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日蓮聖人の言葉の根拠について教えてください。

日蓮聖人の言葉の根拠について教えてください。 日蓮聖人は中国天台宗の六祖・妙楽大師が華厳宗の賢首大師法蔵や国涼大師澄観は「才能ある畜生」と痛烈に批判したと云う旨の事を言ったと仰せですが、具体的には妙楽大師のどの著作の何処に書かれているのかを教えてください。 また、日蓮聖人は国涼大師澄観が天台の一念三千の法門を盗んだと主張していますが、その確かな資料はあるのでしょうか?

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回答No.1

>>「才能ある畜生」 ⇒これの出処は『法華五百問論』みたいですね。 >>日蓮聖人は国涼大師澄観が天台の一念三千の法門を >>盗んだと主張していますが、 >>その確かな資料はあるのでしょうか? ⇒こういったことに関して「明確な証拠」を求めることは ⇒難しいでしょう。 ⇒なぜなら、こんなところで示せるぐらいに明らかなもの ⇒であれば、日蓮聖人以前に誰かが指摘していてもおかし ⇒くはないからです。 ⇒論拠がないわけではないでしょうが、少なくとも小論文 ⇒が書ける程度の論考を用いなければ、納得できるような ⇒回答にはなり得ないと思います。 ⇒私からヒントとして言えるのは「日蓮聖人はどのように ⇒して法盗による同じはずの一念三千を破折したのか」と ⇒いうことぐらいですかね。 ⇒これを突き詰められないようでは根幹的な部分で理解が ⇒及ばないことになりますし、逆にそういった教学的見地 ⇒をお持ちであるからこそ上述のような疑問に突き当たら ⇒れたのだと思います。 ⇒もう少し掘り下げた回答が必要であれば捕捉いたします ⇒が、そんなに単純なものではないことだけはご理解して ⇒いただきたく存じ上げます。

danngare1984
質問者

お礼

『法華五百門論』を早々に調べてみたいと思います。 「才能ある畜生」の言葉があるのか、ないのか。また、その言葉が清涼国師澄観に向けられたものだったのかどうかについても。 調べる足掛かりを教えてくださった貴方様に、心からお礼を申しあげます。 敬具

danngare1984
質問者

補足

xNekoNyanX様、早々の御回答有難うございます。 「才能ある畜生」のでどころについて教えて頂き感謝しています。 「国涼大師」は「清涼国師」の間違いでした。お詫びして訂正させて頂きます。 日蓮聖人は、必ず文証をお挙げになり他の宗派のお坊様を批判なさっておいでです。 清涼大師澄観と妙楽大師湛然が『法華経』が一番か『華厳経』が一番かと云う事で宗論をなさり、互いに相手の宗派の良い処を自家薬籠中のものとしたと思っていたのですが、一方的に澄観が盗人のように言われるのは納得がいきません。 中国華厳宗では『大乗起信論』を取り入れ、その伝統は華厳宗四祖の澄観の思想にも受け継がれていますが、湛然は澄観との宗論の後、『大乗起信論』の真如縁起説や華厳宗の生成の観念を自論展開に採用しています。 天台宗の実質的な祖師である天台大師智顗関係の文書には『大乗起信論』の引用例は全くみられず、『天台小止観』にある一箇所の引用例も後世の挿入であることが判明しています。 湛然以降から『大乗起信論』の引用が天台宗側に数多見られる事実から考えて、澄観以降の華厳宗が一方的に一念三千説を盗んだなどと云われる謂れはないと思うのですが。 天台大師智顗の一念三千説は『法華経』方便品の十如是の文だけではなく、『華厳経』の「心仏及衆生是三無差別」という如来と衆生と心の一体観にもヒントを得て構築されている以上は、強ちに後に成立する華厳宗の高僧が『華厳経』と『法華経』の思想の融合をはかったとしても「盗人」とまで中傷される謂れは無いと思うのですが。

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