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なぜ藤原氏は天皇とならなかったのか。

kenkeyの回答

  • kenkey
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回答No.6

No.2です。 >これは、そもそもその時代には、 権力を握った者が新しい王(?)になるという概念自体が なかったのでしょうか。 権力を握った者が新しい王(?)になるという概念・・・この事を中国では「禅譲」と言います。前政権から権力を委譲された、といった意味合いですが、実際には前政権を滅ぼして建国するという事です >天皇を利用することによって得られる利と 自分たちが新しい王になる労力とを比較して考えた結果の実利的行動でしょうか。 その通りだと思います。だから、結果として天皇家及び天皇制が現代まで存続できたものと思います。 >藤原氏は私腹を肥やすために、荘園制度なるものをつくっています。 少し違うと思われます。もともと荘園は三世一身法や墾田永年私財法の延長線上にあり、中央貴族だけではなく、寺院や神社、地方の旧豪族なども開発領主となったので、藤原氏の独占、という事ではありません。後に「寄進地系荘園」が増え、税を免除される荘園が増えた事で朝廷の財政悪化の原因となった事は事実です。 >権力を得た藤原氏なら 法体系を改変して、位階の授与権も天皇から奪うことはできなかったのでしょうか。 あくまで極論ですが、天皇家以外全て藤原氏であったなら可能性はあったと思います。しかし、藤原氏以外にも有力貴族はある訳ですし、あまり勝手なことは出来なかったのではないか、と想像してます。また、「慢心は滅びの元」のように考えていたかもしれません。藤原の栄華の大本は「慢心が故の」蘇我氏を滅ぼして成り代わった大職冠中臣鎌足ですから。ただ、現実には幼少期に即位した天皇では実質政務に携わる事はないでしょうから、取り巻きが決済していたものと思います。 >藤原摂関政治が始まってからは、 天皇はただのお飾りになってしまったというような書かれ方がされていますが、 参考までに後三条天皇以降名門藤原氏は求心力を徐々に失います。 >その時でも、位階の授与権は天皇にあったのでしょうか。 ありました。

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