• ベストアンサー

戦後の日本経済について

戦後から高度経済成長期までの間、政府はどういった金融の政策をとっていたんですか?知ってる方教えてください。

  • 経済
  • 回答数4
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • colonel
  • ベストアンサー率42% (33/77)
回答No.4

戦後から高度経済成長期までの間、わが国では、金融政策は主として日本銀行と大蔵省(現財務省)が担当していた。金融政策の目標は歴史的に見るとかなり変化している。例えば戦前の金本位制時代には、金本位制の維持、つまり銀行券と金の兌換を保証することが最大の目標であった。しかし戦後の高度経済成長時代には、国際収支の均衡を維持するため、しばしば金融政策が発動された。また二度の石油ショックでインフレが発生すると、物価上昇の抑制が金融政策の最大の目標となった。 このように金融政策の目標は時代によってその重点の置き方が違ってくるが、基本的には金融政策の目標として(1)物価の安定、(2)国際収支の均衡、(3)完全雇用の実現、(4)資源配分の効率化、が挙げられ、この4つの全部または一部がその時々で目標となる。 さて金融政策には色々な種類があるが、大別すると質的政策と量的制策になる。質的政策とは、直接金利を変動させてお金の流れを調整する方法で、その代表的なものが日本銀行による公定歩合操作である。第1次石油ショックの時、物価上昇を抑制するために、公定歩合は73年12月に一気に2%引き上げられ、史上最高の9%に達した。また第2次石油ショックの時も、79年4月から公定歩合は徐々に引き上げられ、80年3月から8月にかけてやはり9%水準にまで達した。このような大幅な引き上げの効果もあって、二度の石油ショックがもたらした2桁インフレは鎮静したが、一方で深刻な景気後退を招いた。 一方、量的政策というのはお金の流れる量を直接コントロールする方法で、日本銀行が実施する公開市場操作、準備預金制度の準備率変更、それに一般に窓口指導と呼ばれる貸出増加額規制などが代表的な手段である。 以上の金融政策手段のうち、当時、日本銀行が最も重視していたのは公定歩合操作と窓口規制の2つであった。欧米で最もポピューラーな公開市場操作は、わが国の公開市場がまだ充分に発達していなかったことや、規制金利体系がどっしりと根を張っていたために、戦後の日本経済の金融政策手段としては主役を演じきれていなかった。また準備率操作も、準備率の水準があまり高くなかったこと、さらに変更の際の変更幅も小さかったことなどから、実際には引き締め気の補助的手段として利用されたに過ぎなかった。 以上、ご参考まで。

その他の回答 (3)

  • daytoday
  • ベストアンサー率57% (203/356)
回答No.3

 いわゆる金融政策は#2のとおり日銀が行うものですが,戦後の政府の広い意味での金融システムの政策は規制中心のものでした。  資金不足や金融機関の体力増強に主眼がおかれ,業務分野規制や内外市場分断規制がなされました。  以上の詳細は参考URLの「戦後~高度経済成長期」の箇所をご覧ください。  自由化への節目の83年11月の日米円・ドル委員会にも目を向けた方が良いかもしれません。  また,従前の金融政策の中心的手法であった日銀の公定歩合についての基本的スタンスは,戦後は雇用維持の達成にあり,高度成長期には国際収支の均衡となり,現在は物価安定とされます。特徴的な動きはやはり73年12月と79年4月からの2度のオイルショックに伴う急激な引き上げでしょう。

参考URL:
http://www.hc.keio.ac.jp/~fk011129/3shou.htm
  • ryon2
  • ベストアンサー率37% (110/292)
回答No.2

 まず,経済対策は「政府が行う経済対策」と「日銀が行う経済対策」の2つに分類されます。全社は平たく言うと公共事業を増やしたり減らしたりして景気を安定させます。税金を増やしたり減らしたりすることもあります。  日銀が行う経済対策のことを「金融政策」と呼びます。だから,政府が金融政策を行うことはありません。  ところで金融政策の手段としては公定歩合の上げ下げや買いオペや売りオペによる公開市場操作が挙げられます。ここ数年は公開市場操作が主な手段ですが,それまでは公定歩合操作が主要な手段でした。  参考に公定歩合の推移を示しています。ここでは昭和43年以前のデータがありません。それ以前は図書館に行くか日銀に電話するかして調べてください。ちなみに総務庁の「日本長期統計総覧」という本には明治時代から載っていますが,2万1千円もするので,自費で買うには辛いでしょう。  一般的にインフレが進むと公定歩合を引き上げ,景気が悪くなると下げます。今まで一番公定歩合が高くなったのはオイルショックのときで9%です。一番低いのは今です。  文面の都合から,公定歩合や公開市場操作の意味の解説は省きます。

参考URL:
http://www.boj.or.jp/stat/stat_f.htm
noname#4221
noname#4221
回答No.1

ほとんど、とっていません。 高度経済成長の真っ只中だったので、必要がありません。  むしろ、田中角栄の列島改造論に象徴されるように、政府の方針は、先進国に追いつけ、でした。  経済面ではなく、政治面の方に力が入っていたと思います。(もっとも、これが、政治家本来の姿ですが。)

関連するQ&A

  • 戦後の経済成長にプラスになった政策は?

    戦後の日本経済は年平均8%ぐらいの成長を遂げました。その原因はもちろん、アメリカの支援などが挙げられますが、政策の面でプラスになった政策はどんな政策がありますか。教えてください。

  • 日本の戦後史

    日本の戦後史を(政治的にも経済的にも)理解するうえで、1945年~現在までの間を3つ~5つくらいの時期に分けるとすれば、どこで区分けするのが適当でしょうか? 高校生向けの戦後史の解説プリントを作っており、章分けを行う必要があるのですが、どこか「ここが戦後史のターニングポイントだ」と言える箇所で区分けしたいと思うのです。 今考えているのが (1)1945~1952(講和条約発効まで)「占領期」 (2)1952~1972(佐藤内閣終わりまで)「高度成長期」 (3)1972~「経済大国とその揺らぎ」 といった感じなんですが、1952よりは1951(講和条約調印)や1955(保守合同)のほうが重大な年のような気もします。 皆さんのお考えをお聞かせ下さい。 できれば「なぜその分け方をしたか」付け加えて頂いて、またそれぞれの章にタイトルを付けて頂けるとありがたく思います。

  • 日本の戦後復興と経済成長

    日本の戦後復興と経済成長を遂げたのはアメリカが経済救済・支援と軍事的支援をしたことが大きな要因の一つだと聞きます。具体的にどういった経済・軍事支援が日本の復興・経済成長に導いたんでしょうか? 1945~60年の間にアメリカが支援したことを教えてほしいです。高度経済成長時でなくて。よろしくお願いします。

  • 日本戦後経済成長

    論文で以下のような問題が出ました。 アメリカは日本の戦後の経済成長(1950~73年のオイルショックまでだとすると)に多くの功績に値する。戦後のアメリカの占領、経済・軍事支援を吟味しながら議論しなさい、という問題です。 成長の要因は他にもいくつかありますが、私としては他の経済成長はアメリカのおかげもありましたが、特需(きっかけであってアメリカ経済的支援ではない)や日本の勤勉さや国際的にマーケットが広がって経済成長したことのほうが書きやすいと思ってるのですが、どうやってアメリカの占領、経済・軍事支援を反論していけばいいのか困ってます。この課題では反論していかなければいけないので、もしこの問題に賛成ならばもっとむずかしくなりそうです。アメリカのおかげか、問題に反論してその他の要因もあったのでアメリカだけが多くの功績に値するとは限らないと議論するか。みなさんならどちらの方向で書きますか、またどのようにして書いていきますか。アメリカが多くの功績に値するに賛成の方はどうやってその他の要因を論破していきますか。

  • 【日本】戦後は学校に出ていないのに高度経済成長した

    【日本】戦後は学校に出ていないのに高度経済成長したわけですが、いまは半数が大学まで進学しているのに日本が高度経済成長しないのはなぜですか?

  • 戦後の日銀に対してのアメリカ

    戦後の占領下の日本政策の中で、わからないことがあります。 アメリカは通貨発行権を憲法で政府に有すると規定しているにもかかわらず、民間の出資によるFRBに通貨発行権を奪われている状態がもう大分長いです。 そのアメリカの日本の戦後施策の中で、憲法内に通貨発行権を政府に有するという項目を作らせなかったのはわかるんですが、日本銀行の株主を55%以上が政府という縛りをなぜ作ったままだったのでしょうか? アメリカ側が日本銀行の大株主になろうが文句を言えなかったかと思うんですが、なぜそこまではやっていないのかが分かりません。 そこまで経済成長しないとタカをくくっていたのか? そこらへんわかる方解説をお願いします。

  • 経済学

    第2次世界大戦後の日本経済に関する記述について,適当でないものを選択肢の中から一つ選びなさい. ① 戦後の日本経済の復興に大きく貢献したものの1つに,1950 年の朝鮮戦争によって生じた特需景気がある. ② 戦後復興期のシャウプ勧告によって 1 ドル=360 円の固定相場が定められた. ③ 日本の高度経済成長を後押しした政府の経済政策の1つに,池田勇人首相の所得倍増計画がある. ④ 1971 年のニクソンショックによって1ドル=360 円の固定相場が廃止された. ⑤ 1975 年の赤字国債発行以降,日本政府は 1990~93 年度を除き恒常的に赤字国債を発行し続けている. ⑥ 1980 年代前半の日本経済は,不況であるにもかかわらずインフレが進行するスタグフレーションが続いた. ⑦ 1985 年のプラザ合意によって円高が急速に進んだ. ⑧ 1990 年代後半から不良債権の処理が進みデフレが進行した. ⑨ 1990 年に実施された土地融資の総量規制が,バブル経済崩壊の大きな要因の1つになった. ⑩ 現在,日本銀行が行っている大規模な金融の量的緩和はインフレターゲット論の考え方に基づいている.

  • 英仏の戦後産業政策・国営企業について

     日本の戦後経済成長は政府主導によるもので、これを「日本株式会社」と表現する説もあるようです。では他の国ではどのような状況だったのでしょうか?イギリスやフランスの政府は第二次大戦後荒廃した産業を育てるために、日本と違って民間に任せていたのでしょうか?それではイギリス労働党、フランス社会党の存在理由がなくなる。日本と同じように政府が主導権を持っていたと思います。そうした英仏の戦後産業政策、国営企業に関する書籍・ホームページがあったら教えてください。

  • 高度経済成長について

    日本の高度経済成長期のころ、経済を優先するといった政策をとっていたと 思うのですが、なぜそのような政策をとっていたのでしょうか?? 何か、とらざるいけない事件、事情などがあったのでしょうか?? 回答お待ちしています。

  • 戦後の日本経済のランキング

    戦後から2000年までの間の 日本の経済(GNP・GDPどちらでもOK)の順位が分かる表、 (上位各国の折れ線グラフだとベスト)をお願いします。