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量子は有るのか?無いのか?

toporoの回答

  • toporo
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回答No.4

ichinari00さん、こんばんは。 ていねいな返信ありがとうございました。 (1)のお考えについて、概ね理解しました。 図の赤丸が原子核で、量子として電子を考えておられるという事で合っていますか? とりあえずここでは水素原子として考えましょう。 まず「2回の観測」という事ですが、量子の観測というのはマクロの観測とは違います。 水素原子の周りの電子を観測しようとする場合、とりあえず問題の水素原子に対して、電磁波(とりあえず光子としましょう)をぶつけてみます。 そうすると、ほとんどの光子は原子をすりぬけてしまいますけれども、たまに妙な方向にはじかれる光子が出てきます。 その時に「ああ、ここに電子がいたのだな」とわかる(観測される)という訳です。 ですから、観測された電子については、その時には電子の方も遠くにはじかれてしまって、電子殻の中で二度目の観測をされる事はありません。 次に、図の内容に関してですが、ichinari00さんは、観測1と観測2の間を電子が軌跡を描いて飛んでいるようなイメージをお持ちではないでしょうか。そのように電子が飛んでいると考えますと、電子はエネルギーを失ってすぐに原子核に落ちてしまいます。実際には電子は定常波の雲になって電子殻上(定常波が存在できる半径の球面)を中心としてぼんやりと存在しています。 (そう考えないと原子が安定して存在できないという事です。) 仮に同じ電子が二度の観測を受けたとしても、その二点間の距離は光速不変を崩すだけの距離離れて観測される事はありません。それは、一回目の観測によって雲がいったん収束し、存在確率の雲の形がもとの水素原子の電子殻の形とは異るものになるからです。 「モノは波動的に存在しているらしい」という説明は、色々な観測から推測された理論です。モノの存在や運動が波動方程式で説明できるという事です。ご紹介した本には、もっとスリリングで面白い話が書かれています。是非お読みになってみてください。

ichinari00
質問者

補足

>とりあえずここでは水素原子として考えましょう。 はい、それでおねがいします >まず「2回の観測」という事…(中略)…観測される)という訳です。 この文はとても理解出来ます あるべき場所にあってない場所にはないと考えるのは一般人にとって とてもふつうです >そう考えないと原子が安定して存在できないという事です。 別の考えでも原子が安定して存在できそうであればそっちでもいいのではないか? と言うのが私の考えです 私は「隠れた関数」を支持する派です(アインシュタインと同じかな?) 科学は無を判断する能力が無いと思うので「未知の力」は証拠が無くても認めて良いと思うのです 昔から続く議論ですが「重ね合わせ」「確率による存在」はどうしても受け入れられません *二度の観測* 1、観測される前の電子はぼんやりと存在している 2、(1度目の観測)光子の衝突の成功により雲がいったん収束しある場所に現れ確認できる(位置A) 3、確認できた直後衝突の影響ではじかれ(位置B)に移動する 4、その後またぼんやりとした存在になる 5、(2度目の観測)光子の衝突の成功により再び収束し、ある場所に現れ確認できる(位置C) 位置Bに移動した瞬間光を走らせると位置Cは光の速度を超える事が出来ると思うのです この思考実験は二度目の光子の衝突が1発で成功できるという前提に成り立っていて 現実的には不可能な実験ですが理論上成立できると思うのです >モノの存在や運動が波動方程式で説明できるという事です。 説明出来る=真実、ではないと思うのです 無理にそうすると「猫」の問題が出てしまうので別の方法で説明するべきです(私の願望) ああ、誰か「痒い所をかいて下さい」。すっきりしたい! 科学者たちはかかないで我慢する事になれすぎてスッキリしていますが 我々一般人はムズムズしてたまらないのです

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