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阪神大震災後のオリックスとの関係
- 阪神大震災後にオリックスが「がんばろうKOBE」とユニフォームに刺繍し、優勝したが、被災者の間では「野球どころじゃない」という感情もあったと思われる。
- 被災者は生活の基盤が揺れ動き、生活や仕事の不安に直面していたが、オリックス選手たちはまだ所詮恵まれた立場であると感じられていた可能性がある。
- 娯楽は生活の基盤が安定している状況下でこそ楽しめるという考えもあるが、実際には個人の感じ方や状況によって異なるだろう。
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私は阪急ブレーブスの時代からずっとファンを続けています。 阪神大震災が起こったときは、高校受験を控えた中学3年生でした。 自宅は半壊し、1ヶ月以上もライフラインが途絶えた生活を余儀なくされました。 幸いにして友人・知人は全員ケガもなかったですが、あの辛さは今でも忘れられません。 そんな年にオリックスが優勝してくれたことは、本当に勇気付けられました。 「がんばろうKOBE」はシンプルだけど、我々の気持ちを代弁してくれる言葉でもありました。 震災で大変なのは選手も市民も同じです。 そんな時に野球を通じて生きる力、助け合うことの大切さを教えてくれたのはオリックスでした。 選手の中にはご自身が被災者となられた方もいらっしゃいます。 でも、そんな中にあっても選手たちはファンのために、プレーをし続けてくれました。 それがどれほど勇気を与えたか、投稿者様にわかりますか!? だからこそ、優勝したときには市民が我がことのように喜びを分かち合ったのです。 私は1996年のリーグ優勝が決まった時、グリーンスタジアム神戸(当時)で観戦していました。 イチローのサヨナラヒットで優勝が決まった瞬間のことは、今でもはっきりと覚えています。 感動で前が見えなくなるほど涙が出てきました。 今までオリックスを応援してきて本当によかった!心の底からそう思いました。 確かに投稿者様がおっしゃるように、娯楽は生活基盤の安定があってこそのものです。 しかし災害等で希望を失いかけたとき、スポーツが希望をもたらしてくれることも事実です。 2001年に起こった同時多発テロでも、ヤンキースやメッツの選手たちは、ひたむきに白球を追いかけました。 1週間後に再開されたニューヨークのスタジアムには、テロ前と変わらない数のファンが詰め掛けました。 これもスポーツがもつ力を発揮した典型的な場面じゃないでしょうか。 私はこれからもオリックスを応援し続けます。 きっと力を与えてくれると信じているから。 お答えになっておりますでしょうか。
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- SportsPlayer
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結局、人間は暗いニュースばかりでは生きていけないのではないでしょうか? 阪神淡路大震災の時の神戸新聞の事が映画になりましたよね。あの映画の中でもあったと思いますが、死者何名だとか、ライフライン崩壊だとか、そんな報道ばかりが続いていた時、もうそういう報道は止めよう、復興に向けた動きを報道しようとなったそうです。 震災直後は確かにそれどころではないでしょう。しかし何日か経って徐々に落ち着きを取り戻した時に人々が求めるものは、厳しい現実を突き付けられる報道より、癒しや立ち上がるための勇気ではないでしょうか。瓦礫の下から無事に助かったのが犬や猫でも良いと思うのです。暗闇だからこそ、どんな小さな光でも勇気や力を貰えると思うのです。 生活の基盤があってこその娯楽と言うのも分かりますが、基盤が安定していない不安な時だからこそ、明るいニュースや娯楽を求める事もあるのではないでしょうか。そんな時に地元神戸のオリックスの優勝は、きっと被災者の方に立ち上がる勇気を与えたと思います。あの時のオリックスが優勝するなんて、誰が予想したでしょうか。奇跡に近かったと思います。だからこそ人々に感動を与え、力を与えたと思います。
お礼
性格の問題なんですかね 実際、自分もその状況になったら、どう考えるかわかりませんが テリー伊藤がHIV・飢餓が蔓延する地域でも子供を作るアフリカの人たちに対して 「なぜ、困窮した状態で子供を作るのか、 という指摘があるが、みんな希望がそういう時だからこそ欲しいんです」 みたいな話をしていました。 人間の本能的に、明るい希望がどんな状況でも欲しいと思うんですかね
- eee555
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当時、オリックスの本拠地の神戸のグリーンスタジアムに近い場所にある大学の4回生でした。 余談ですが、イチロー選手は当時は寮に住んでいたようで、クラブの練習で近くの運動公園を走っている際に何度も見かけたことがあって声をかけると、にこやかに「何部ですか?」とか「頑張ってください」と言ってくれたことがあります。 オリックスの選手と契約していたトレーナーさんの話では、当時はまだインターネットも黎明期で現在のように簡単にネットでチャリティーオークションなどができない時代ながら、チームとしてはもとより、主力選手やまだ若かった選手もさまざまな場所でチャリティー活動や寄付などを行っていたようです。 やっぱり私も勇気をもらったと思いますよ。 それよりも私が怒りを覚えたのが、マスコミの取材でした。 家を失い、呆然と立ち尽くす老夫婦に、場違いなきれいな服を着た女性のレポーターがしつこくマイクを向け、それに怒った近所の人が「帰れ!」と生ごみを投げつける場面を見ました。 怒る女性レポーターに通りがかった私と後輩が「当然の報いや」というと、「私が何か悪いことしましたか?」と逆切れしたので、そばにいたカメラマンとその女性レポーターに「お前ら、最高に頭悪い」と切れたのを覚えています。 あ、話がそれてすいません。 結論としては、常識のないアホな取材者には怒りを感じましたが、オリックスの優勝からは勇気をもらいました。
お礼
生々しいというか、 なんだか、悲しくなるエピソードですね 日本は地震大国ですし、近年起こると言われている地震を考えると私もいつどうなるか解らない環境です 自分がそういう立場になったらと考えると・・・ 怖いし、不安。 私は乗り越えられるんでしょうか、 乗り越える希望みたいなものを得ることができるのでしょうかねェ
- GATX103
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阪神淡路大震災の被災者の一人です。 感じ方は被災者の中でも人それぞれだと思いますが、個人的には「オリックスも応援してくれてるんだ。私も頑張ろう」と思いました。 (まだ小学生でしたから、頑張っても大したことはできませんでしたが) 母も「がんばろうKOBE」には思い入れがあるようです。 震災は冬、野球は夏でしたから、だいぶ落ち着いてきた人も多かったと思います。 だから、私と同様に力をもらった人はけっこういたのではないかと。 もし震災が5月頃に起きていたら、オリックスが野球でいくら頑張っても「お前ら何やってんだよ」と思う人はかなりいたと思います。 それと、野球からは離れますが、ルミナリエが始まったときも、本当にとても温かい光に感じて涙を流したのを覚えています。 現在では「ただのイルミネーションイベント」だと周囲から言われていますが、私は今でもあの時のことを思い出して「また頑張ろう」と元気をもらっています。
お礼
時期の問題もありますかねエ ルミナリエというのがあるのは始めて知りましたが、こういったものが被災者の方を励ますということもあるんですね 私は心が狭いのか、 芸術やエンターテイメントを単純な金儲けとしてケチ・ひがみ根性で見ている面があり、 ちょっとオリックスやルミナリエとは違うんでしょうけど オリンピックやワールドカップを見ても 「アフリカで数分に一人ペースで餓死している子供や、米軍の侵攻によって無抵抗に殺されているイラク国民へそのエネルギーと金を使ったほうがいいんじゃないっすか」 って思ってしまうんですよねェ
- edomin7777
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回答では有りません。あくまで私の感想です。 質問者さんが仰っている意味は判ります。 当然、被災地の方々はそういう風な感情を持つ方もいらっしゃるでしょう。 でも、もう少し考えてみると違う面も見えてきませんか? ・被災地じゃない土地の人々の記憶はどんどん風化していく。 ・「オリックス」の選手が試合で「がんばろうKOBE」と刺繍されたユニフォームを着て目立てば、それだけ被災地への支援や援助する意識が持続する。 ・要するに、選手達は進んで「客寄せパンダ」となり、神戸復興の意識を国民から風化させないようにしていた。 とは、考えられませんかね。 そういう意味を含めて考えると、後半の > 戦時中の野球をテーマにした映画~ とは、別の問題だと思うのですが…。 あくまでも感想です。 m(_ _)m
お礼
そういうこともありますかねェ しかし、あの震災の写真・映像を見て思うんですが、 私がもし被災した立場だと、真剣に考えたら この先どうしたらいんだろうって もう死んだほうがいいんじゃないかって 絶対思うと思うんですよ そんな中、バット振り回してやってる人たちを見て 楽しめるのかなぁ・・・って 実際なってみないと解りませんが
お礼
そうでしたか 娯楽は生活基盤の安定があってこそのもの だけれども、 実際に被災された方はそういう気持ちで応援されてたんですか 私も覚えてますよ 当時は西武ファンだったので、まさか王者西武の連覇が止まってしまうとはなぁと思いつつ中継を見ていました 日本ハム戦で起死回生のD・Jの同点ホームランで、イチローのサヨナラでしたね、 あー、懐かしいですねェ ありがとうございました