  解脱は精神作用だと思うので、輪廻転生が物理的現象であるとするならば、開放されるなんてありえないと思ったのです。

  • 輪廻転生について

    輪廻転生について色々調べましたが人は魂の修行の為輪廻転生しているので使命を持って生まれて来るとか、今世は前世の自分が決め前世の影響がかなり影響しているとか、人は人にしか生まれ変わらないとか、人はほかの動物に生まれ変わる可能性もあるとか、ほかの世界に生まれ変わるとか色々な説があります。自分なりにまとめてみると  ・輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。(動物にはならない)  ・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される  ・来世はある程度自分で決められる。 簡単すぎますがこのような結果になりました。ポジティブに考えれば夢をかなえるチャンスは人間界にいる限り永遠にある。ネガティブに考えれば課題がたくさんある。 あくまでも輪廻転生肯定派の意見ですがどう思われますか?あと、まだまだ勉強不足なので何かお知りであれば教えてください。    

  • 輪廻転生について

    素人の質問ですみません。 輪廻転生の考えは主に仏教の教えなのでしょうか。 キリスト教や哲学の考えには存在しないのでしょうか。 ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

  • 輪廻転生について

    昔の誰かの生まれ変わりだとかいう人の番組があったり一般的にも今度生まれ変わったら同じ人と結 婚しますかとか言われたり来世までうらんでやるとか言ったりとか、輪廻転生を認めてるようなところ があると思います。宗教的にはそう信じられているからしょうがないと思いますが本当に輪廻転生が あるんでしょうか?もしあるんだったら大昔の人口と現在の人口を比較すると全く数が合わなくなり 輪廻転生の考えが成立しないと思いますがどうでしょうか?人間の魂が分裂するんでしょうか?

  • 輪廻とキリスト教

    輪廻転生という考え方は、仏教のもののようですが、キリスト教にも 輪廻という考え方はあるのでしょうか? キリストは死んだ後1度蘇ったという話を聞きますが、それとこれとは 関係がないのですか? 教えてください。 もし、キリスト教にそういう考えがないとしても輪廻を信じる人は いるものですか?聖書以外にある信念は信じてはいけないものなんですか?