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中世・近世における火薬の供給と流通について教えてください

中世・近世における火薬の供給と流通について教えてください 飛騨白川郷で火薬を生産していたことや、 薩摩の廻船問屋が取り扱っていたことを知ったのですが 国産火薬と舶来火薬の比率や技術の伝承、時代による変化、 どのような人が取り扱っていたのかなど 何でもいいので教えてください。 よろしくお願いします。

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回答No.3

何でもいいというのに甘えさせて頂きます。宜しくお願い致します。 花火師などからは辿れないのでしょうか。 あと、根来、雑賀などかんがえるに ベンガル、アッサム、ネパール、チベット、雲南などルートとする密教関係、これは薬物調合技術にフォーカスできると思われます。 ベンガルといえば硝石集散地です。 検証性には乏しく、一笑にふされてしまうかもしれません。ご容赦ください。

impiousfox
質問者

お礼

ありがとうございます 鉄砲で有名な雑賀衆・根来衆の視点は非常に興味深いですね 古土法による硝石の製法は種子島から紀州根来に伝わったようですが いっぽう彼らの鋳鉄と火薬原料の供給についてはどうだったんでしょうね 根来衆が密教と接点を持つのは江戸以降でしょうから 戦国時代における供給は紀州藩公認の抜け荷か、何か他の可能性を 考えなければいけませんね 面白いですねー いずれにせよ素晴らしい機動性を持っていたのでしょうね 花火についても調べてみます 最高の御回答をありがとうございました

impiousfox
質問者

補足

戦国時代に紀州藩はありませんね 失礼しました

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回答No.7

硝石(焔硝)については、戦国期は当然、ほぼ輸入が主でしょう。マカオ、シャム、明などからでしょう。ただ、秀吉が大量に輸入後、関ヶ原時に家康が大量に輸入した記録がないようです。その頃から国産が行われており、モノがモノだけに、各大名ごとに生産していたのでしょうか?流通の記録はきわめて少ないようです。 おそらく、ご覧になってらっしゃると思いますが以下参考まで。 http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/7422/1/AA11430153-33-itagaki.pdf http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=240 http://nemuihito.at.webry.info/200903/article_4.html http://miesin.com/hanabi-rekisi-nenpyou.htm http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=195&Itemid=81 http://proto.harisen.jp/mono/mono/enshou-yunyu.html http://www.akasawa.biz/syukuhaku/ensyouya.html http://www11.plala.or.jp/samma116/7/143.html

impiousfox
質問者

お礼

たくさんの参考サイトを紹介していただきありがとうございました。 未読のものばかりで、楽しく読ませていただいています。

回答No.6

五箇山の事は存じてますよ。 ではお聞きしますが、五箇山以外の場所では硝石は生産されていないのですか?日本には何ヶ所硝石生産地域があったのですか? 私が知っている範囲では五箇山を含め3ヶ所あります。一つは今年になって判明しました。関東にあった某所では1863年の1年で約800発分の大砲用火薬が供給されています。発見した場所は江戸時代居住移動禁止の地域でした。つまり門外不出で、その生産量は不明で、それに関する文書は焼却処分された形跡があります。これが現実なのです。五箇山を以て火薬の話しをするのは危険ですよ。五箇山もその一ヶ所にしか過ぎないのですから。 会津藩だけでも降伏時に小銃弾20万発保有しています。これに大砲50門とそれの砲弾を持っています。これだけの火薬を何処から供給したのかは分かっていません。あれだけ広大な地域を持つ大藩ですから領内に供給元があったと思われますが、その場所は不明です。若しかしたら領外から調達したのかもしれません。

impiousfox
質問者

お礼

「某所」「若しかしたら」「わかっていません」など、 実にPENPENMAKKY様らしい御回答をありがとうございました これは兎に角「自分は何かを知っている」ように見せたい人物が 「その分野には謎が多い(然し実は自分が知らないだけ)」ことを わざわざご説明になるときに目にしてしまう光景で、微笑ましく思いました 確たる調査能力・提示能力があれば、知ったかぶりもいつかは本物に なるやも知れませんのに、強すぎる自己顕示欲とは大変厄介なものですね

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.5

はじめまして 黒色火薬の主原料である硝石は湿潤気候である日本では自然生成しにくいです 戦国期の日本の硝石はほぼ100%輸入であったと思われます 人工的に硝酸カリウムを作る製法(土硝法)は南蛮から伝えられましたが それは地面を深く掘り、動物の糞尿と土を混ぜたものと草を幾重にも何段も積み重ね 上にゴザをかけ乾燥させて糞尿の硝酸アンモニウムを土中の炭酸カリウムを反応させ 年三回糞尿をかけ直し、長い年月(5年ぐらい)をかけ結晶化させる製法です 欧州では家畜がかなりいましたから糞尿は手に入りやすいですが 日本では蚕の糞を使ったので相当手数がかかったと思われます しかもこれで一度硝酸塩を取った場所は土中の炭酸カリウムが生成し直るまで30年ぐらいは再使用できません この土硝法は前田利家支配下の越中国五箇山で1595年頃から本格的に行われ始めました おそらく朝鮮侵略など老齢で判断が鈍り始めた秀吉死後に予想される徳川家康との対決を考え利家が作らせ始めたのかも知れませんね 但し上記の製法では極めて生産量が限定されていた上に 当時の欧州でも問題になってましたが、この人工的に作られた硝酸塩は自然硝石に比べ品質が悪かったようです 長文失礼致しました

impiousfox
質問者

お礼

ありがとうございます 加州は江戸表の街道に砲台を並べていたことからも 火薬・火砲類の恒常的な備蓄状況からも 外海のみならず江戸幕府からの侵略に対する警戒も ずっと考えに入れ続けていたことは確かですね ただこの潜在的な軍事需要がただちに 五箇山の火薬工場化を促したのかどうかは疑問ですね 何事も材料と技術が必要ですから、土硝法で必要となる蚕糞の供給状況や、 浄土真宗のネットワーク(五箇山へは同じ真宗の根来から伝わり、 また五箇山は加賀一向一揆を後方支援したようです)が他の地域でどうであったのかも あわせて考慮に入れたいと思います しばらく退屈しないですみそうです ありがとうございました また何かありましたら教えてください

回答No.4

何でもいいというのに甘えさせて頂きます。宜しくお願い致します。 花火師などからは辿れないのでしょうか。 あと、根来、雑賀などかんがえるに ベンガル、アッサム、ネパール、チベット、雲南などルートとする密教関係、これは薬物調合技術にフォーカスできると思われます。 ベンガルといえば硝石集散地です。 検証性には乏しく、一笑にふされてしまうかもしれません。ご容赦ください。

impiousfox
質問者

お礼

ありがとうございます 鉄砲で有名な雑賀衆・根来衆の視点は非常に興味深いですね 古土法による硝石の製法は種子島から紀州根来に伝わったようですが いっぽう彼らの鋳鉄と火薬原料の供給についてはどうだったんでしょうね 根来衆が密教と接点を持つのは江戸以降でしょうから 戦国時代における供給は紀州藩公認の抜け荷か、何か他の可能性を 考えなければいけませんね 面白いですねー いずれにせよ素晴らしい機動性を持っていたのでしょうね 花火についても調べてみます 最高の御回答をありがとうございました

impiousfox
質問者

補足

戦国時代に紀州藩はありませんね 失礼しました

回答No.2

具体的な統計はとられていないのではないでしょうか。 そもそも硝石生産地は内密になっている場合があり、現代でも江戸時代の硝石生産の全貌は分かっていないと思います。

impiousfox
質問者

お礼

たとえば加賀藩は五箇山山間部に硝石供給源をもち、 260年間にわたり年間1千~1万貫の硝石を買い上げており、 この硝石を土石から抽出する方法は古土法と硝石丘法があり、 前者は近世以前から全国の藩で実施されており技術としては周知のもので、 後者は幕末に蘭書の翻訳にて普及し薩摩藩などでも採用されていました・・ とまあ、金沢大名誉教授板垣氏の業績(2002, 2010他)を出すまでもなく とくに近世以降の硝石産業はずいぶん明らかになっているわけなんですよ 自分が知らないことを「明らかになっていない」とは、誰しもつい言い切ってしまいがちですが このことを恥ずかしいと思える方は回答者様を含め、なかなか居られないようで残念です 失礼ながら以上を踏まえたうえで、ご知見お持ちでしたら、是非またお願いしますね

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.1

戦国時代も、幕末も、国内ではあまり生産されない燐の確保に苦労したみたいですよ。動物の死体を埋めて生産させようとしたりいろいろやったこともあったようです。といっても、今月死体を埋めて来月取り出せるようなものではないですから微々たるものでしたでしょうね。 技術の継承は、一子相伝によるいわゆる口伝で伝えられたようです。やはり各家では秘中の秘とされていたみたいですね。しかし、平和な江戸時代となるとヘタに実験するわけにいきませんから(実験して謀反の疑ありなんていわれてしまうと取り潰されかねない)、時代が下るとだいぶ「間違って」いたみたいですね。司馬遼太郎の短編で、幕末に大砲を使おうとしたら火薬が発火しなかったってものを読みました。口伝だから途中で間違えて伝言ゲームされたらしいんですね。唯一発火したところは、主人が洋学を学んでいて、そこから化学の知識を得て自ら作ったから爆発したらしいです。 比率に関してはもうわかりようがないでしょう。「輸入何トン、生産何トン」なんて記録を残した人なんざいませんからね。統計学なんて存在しなかった時代であったことを忘れずに。秀吉が太閤検地をするまで、米の正確な生産量でさえ分からなかったんですから。

impiousfox
質問者

お礼

残念ながら回答者様にご知見が本当にあるのか 疑わざるを得ないご回答で悲しく思います まず黒色火薬の原料は燐ではなく硫黄と硝石です 日本は火山国ですので硫黄は豊富にあり、問題は硝石の調達でした 硝石生産の技術も特段、秘中の秘でもなんでもなく、 加賀藩などでは薬合奉行の管理のもと、奨励された産業でした また統計に関しても統計学の無い中世の製鉄・製塩・海産物の 流通量がわかっているのは何故でしょうか (当然、流通過程の文書が残っているからですね) あ、失礼しました つい質問者がわたしのほうであることを忘れてしまいました まだ何かご知見あればご教示くださいね

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