これからの学校生活の意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 学校生活は辛いことが多いですが、正直ここでの生活がここまで有意義な物になるとは思っていませんでした。
  • 自分は、何かに向けて道筋を立てて考え、行動するのは得意な方ではありません。
  • これから先の、長い人生を生きていく中で自分の進むべき道をしっかりと見つけることができたら、それはとてもうれしいしすばらしいことだ。
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作文の添削をお願い致します。「これからの学校生活」

7割程度に端折りたいのですが、どうしても文が崩れてしまいます。 どうか説得力が下がらない程度に、引用の上加筆・訂正をと思うのですが、宜しくお願い致します。 =================== 前にも似たようなテーマで作文を書いたような気がします。あの時は確か、毎日の生活が惰性のように、ただ何となく暮らしていました。しかし、学校生活に復帰して間もないある日の放課後から、それまでの生活が大きく変わりました。ある事について相談されているうちに次第に仲良くなり、それまで自分は様々な先入観を持って接していた人がまるで別人みたいに自分を受け入れてくれた嬉しさを感じ、それをきっかけとして他の生徒とも会話をするようになり、信頼できる友達が出来ました。それ以来、学校へ行くのが楽しくなり、今までパソコンだけに逃げていた自分は、顔を合せて他人と会話する楽しさというのを改めて知る事になりました。それまでの考えとは別に、居心地の良い場所になるか、悪い場所になるかは、周囲の環境だけではなく自分の行いや努力がとても大切だとそのとき強く実感しました。  しかし最近になって、様々な問題が起きて自分ではどうしようもなくなっていました。以前に比べて相手を思いやるという気持ちは少しずつ増してきたように思えるが、それと引き替えに様々な思いが詰まりきった毎日が続きました。またクラスから一人減るということは予てより聞いていて、学校に復帰した頃にはクラスメイトが一人減っているという現実について直面しています。  自分を変えるということは、簡単なように思えて意外に難しい。しかし、ここでの生活で悔いを残さないために、やらなければならない事がまだたくさんあります。そして、これからの人生を豊かで楽しいものにするために、自分の居場所は日頃の行いで作られるという事は前の出来事で経験済みです。 自分は、何かに向けて道筋を立てて考え、行動するのは得意な方ではありません。一体これからどういう生き方をするのか、人とどのように関わりを持てばいいのかという事も含めて、これから先の生活もマイナス思考だけでは乗り切る事ができないと強く思いました。何をすべきなのか、行動に移すことがその中で自分の本当の居場所と人生観を見つける事ができるのだと思います。 学校生活は辛いことが多いですが、正直ここでの生活がここまで有意義な物になるとは思っていませんでした。とりあえず入学して適当に過ごせば良いと考えていたのが、ここで出会った人やここで学んだものは自分の人生でかけがえのないものになると思いました。 これから先の、長い人生を生きていく中で自分の進むべき道をしっかりと見つけることができたら、それは とてもうれしいしすばらしいことだ。自分は学校生活を通して、そのきっかけを少し学び、これからも卒業までしっかり考えて、前向きに善処したいと思います。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#130919
noname#130919
回答No.2

おそらく中学生なのでしょうね。これは反省文なのですよね。それをネットで添削してくれというとは……少し呆れます。 「説得力」といいますが、正直、元の文章を読むと、何を説得したいのかが、まずわかりません。次のプランに沿って、かなり文章を整形しました。 (1)友達と会話するようになった経験で自分が変われたこと (2)それでもうまくいかなかったこと (3)今後どうしたらいいか 主語は公式文章なら「自分」はやめて「私」にした方がいいでしょう。きちんと書くのも反省を伝える大切な要素です。また最後の「善処」という言葉は横柄だと受け取られ、先生が読んだらブチ切れると思うので、やめた方がいいでしょう。 細かい文法ミスを指摘したらきりがありませんが、「どうしても文が崩れる」というより、適当に書いて、あとはネット添削に任せるという態度に見えました。しかし将来的にちゃんと頑張るのかもしれないと思い、お手伝いすることにしました。 以下は700字程度です。 ――――――― 前にも似たテーマで作文を書いた気がします。あの時と比べれば私は変わりました。前までの私は、考えもなく、ただ何となく日々を暮らし、私は現実との交流を避け、パソコンに逃げ込んでいました。 しかし、ある時から、私の生活は大きく変わりました。一人のクラスメイトの相談に乗ったことをきっかけに級友らと会話をするようになり、信頼できる友達が出来ました。私は顔を合せて他人と会話する楽しさを改めて知る事になりました。学校は楽しい場所に変わりました。今いる場所が居心地の良い場所になるか、悪い場所になるかは、周囲の環境だけではなく自分自身の行いや努力がとても大切だと実感しました。 ただし最近、様々な問題が起き、自分の力ではどうしようもなくなっていました。以前に比べて相手を思いやるという気持ちは私の中で少しずつ増してきたように 自分では思います。しかし自分を変えるということは、口で言う以上に難しかったのです。自分を変えようとする一方で、私の気持ちはどうしようもなく行き詰まっていました。それは私の未熟さだと反省するところです。 自分がするべきこと、自分の本当の居場所、人生観、これらは、実践的な行動の中でこそ見つけることができるのだと思います。しかし私は、何かに向けて道筋を立てて考え、行動するのが得意ではありません。自分を変えるためには消極的な思考パターンを能動的なものにきりかえることが私には必要だと思います。私はそのきっかけを、今後の学校での生活を通して得たいと考えます。私は学校に復帰した後、クラスメイトが一人減っているという現実に直面することになるでしょう。学校生活は辛いことが多いです。しかし学校での日々に悔いを残さないために、やらなければならない事が私には、まだたくさんあります。今の気持ちを胸に刻み、卒業まで、真剣に取り組みたいと思います。

その他の回答 (1)

  • foolboy
  • ベストアンサー率23% (34/146)
回答No.1

辛口で添削したいと思います。その方が良いと思いますので(もし気分を害されたら申し訳ありません)。 まず全体的に読みにくいです。自分で作った文章は、自分が言いたいことがわかっているので、多少変な表現でも理解できてしまいます。ですので、なかなか難しいことではありますが、自分が第三者になったつもりで読み直してみることをおすすめします。また文体も統一した方が良いでしょう。「ですます」調と、「である」調が混ざってます。 以下からは、気になった点を羅列していきます。 ・「前にも似たようなテーマで作文を書いたような気がします。」 →これは必要な1文なのでしょうか。後々に必要な文章には見えませんが。 ・「あの時は確か、毎日の生活が惰性のように、ただ何となく暮らしていました。」 →もし最初の1文を削るならば「以前は、毎日を惰性で、ただ何となく暮らしていました」とでもしてみては如何でしょうか。削らないにしても「あのとき」は不適切な表現かも知れません。「時」は一時的な時間を指すので。また「あの」よりも「その」のほうがいいですね。ですので「その頃は」とした方が良いかも知れません。 ・「学校生活に復帰して間もないある日の放課後から」 →これでもいいかもしれませんが、「学校生活に復帰して間もない、ある日の放課後から」と読点を入れた方がわかりやすいかもしれません。 ・「ある事について相談されているうちに次第に仲良くなり、それまで自分は様々な先入観を持って接していた人がまるで別人みたいに自分を受け入れてくれた嬉しさを感じ、それをきっかけとして他の生徒とも会話をするようになり、信頼できる友達が出来ました。」 →わかりにくい部分の1つです。「それまで自分は様々な先入観を持って接していた人」から「ある事について相談されているうちに次第に仲良く」なったのですから、ここは文書が逆です。「私がそれまで様々な先入観を持っていた人から、あることについて相談を受けているうちに、次第に仲良くなり」とすべきでしょうか。「まるで別人みたいに自分を受け入れて」の部分はよくわかりません。「自分が思っていた人物像とは違う人だと言うことがわかった」ということなのか、「それまでの自分に対する扱い方がかわった」のかがわかりません。 ・「それ以来、学校へ行くのが楽しくなり、今までパソコンだけに逃げていた自分は、顔を合せて他人と会話する楽しさというのを改めて知る事になりました。」 →「パソコンだけに」は「パソコンに」で良いと思います。 ・「それまでの考えとは別に、居心地の良い場所になるか、悪い場所になるかは、周囲の環境だけではなく自分の行いや努力がとても大切だとそのとき強く実感しました。」 →「それまでの考え」が示されていないのでよくわからない文章になっています。「それまでの考え方が変わった」ということを書きたいのであれば、「それまでの考え方とは別に」というのは不適切ですよね。「それまでの考え方」と今の考え方が両立しているということになるので。 ・「以前に比べて相手を思いやるという気持ちは少しずつ増してきたように思えるが、それと引き替えに様々な思いが詰まりきった毎日が続きました。」 →「詰まりきった」はよくわからない表現です。「詰まった」で良いと思います。また「思えるが」は文体をですますにするならば「思えますが」にした方が良いでしょう。また気持ちが増してくると、良いところ以外(様々な問題)も見えてきた、ということを言いたいのだと思いますが、ここで「それと引き替えに」という表現は適切ではない気がします。 ・「またクラスから一人減るということは予てより聞いていて、学校に復帰した頃にはクラスメイトが一人減っているという現実について直面しています。」 →必要な文章でしょうか。ここで何が言いたいのかをもう少し詳しく書いた方が良いでしょう。あと、「また」がどこにかかるのかがわかりにくいです。「以前もクラスメートが減ったが、また今回も減る」のか、前文を引き継いで「また一方で、クラスから~」ということが言いたいのか。わかりやすくするために読点が必要かも知れません。 もう少し書きたかったのですが、字数制限があるので、これ以上は無理のようです。 最後にもう1つ書いておきますが、書いている内容がぼかされているので、元々わかりにくい内容です(プライベートなことをそこまで書きたくない、ということなのでしょうけど)。それを書こうと思ったらわかりやすいように書かなければ非常にわかりにくいものになるので、気をつけて書きましょう。

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