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タイムトラベルは、完成する前の時代にさかのぼれない。
タイムトラベルは、完成する前の時代にさかのぼれない。 「2010年に完成したとして、2020年から2010年まではさかのぼれるが、2010年より前はさかのぼれない。つまり今のところタイムマシンは完成していないから、未来からやってこない。知的生命体も存在を確認できていないから、存在しない。存在が確認できた以降なら存在する。」 どういう意味?
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質問者が選んだベストアンサー
タイムマシンが発明される以前の時代にはタイムマシンは無い。その時代に未来からタイムマシンがやってきてるならタイムマシンの存在が確認されているはずだから、タイムマシンの発明以前の時代にはタイムマシンがやってきていないとか言いたいのだと思いますが…… その時代で発明されたタイムマシンと未来からやってきたタイムマシンを混同してる、無意味な主張ですね。過去の時代で未来からやってきたタイムマシンの存在が確認されないのは、未来人がそうと知られないように隠しているとか、過去の技術では観測出来ない状態で存在しているとか、本当は観測されているのだけど別のものと思われてるとか、そういう可能性が考えられる以上、未来からタイムマシンが来ていないとは言えません。
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- yonaoshi-c
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直接的な回答にはならないかも知れませんが、基本的には参考になると思いましたので投稿させていただきました。 「卵と鶏はどちらが先か」 「年寄りと、赤ん坊では、どちらが古い?」 正解はどちらでも正解なのです。見方、条件の設定次第ということです。 過去にも戻れますが、正確には「そっくりな過去」です。論理的にどんなに頑張っても「同じものは二つ府はありえない」という絶対法則がありますので、過去に戻ったとしてもそれは良く似た別の過去になります。逆に言うと、同じものは二つ無いので、同じようなそっくりな過去にはもどれることなります。 また、情報は複数重積できますが、物質は重積できませんから、二つの同じ物質は同じ場所、同じ時刻に存在は出来ませんが、情報だけなら、複数同居できるはずです。過去に行ったつもりならいくらでも可能です。
お礼
どうも
補足
>過去に戻ったとしてもそれは良く似た別の過去になります。 過去に戻った時見た世界が、今現在における、ただ一つの「過去に見える真実」と言うほかないような気がします。 >過去に行ったつもりならいくらでも可能です。 そもそも、タイムトラベル自体が出来るかどうかが疑問です。
- eld3399
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未来にタイムマシンは完成していると思いますが、歴史を変えてしまう様な人間との接触、行動は禁止されていることでしょう。
お礼
訂正 ×タイムマシンが完成してタイムとラベルが出来るようになる、というのは甚だ疑問です。 ○タイムマシンが完成してタイムトラベルが出来るようになる、というのは甚だ疑問です。 どうも
補足
こんな質問を立てておきながら本音を言うと、タイムマシンが完成してタイムとラベルが出来るようになる、というのは甚だ疑問です。実は。
- corpus
- ベストアンサー率12% (25/200)
ある人が言っていましたが、 世界全体が同時にタイムトラベルしたら、どうなるか、 という問題はどうでしょう? これについて少し考えたら、何かいいことがわかるかも。
お礼
これはもはやタイムマシンによるタイムトラベルの話ではないような気がします。 どうも
- corpus
- ベストアンサー率12% (25/200)
自分がタイムマシンに乗るのか、他人がタイムマシンに乗るのかでは、だいぶ違いますね。他人の旅行の場合、その他人にだまされる可能性があります。もちろん、その場から消えるということはすごいと思いますが、それがタイムマシンであるとはいえないですよね。でも、自分のタイムトラベルの場合、今度は、その行った先が本当に、現実の過去や現実の未来であるかどうかはわからないと思います。そして、戻ってきても、誰も信じてくれないでしょう。 タイムマシンは、なんらかの仕方で往復できたほうがよさそうですね。なぜなら、家が恋しいですから。そういう理由から、なかなか長期滞在する未来の生命体が見つからないのかもしれません。
お礼
その未来を見ることで、今現在に戻った自分の思想・行為振る舞いが変わればその未来も変わりそうな気がします。 どうも。
補足
タイムマシンを複数台作り、知人と別々のマシンで過去の、同じ時間の同じ場所へ行き、そこで実際に会うことが出来ればある程度確証は持てそうですが、行く場所が未来であれば、そこが本当に今の時代から見た未来かはわかり難そうです。しかし、その未来の時代の過去の文献を見て確認することは出来そうです。例えば数年後の未来であれば確実に過去(つまりタイムマシンから来た今)の記録が残っているでしょう。 そう考えると、過去に行くにしても、自分が生まれてから後の時代であれば、起こった出来事、事実を、同じように体験・目撃すればやはりそれは過去の時代であるという証拠になるでしょう。 その場合も、知人と2台で行って戻ったときに確認しあえたら自分の夢や幻覚ではないと言えそうです。 >タイムマシンは、なんらかの仕方で往復できたほうがよさそうですね。 タイムマシンを作るほどの技術があれば、往復するくらいのものは造れるだろうと想います。 もしそうだとしても、あまり関わりすぎたら未来が変わり、自分の知っている未来に戻れなくなりそうですね。 ところで未来に関わりすぎたら過去は変わるのだろうか。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>それは植物でも動物でも人間でも同じですので。 この、「ので」が気に食わない。「ので」とは、「植物と言えども馬鹿にならない素晴らしい存在なのですね」と言いたいのか、それとも、「ので崇高な人間を植物と一緒にするな」と言いたいのか、どちらを言いたいのかまるで判らない。私の学生がこんな表現をしたら、私の目がぎらりと光り出し、何時もの癖が出て、その学生を徹底的にアカハラしてしまいます。それが教育だと思っておりますから。 質問者さんも、人の目からは邪視という異様な光が出ることはご存知でしょう。悪鬼に睨まれると、病を負い、場合によっては死んでしまうこともあるのです。西洋でのジョークに 「神様でもウエイトレスは殺せない。なぜなら、ウエイトレスと目を合わせることが出来ないからだ」というのがあります。この邪視という光の魔力を避けるために、多くの国の人達がいろいろと工夫してきました。例えば古代の日本では、人名に穢物の名前を付けて、小神輩が児童の美を羨んで送り出す邪視の光を避けるため、押坂部史毛糞、倉臣小屎、阿部朝臣男屎、卜部乙屎麿、下野屎子、等々と名付けたそうです。それと同じ考えに基づいた習慣が、パンジャブの民族にもあるそうです。また、アイルランドでは、貪欲、憎悪、嫉妬等の邪念をもって、人畜、物件を見れば、見られる者に害ありと信じる輩多く、その邪念による光の射出すを避けるべく、古寺観の前に女人陰を露わせる像を立てたことがあったそうです。あたかも落雷のさい避雷針よく電力を導散して、災禍なからしむに同じ、とあります。私も、そんな邪視でもって私の学生にアカハラをするわけです。 「ので」などという言葉は一寸した言葉の使い方のようではありますが、人間は皆それぞれ自分に固有な歴史を背負って生きていることをお忘れなく。自分にとって余りにも当然な事が、相手に取っては全然なじみでない事の方が普通なのだという、余りにも初歩的な認識が出来ない連中が私の生き様の前を過(よぎ)ると、私は持ち前の慈悲の心が刺激されて、徹底的にいじめたくなってしまうという崇高な心の持ち主のようです。この「ので」に私はまた刺激されて、異様な光が猿田彦のように目から出始めたようです。この光を避け得るのは、胸乳を露にかきい出して、猿田彦の目を他に向けることが出来た猿田彦神の妻の天鈿女だけでした。ネット故、私の目から出たこの光が貴方に届かずに貴方が無事でいられた幸運に感謝して下さい。
お礼
あるいは執着を捨てて邪から遠ざかり、ムダをそぎ落としていけばたとえその後会ったとしてももう認識されない(影響を受けない)で済むのかもしれません。 どうも。
補足
>人名に穢物の名前を付けて、小神輩が児童の美を羨んで送り出す邪視の光を避けるため、押坂部史毛糞、倉臣小屎、阿部朝臣男屎、卜部乙屎麿、下野屎子、等々と名付けたそうです。 そうなんですか、その退魔対策は失敗ですね。他者を穢れ・悪魔と判断する親が子供にそういった名前をつけて自分とその子供がそうなってしまうのはなんとも皮肉です。私の親がそのような人間でなくてよかったと想います。 >その邪念による光の射出すを避けるべく、古寺観の前に女人陰を露わせる像を立てたことがあったそうです。 個人が、例えば町を歩いていたりする場合に受ける邪視に対しての有効な手段とはならないでしょう。 >私の目から出たこの光が貴方に届かずに貴方が無事でいられた幸運に感謝して下さい。 http://www.excite.co.jp/News/photo_news/p-204329/ フクロウはライオンを見ることが出来ますが、ライオンはフクロウを直視することが出来ません。 強く、正しければ被害を被ることはないと思われます。
- corpus
- ベストアンサー率12% (25/200)
疑問:タイムマシンは一台しか生産されず、一度の旅行で終わる、という可能性はありませんかね。 マニアックな発明家が作って、それに乗るのだけれども、その後、誰一人として、タイムマシンを作る技術がなかった場合、それでも、タイムマシンは存在するのでしょうかね。 「存在が確認された以降なら存在する」というのは、間違っていませんでしょうか? 「ああ、そういえば、200年前に、そういうタイムマシンを作った人がいたなぁ」と感慨深げに研究する古文書学者がいるかもしれません。それでも、タイムマシンは存在するのでしょうか? おそらく、一度作られた製品は、もう一度作られるという原則が隠されていると思います。でも、そのような原則は、確実なことでしょうか?私はそのようには思いません。 その前に、タイムマシンが成功することを確認する能力は、未来の人にもわからないと思います。いきなり、タイムマシンとそれに乗っている人が消えてしまうだけですから。過去の人にも当然わからず、未来の人さえもわからないのです。以上。
お礼
どうも。
補足
>疑問:タイムマシンは一台しか生産されず、一度の旅行で終わる、という可能性はありませんかね。 タイムマシンに限って1台しか生産されないというのはイマイチ説得力がないような気がしますが。 >マニアックな発明家が作って、それに乗るのだけれども、その後、誰一人として、タイムマシンを作る技術がなかった場合、それでも、タイムマシンは存在するのでしょうかね。 「マニアックな発明家が作った」のなら、タイムマシンは存在するでしょうね、なぜなら既にそのように想定しているので。 >「存在が確認された以降なら存在する」というのは、間違っていませんでしょうか? そのとおりですね、私が言い始めたことではなく、疑問に思って質問を立てたのでその点については意見の同意を得たという事です。 >そのような原則は、確実なことでしょうか?私はそのようには思いません。 そうですね、しかし「タイムマシンに限って1度作ったらもう2度と作られない」というようにも思いません。それは確実なことでしょうか? >その前に、タイムマシンが成功することを確認する能力は、未来の人にもわからないと思います。いきなり、タイムマシンとそれに乗っている人が消えてしまうだけですから。 タイムマシンに乗って、「タイムマシンを作った現場もしくはタイムマシンを使って過去に戻った人たちが居た場所に行き、会って確認してみなければ」解らないでしょうね、、、。 以上。
- cyototu
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>それから、全世界の先生のファンが宇宙人の目撃談を聞きたがっていることもお忘れなく。 私は渡米してウン十年経ちますが、向こうで生活していると増々日本の文化の特異性(良い意味で)が目につきます。ですから私はアメリカ人ばかりでなく他の外国の方に日本に付いて触れる時には、「日本が同じ惑星に属していると考えるととんでもない誤解をしてしまいますよ」と紹介しています。外国人から見れば日本人は宇宙人、日本人から見れば外国人が宇宙人です。昔から「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」と言われておりますが、私はそれを日々実感しております。この情報は大変役に立ちますから、自分が外国人からみて宇宙人であることは、常にお忘れなく。 日本にいるらしい宇宙人に関してこんな話があります。先日私は日本を初めて訪れたアメリカ人の友人に、日本で最も印象に残ったことは何かと聞いてみました。そうしたらその方は日本で宇宙人に会ったと言っておりました。その人が、神戸方面に行く電車の中で自分の行く先が正しいかどうか不安になり、側にいた日本人と思える方に声を掛けて確認しようとしたそうです。そうしたら、その相手の方は一切表情を変えずにその友人を全く無視したそうです。その人に取って、私の友人はそこに存在していないのです。その時の異様観は何とも言えなかったと話しておりました。私の友人は自分が人間だと思っていたので異様に感じたのかも知れませんが、その日本人には私の友人の方が屈折率ゼロの透明な宇宙人だったのだと思います。 実は、私も同じような経験をしたことがあります。あるとき私の家内と閑散とした小倉城の庭を歩いていたら、向かいから25才ぐらいの女性が歩いて来たように見えました。そこで、小倉城を背景に私たち夫婦の写真を撮ってもらおうと結構大きな声で声を掛けたのですが、その女性は何の反応も示さず、また全く表情を変えずに私達の側を通り過ぎて行きました。私達夫婦は唖然として二人で顔を見合わせました。もしかしたら私達は宇宙人を見てしまったのではないか。きっと、この宇宙人から見ると、私達は存在していなかったのではないか。ま、こんな所が私の宇宙人との遭遇談です。私は大分多くの国を訪れていますが、こんなことは日本だけに起こる現象のようです。日本て不思議な国ですね。 タンパク質とアミノ酸の話ですが、私は時々「自分の頭で考えているよりも、自然を虚心坦懐に眺め、そこから学んだ方が、遥かに深い智慧が授かりますよ」と誰でも知っていることを若い連中に言うことがあります。どういうわけか生物は他者のタンパク質を摂取した時に、そのタンパク質をそのまま自分の体の部品にすることができず、必ず一旦、アミノ酸に分解してから、またわざわざ手間をかけてタンパク質を作り直して、それを自分の部品にしているのですね。自然は、きっと他人の部品をそのまま使っても役に立たないことを教えてくれているようですね。そう言えば、日本人の外国物のコピーの下手さ加減は有名ですね。日本人は外国の物をそのままコピーすることができない。そこで、それを分解しいじくり回し、日本人の個性に馴染んだ全く新しい物に改変してからでないと、何も使いこなせないようです。そんな、日本人のコピー下手は外国で大変高く評価され、どこでも日本製は尊敬されていますね。
お礼
どうも。
補足
>自分が外国人からみて宇宙人であることは、常にお忘れなく。 宇宙人が居るという事実は未だ猪突先生しか確認しておらず、皆が「外国人から見て自分が宇宙人である」として考えるのはまだ早いような気がします。また、「外国人から見て自分が外国人である」ということは誰でも知っていることです。 確かに他者を宇宙人として認識する人は、外国人から見たらフシギな宇宙人として目に映るのでしょう、スルーされたのはそれが原因かもしれません。 >私の友人は自分が人間だと思っていたので異様に感じたのかも知れませんが、その日本人には私の友人の方が屈折率ゼロの透明な宇宙人だったのだと思います。 その仮説が本当だとすれば、やはりそのご友人は宇宙人なのだと想います。であるとすれば >その女性は何の反応も示さず、また全く表情を変えずに私達の側を通り過ぎて行きました。 宇宙人である友人を認識できる先生は、きっと宇宙人なのだと想います。その日本人はびっくりしたでしょうね。であるとすれば >こんなことは日本だけに起こる現象のようです。日本て不思議な国ですね。 こんなことが起こるのは先生の目の前の現象としてだけであり、フシギなのは先生と奥方様であるということになります。 >自然は、きっと他人の部品をそのまま使っても役に立たないことを教えてくれているようですね。 それは植物でも動物でも人間でも同じですので。 >日本人は外国の物をそのままコピーすることができない。そこで、それを分解しいじくり回し、日本人の個性に馴染んだ全く新しい物に改変してからでないと、何も使いこなせないようです。 日本人は、外国の文化や技術を自分のものとして咀嚼して真に自分のものとして使いこなせるということですね、、、。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
話がそれているようですが、江戸時代のUFOの話は面白そうですね。質問者さんの他にもこの問題に真面目に興味を持っている方がいたということですね。しかし、幽霊の例のようには徹底的に学問のレベルで論じられてはいないのではないでしょうか。まだまだ、質問者さんの出番がありそうですね。 商売の世界と違って、学問の世界では、何が大事かということの方が誰がやったかということより遥かに重要なことです。そして、無から有を創りだす営みには、「果たして自分で言っていることに意味在るのか」ということに関して常に不安が付きまといます。したがって、世間の常識とは反対に、自分で創り出した考えが既に知られていたということを知った時の喜びは大変な物なのです。その反対に、既にやられていたと知った時にがっかりするようでは、見込みのある学者には成れません。どうでも良いことで「そのことは既に知られている」と主張出来るものはないからです。そのような既に知られていた大事なことを自分の力だけで見付け出すことができたのですから、その人がもう一寸早く生まれていたら歴史に名を残せたかもしれないのです。ですから、「そうか、この問いを発し、この考え方に到達したのは私だけではなかったのか。と言うことは、私の発見したことは意味があることだったのか」という喜びを味わうことができるのです。 >もっと進めて、的確な答えがないと的確な答えが出ない、ということでしょうね。 相変わらず答えの方に拘っていますね。的確な問いが出来れば、後は誰にでも的確な答えが出せるのです。ところが、問いの段階ではまだ答えが分かっていないので、それが果たして的確な問いであったかどうかすらも分からないのです。そのような、訳の分からない状態で的確な問いを発することが出来るためには、その人の独特な個性と世界観の洞察力が要求されるのです。私は、その能力のことを「神懸かり」と呼んでいます。答えが分からないのに正しい問いを発する、そんなことはコンピューターでは決して出来ません。神懸かった人間だけが出来るのです。答えが分かってからそれを評価することは誰にでも出来ることをお忘れなく。だから、答えはその人の能力を判断するのに余り重要ではないのです。 >インターネットで検索する時にどのようなキーワードで検索するか、つまりどのように問うことが出来るかが重要であり、その問いさえ的確であれば答え(欲しい情報)が得られるわけです。 これは、既に与えられた情報に関する処理能力に対しては正しい言述です。しかし、研究の本質では、どこかに既に書かれていることを効率よく見付け出す能力が要求されている訳ではありません。そのような能力は、優れたお役人や行政官に要求される能力ですが、研究者には二義的な能力です。研究に要求される能力とは、無から有を作る出す能力だと私は考えています。だから、その能力を磨くために他人の成果に(専門分野でも趣味の分野でも)興味を持つ以外には、私には誰が何を言っていたかに興味は在りません。質問者さんも既に同じような経験をしていると思いますが、他人のタンパク質を一旦アミノ酸に分解して、それを基に自分の身を形作るタンパク質を作り直す営みは、何とも言えない喜びが在るようですね。
お礼
どうも。
補足
その時代によってUFOに対しての解釈が変わってきているようですね。宇宙を意識・認識し始めたときには「宇宙人の乗り物」とされ、そして今内面世界を模索し始め、字空間を意識・認識し始めたときに「タイムマシン」ではないかと考え始めたと言うわけです。 >私の発見したことは意味があることだったのか」という喜びを味わうことができるのです。 そういった喜びもあるかもしれませんが、気付いたときの喜びのほうが大きいのではないでしょうか。その場合はもはや喜びと言ったようなものではないかもしれませんが。 その創造をまだ誰もしていなかったらどうでしょうか。 >相変わらず答えの方に拘っていますね。 いえ、そうでもありません。 真に創造的な気づきというのは問いと答えが瞬時に生じるものであると想います。無意識の気付きですね。 問いと答えのラグタイムがなくなりつつあるように問い、答えを見つけていくべきですね。 そのためには固定観念や今まで生きていく中で染み付いた泥のようなものを落としていけば良いのだと想います。 >これは、既に与えられた情報に関する処理能力に対しては正しい言述です。 そうでしょうか、例えば「UFO」という情報を与えられてそれをどのように調べるかは想像力とも言うべき「どのように探すか」というセンスのようなものが必要であり、それはその人の才能なのだと想います。 「研究」に必要とされる能力は、既に他者が出した結果を分析し、論理的に理解する能力であり、真の創造はやはりインスピレーションなどの閃きによるものしかないでしょう。 >他人のタンパク質を一旦アミノ酸に分解して、それを基に自分の身を形作るタンパク質を作り直す営みは、何とも言えない喜びが在るようですね。 なにやら意味深なことを言いましたね。これをもう少し具体的に説明してください。 それから、全世界の先生のファンが宇宙人の目撃談を聞きたがっていることもお忘れなく。 宜しくお願いします。
- corpus
- ベストアンサー率12% (25/200)
もしも、2010年までにタイムマシンが到着していれば、われわれは、タイムマシンの存在を知ることになります。でも、実際には、UFOなど有力候補はありますが、タイムマシンであると正式に認定されていないはずです。 ところが、これから先、タイムマシンが未来から到着することは可能です。例えば、2012年から2011年にタイムマシンが着いたら、われわれは、タイムマシンの存在を認めることになります。 しかし、2012年から2011年にタイムトラベルできるのに、2011年から2010年にタイムトラベルできないのは、不合理だと考えることも自然だと思います。 ところで、UFOがタイムマシンだということがわかったときは、厄介です。なぜなら、今までの歴史が塗りかえられることになるからです。これは、人によって意見が食い違うところだと思いますが、UFOが確認されていた当時から、タイムマシンは存在していたのだという考えです。このように遡って考えられるなら、私は、タイムマシンが確認された以前にもタイムマシンは存在したということが言えると思います。でも、反論はあると思います。 この問題は、結局、水がH2Oであるとわかる前から、H2Oは存在していたか?という問題とパラレルになっていると思います。つまり、この例では、UFOがタイムマシンであるとわかる前から、タイムマシンは存在していたか?という問題です。 でも、UFOというのが、そもそも、どれくらいの確実性で存在しているかは問題ですよね。
補足
>タイムマシンであると正式に認定されていないはずです。 そらそう >つまり、この例では、UFOがタイムマシンであるとわかる前から、タイムマシンは存在していたか?という問題です。 タイムマシンに乗って、「タイムマシンで過去に戻った人たちが居た現場に行き、会って確認してみれば」解るかもしれません、、、(???) この回答とは関係ないですが、猪突先生の回答の補足欄におもしろいことを書いたので、参考にしてみて下さい。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「~の時代」といったような、いつも同じ要素が同じ時空を占めて、 船のように時間軸を移動していく、絶対時間的な考えは、既に否定 されています。 それぞれ質量や運動量に応じて、異なる時間軸的移動をしているのです。 そこにおいて、「タイムマシン完成以前の時代」といった、絶対的な 線引きは不可能です。 そもそも、我々の意識自体が、時間軸的な移動に依拠している以上、 時間軸を逆行する事は不可能です。 超光速粒子の虚数エネルギーは、相互作用において自乗=マイナスに なり、時間軸逆行と等価となりますが、「時間軸逆行(マイナス)の 正常粒子」は、意識にとっては「時間軸順行の反粒子」にしか見えない のです。 それでは、我々自身が逆行すればどうなるかと言えば、そもそも我々の 意識する有限な存在性によってなる宇宙は、階層現象的表面性に付随して 派生している(無=無限不確定性の潜在としての自我仮設に対する 時空仮設の相補分化)以上、我々が向かった方向が未来になるだけで、 何も起きません。
お礼
どうも。
補足
今しか存在しないということで。
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- 2
お礼
訂正 ×もし、タイムマシンが完成していない時代に行ったら、その時代の人はそれが何か理解できないでしょうね。 ○もし、タイムマシンを作る科学技術が整っていない(あるいは失った)時代に行ったら、その時代の人はそれが何か理解できないでしょうね。
補足
以前、友達が言っていたのですが、その人の知人が「UFOは未来から来た地球人のタイムマシンだ」と話していたそうです。その人はその後自殺したらしいですが、、、。 もしその話が真実であるとすれば、タイムマシンはそうであると認知されてはいなかったが、存在していたということになります。 もし、タイムマシンが完成していない時代に行ったら、その時代の人はそれが何か理解できないでしょうね。