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「死をもって償う・償え」と言う価値観は日本だけなのでしょうか。

mei_1880の回答

  • mei_1880
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回答No.1

>仇討ち、これもまさに武士道でしょうか...? 死刑に遺族が立ち会えないなど、仇討ち的な考えあまり無いように思います。 遺体を遺族が見る機会も無いようですし、本当に死んだのか確かめようがないですよね。 遺族の為と言うよりも社会正義を貫くためという意味だと思います。 また、昨今の賛否を見ていると、死刑に、犯罪を犯す抑止力や悪い奴は死んだ方が良いというような感情論で賛否が動いているように思います。 ただ、以前弁護士の講演を聴いた時、初めて知ったのですが、死刑を廃止しても、犯罪率は変わらなかったと言うことです。 死刑に限らず、懲罰の為の刑務所から、刑務所を更正させる場所にして、再犯率を減らす努力をする方が税金も安く済みそうですけどね。 なぜ、そのような犯罪を犯すに至ったのか知り、それを未然に防ぐような努力は出来ないのでしょうかね? また、死刑では、非人道的な事をした人を、非人道的な事で償わせるという解釈には無理があると思います。また、人は必ず間違いを犯す物ですし、えん罪で死刑が行われた歴史もあります。 先進国を中心に死刑は廃止の方向にあるようです。

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