- 締切済み
中国の計画経済期の都市部の就職難について
中国の計画経済期の都市部の就職難について 計画経済期(1949年から約30年)の中国の都市部では就職難で、多くの知識青年が農村に下放されたと聞きます。 私がみた資料では知識青年の約8割が下放されたとありました。 そんなにも多くの知識青年を下放しなければならないほど、都市部では就職難だったのですか? 就職難がどの程度であったかを示す資料や、その後と対比できるような資料もあると助かります。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yanhua
- ベストアンサー率72% (508/701)
私は研究者ではありませんが、当時の中国にまつわるいくつかの書籍や文書を読んだ結果、私の理解と感性では: 共産党関係者(末端まで)は、都市・農村とも中央が統制していましたし、学校、病院他もろもろの公共機関職員も同様でした。都市部の一般住民も住宅は与えられ(指定され)配給はあったわけですから生活はできました。政策の失敗に起因する飢饉などで、量と質の低下や金銭の遅配・不払いはあったようですが、それは国家が貧しいことに他なりません。その中で、毛沢東は政治勢力挽回と民衆の不満の解消そして求心力回帰のため文革をしたのはご承知の通り。民衆の不満の仕向け先として文革→紅衛兵→下放と推移しましたが、結果的に10年間に亘る文革の異常事態の中で、正常な経済運営はあり得ず、国家が破綻していたも同然。従って、就職難といった概念でなく、まともな職場がないことの問題に過ぎない(とんでもないことですが)というのが実態だったと考えます。当時において、共産党幹部であっても骨肉の争い、幹部とのつながりによってのみ出世があり得た社会です。経済が不調で就職先がないのとは異なり、この国には(共産党以外のまともな)仕事はないのか、という問題であったろうと考える次第です。結果的に都会の若者が職の有無に関わらず田舎へ送られましたが、毛沢東の発想の原点は、無職青年が溢れているからではないと思います。都市の頭でっかちな若者は自分にとって危険分子ないしその種だったのです。思想改革の名の下に自分のために人民を犠牲にしているなどの自覚は全くなかったでしょう。 よって、私は、「計画経済期の就職難」の概念には俄かに賛同できないのですが、以下にご参考資料です。 [包下来 中国 就業|就職] で検索をお勧めします。 以下に何点か例示します。他にも有用なものがあると思います。 なお、“包下来”はかつて行われた一括雇用政策のことです。 ざっと見たところ、明確に都市部と農村部を区別していませんが、当時の政策がそうだったと理解すべきなのかも。 ■就業の多様化と規模の拡大 http://educationchina.blog63.fc2.com/blog-entry-11.html 要点引用: (一)旧中国が残した失業者の就業問題を素早く解決 新中国成立の初期、全国の都市・市街部の失業者は474.2万人、失業率は時に23.6%にも達した。~ 多種の安定した職業を採用して失業者を減らす措置を行った。まず旧政府の公務員と官僚資本主義企業の従業員に対し「包下来」政策を実施し、・・・・ (二)「三結合」就業政策の実施、「返城知青」の就業問題解決 公共経済の発展の中、わが国は徐々に「?包?配」の就業管理体制を確立していった。この体制の特徴はすべての労働者が国家の統一的な調整に基づいて配置されるというものである。この手の就業管理体制はわが国の就業問題を解決するという意味で非常に重要な影響を与えた。・・・・・ ■ 建国期中国における就業政策の転換点 : 1956年「農業発展綱要草案」の位置づけを中心に http://jairo.nii.ac.jp/0008/00000774 要点引用:建国初期から1957年にかけての中国においては,資本主義国とはちがって「自発的意思」と「民主管理の原理」にそった失業対策事業や生産自救工場設立などの多様な実験が展開された。~。1957年には採用から配転まで国家が丸抱えするという「統一採用・統一分配」制度が敷かれるとともに,都市余剰労働力を農村に送るという就業政策の転換が起こった。~ さらに文革期(1966~76年)には1,700万人に及ぶ青年の下放政策が採られるが,実は1956年1月の「農業発展綱要草案」がそれらの起点となっている。 本文: この頁の「本文を読む」直下URLから入ります。 ■内容未見ですがひょっとしたら、 現代中国経済論 : 過渡期経済と文革期経済批判 本橋渥著 激動する新生中国の苦悩を刻んだ四十年に及ぶ中国研究の論文集。 [目次] 第1部 過渡期経済の諸問題(中国における社会主義的発展の特質 中国における資本主義の絶滅について 中国工業化政策の発展と人民公社 中国経済における成長とバランス 中国における社会主義経済理論の形成〔研究ノート〕) 第2部 文化革命期経済の批判(文化革命と中国の経済政策 中国経済現代化の諸問題 「劉少奇批判」の経済論的再検討 毛沢東経済論の軌跡と文化大革命 文革後期の経済政策) *所蔵館情報 http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/8063813.html 頁下部から、国会図書館、公共図書館の蔵書保有状況へ。 なお、市販図書ですので購入も可。
- bigcat1969
- ベストアンサー率70% (7/10)
どの程度であったか、資料がなかなか見つかりません。 逆に、就職難と言われない論述が発見しました。下記のURLをご参照ください http://mzd.wyzxsx.com/Article/Class17/201007/3250.html(中国語)
お礼
またまた回答ありがとうございます。 自分もかなり探しましたが、どの程度就職難問題が深刻であったかはさっぱり見つかりませんでした。 就職難ではない、という意見もあることをはじめて知り参考になりました。
- bigcat1969
- ベストアンサー率70% (7/10)
そんなに多くの知識青年を下放したことがありますが、就職難と関係なく、政治の原因だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに文革の時期ということで、若者を都市から追い出したい、という政治的要素もあったと思います。
補足
しかし、実際に都市部では就職難問題も起こっているようです。 この就職難問題がどの程度だったのかが知りたいです。
お礼
回答ありがとうございました。 やはり就職難というよりも、政治的動機が大きかったのかもしれませんね。 いくら探しても文革の時期の失業問題に関する研究が見つからなかったわけがやっと分かりました。