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芥川龍之介『英雄の器』
芥川龍之介『英雄の器』の言わんとする ところをどなたか解説してくださいませんか。 お願いします。
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劉邦はどちらかというと、天命に従って勝ったわけですよね。一方項羽は、天命によって負ける定めだったわけですが、にも関わらずたった28騎で天に逆らったわけです。だから「英雄の器」なんだ、と言っているわけです。 「天と戦って負けを認めた」のではなくて「天命を悟りながらなお戦った」というのが正しい。 つまり、劉邦が項羽に勝てたのは天の助けがあったからだと言っているわけで、自分の勝ちに酔っているシーンではないのです。 どちらかというと、好敵手への敬意と、それがいなくなったことへの寂しさみたいなものを感じ取った方がよいのではないかと思います。
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- rkd4050
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秦から前漢にかけての中国史はご存じでしょうか? 項羽は劉邦に敗れて後、そのまま敗走して再起を計ることもできたのですが、敗走の途中で突然気が変わり、特攻を仕掛けて戦死したのです。 名場面ではありますが「ここで死ぬ必要はなかったんじゃないの?」と疑問を抱く箇所でもあるわけです。それに対する解釈の話です。 劉邦は項羽に何度敗れてもしぶとく生き残って、最後に勝利をもぎ取りましたが、項羽はたった一回破れただけで諦めて戦死しました。そんな男に英雄の資格はあるのか? という議論なわけです。 ここまで読んで分からないなら、元の話を知らないということでしょう。横山光輝『項羽と劉邦』もしくは『史記』などの漫画でもいいから、読むと理解しやすくなると思います。
補足
ご回答ありがとうございます。 恥ずかしながら、劉邦の「だから、英雄の器だったのさ。」の言葉で私は混乱してしまったのです。 このような解釈でよいのでしょうか。「項羽は天と戦ったのだ。そして、負けを認めたのだ。だから、『英雄』といえる。私は、その項羽に勝った。私は『英雄』に勝ったのだ。」 よろしければ、再度ご回答くださいませ。解釈がずれていましたら、ご指導ください。
お礼
そうですね。勝利に酔う場面というなら「じっと秋をまたたいている燈火の光を見た」も「半ば独り言のように徐に」もまったく生きませんね。納得いたしました。 丁寧にご回答くださって、本当にありがとうございました。