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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本史上、生まれた土地から引っ越してはいけないという時代はあったのでし)

日本史上の生まれた土地からの引っ越し禁止の例はあったのか

このQ&Aのポイント
  • 日本史上において、生まれた土地から引っ越してはいけないという法令で定めた例は存在するのでしょうか?農民・商人・貴族・武士などに関わらず、旅以外では生まれた土地を離れることが許されなかったかどうかについて、歴史的な文献や資料を通じて検証をお願いします。
  • 生まれた土地を離れることが禁じられた例は、特定の時代や地域で見かけられる現象であると考えられます。厳しい上下関係や社会的なしがらみがあったため、多くの人が一生涯を生まれた土地で過ごさざるを得なかったのかもしれません。しかし、これが法律で定められていたかどうかは疑問です。
  • 多くの歴史的な文献や史料において、生まれた土地からの引っ越し禁止に関する明確な記述は見つかりません。一部の特殊な環境や制度であった可能性はありますが、一般的には自由に移動することができたと考えられます。生まれた土地を離れることが法律で禁止されていた例があるかどうかについては、具体的な時代や地域においての調査が必要です。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

No.4です。お礼ありがとうございます。 質問に答える前に、大本の質問の法が明確に指摘できずにすみませんでした。律令は本質的に人民の土地からの移動を制限していると理解していますので、間違いではないと思いますが、明確にそれを謳っていたかは定かではありません。ただ、土地が皆欲しいという前提があるため、土地から離れることを想定しておらず、わざわざ言ってないだけだと思いますが、、、なにせ律令と戸籍の整備というのは、豪族の奴卑(奴隷)以外の私有地と私有民を国家のものにするということですので。 さて商人ですが、これは時代により色々です。まあ、農民もそうなのですが、法というのはその背景にそれを守らせる実力が必要です。簡単に言えば武力(治安維持能力)です。この国では、桓武天皇あたりから、政府?のその能力が著しく欠如しはじめます。よって、濫発される法は多くの場合、厳しくそれを守らせようとしたというよりも、守る者がいないので何度もだされたと理解するほうが多くの場合は実態に近いと言えます。法がその力をあまねく及ぼすようになるのは秀吉以降です。 で、それ以前は商人とは武装商人以外は存在しません。自由に行動したかどうかは不明ですが、実力行使で移動したことはあったかもしれません。ただし、それぞれの地域もその土地土地に寺社などをはじめとする有力者(当然、その地域の治安維持力を所有しています)がいますので、本拠以外に自由に移転できたとはなかなかおもえませんねえ。 ちょっと時代範囲が広すぎてうまい説明ができなくて申し訳ありません。

GATX103
質問者

お礼

返事が遅くなりまして申し訳ありません。 再度、噛み砕いた解説をありがとうございます。とても分かり易いです。 >守る者がいないので何度もだされた 昔は意外と法律を守らない人が多かったのですね(笑) これまでの全てのご意見をまとめると、 農民にしても商人にしても土地を離れることはメリットよりデメリットが多く、そのデメリットを差し引いてでも離れたいという理由もなく、権力者たちはそれを知っていたため法律での誘導はしていたものの明文化はせずとも成り立っていた。 ということのようですね。 皆様、丁寧なご回答をありがとうございました。 勉強になりました。

その他の回答 (5)

回答No.5

法令として明確に定めてはいないと思います。 いわば慣習法。 そもそも日本人は閉鎖的で、見知らぬ人には結構冷たい民族です。 特に昔は日本国内といっても、境を越えれば違う“国”という感覚ですし、 すこしでも習慣を乱す輩は、同じコミュニティにいてもすぐに『村八分』にするというように、 よそ者、和を乱す者は生活できない環境です。 だから、逆に好き好んでテリトリーから離れようという人が少ないのが現実で、 敢えて法にしなくても良かったんです。 ただし、飢饉になったり、特別なことがあった場合に土地を離れざるをえない、 ということがありました。 とはいえ、これは全て農民の話。 商人、芸人など、米を生産しない無納税者は、結構自由に色々と動いています。 領主としても、離れて困るのは農家。 とはいえ、どんな職業でも組合など、組織を作るのがすきなのが日本人。 すぐにいろいろな場所で、色々と組合、座を作ってますね。

GATX103
質問者

お礼

返事が遅くなりまして申し訳ありません。 なるほど、日本人の性質がわざわざ明文化しなくてもいい環境を作っていたのですね。 農民以外はやはりけっこう自由だったようですね。 芸人なんかは全国を回ってなんぼ、という感じですし。 ご回答ありがとうございました。

回答No.4

みなさんお書きになっておられることは当然ですが、この国は土地を離れてはいけないという時代ばかりですが^^ 土地が最大の富の源泉ですので、我が国の歴史は最近まで土地所有史という側面が強すぎると批判されてもいます。 律令によって戸籍が整えられますが、それは土地だけではなくセットである生産力を把握しないと支配できないからであり、それ以降、原則的に農業生産者層は移動が自由であったことはありませんね。

GATX103
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >土地だけではなくセットである生産力を把握しないと支配できないからであり、それ以降、原則的に農業生産者層は移動が自由であったことはありません なるほど、わかりやすいです。 では、商人は自分の田畑を持って何かを生産しているわけではないから(税金は納めなければいけないと思いますが…)、特に縛りはなかったのでしょうか? ここじゃ商売にならないから別の場所に行こう、と移動することは可能だったのでしょうか? 税金を納めてもらわなければいけないから商人もやはりダメだったのでしょうか? すみません、お礼で質問ばかりしてしまって…

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

まぁ”文学表現”だな。 農民は江戸時代における最強の”生産装置”だったので、各大名家で取り合えいです。 逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦 (新書) 宮崎 克則 (著) 細川家と黒田家は、組織的に隣国から農民を勧誘するのにあの手この手。そして逃げ出さないように、あの手この手であります。 江戸時代後期、飢饉で人口の減った東北諸藩がやったのが、他国の百姓の密輸というか、勧誘作業。その勧誘の主の方法が「すでに、移民してきた百姓に、故郷の親族や知り合いに手紙を書かせる」というもの。 http://musubu2.sblo.jp/article/25877673.html 百姓は貧しく一生米を食えなかったと同じような文学表現だなぁ。 人間が一年間に消費する米の量が一石で、3000万人の人口で3000万石毎年コメがとれた。特殊な山間部でコメが取れないところなら米を食えないかもしれないが、人口の80%が百姓で米を食わなかったら、残りの20%の日本人が食える量の5倍も食わないと消費できない。

GATX103
質問者

お礼

ご回答りがとうございます。 “文学表現”という言葉がすごくしっくりきました。 >江戸時代後期、飢饉で人口の減った東北諸藩がやったのが、他国の百姓の密輸というか、勧誘作業。その勧誘の主の方法が「すでに、移民してきた百姓に、故郷の親族や知り合いに手紙を書かせる」というもの。 これは面白いですね。 『逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦』この本も面白そうなので、見つけたら読んでみます。 百姓の取り合いをしていたということは、元の土地から離れた百姓も確実にいるということですよね。 勧誘先の土地へ移動している時に捕まって元の土地に戻されるというようなこともあったんでしょうか。…でもそういうことがあったとしたら、役人は暇だったのかとちょっと笑ってしまうかもしれません。それとも最優先事項だったんでしょうか。 色々と疑問は尽きません。

GATX103
質問者

補足

↓ご回答“あ”りがとうございます。(“あ”が消えてました。すみません。)

  • kimari14
  • ベストアンサー率17% (50/288)
回答No.2

歴史の時間で習いませんでしたか 近くは、幕藩体制の慶安の御触書 (百姓の日常を細かく規定したもの) そして、そのなかの五人組 庄屋、組頭、百姓代、本百姓、水呑百姓ですね 土地を売ったり買ったり、細かく分けたり 村を離れてよその土地に行く事も禁止 そのまえは、秀吉の刀狩と検地ですね 戦国は飢饉の時代でもあって、不作の年は減税の処置 がないと国の村の人たちは、みんな逃げます ですから、逃げられるより、その人たちを、組織(軍として)的に 編成して他国への物、人を略奪にいきます。 人は捕虜として、商人に売り飛ばします。 戦国は大名も百姓もたいへんですよね

GATX103
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 少しお伺いしたいのですが、 『慶安の触書』は私が高校生の時(10年ほど前ですが)、偽書の可能性が高いと習いました。その後、信頼性があると認められたのでしょうか? >土地を売ったり買ったり、細かく分けたり >村を離れてよその土地に行く事も禁止 五人組制度でこういうことも定めて監視させていたんですね。そこまでは知りませんでした。 太閤検地や刀狩は住民の移動とは関係ない気がしますが…どう解釈するのでしょうか?

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

専門家でないので、うろ覚えの『逃散』というキーワードで検索したらWikiに、記載あり。 法令なのか?掟なのか? 何かしら制限はあったのでは無いですか? 農村の働き手=年貢の納め手=領主の収入源 である以上、好き勝手に移住されたら困りますね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%83%E6%95%A3
GATX103
質問者

お礼

「逃散」高校の日本史で習いました。 参考に挙げてくださったWikiのページにも「江戸時代に逃散を禁じ、移住も原則として認めない」と書いてありますね。 農民は破ることもあったとも書いてありますけれど… 一応は江戸時代にそういう決まりがあったようですね。 ご回答ありがとうございました。

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