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言葉では表せないような感覚、あなたにもありますよね?
みなさんも経験したことあると思うんですが、 ペースとか、タイミングとかはとくにないんですけど、 なんだか、無性に前向きになるときってありません? どんなに落ち込んでいるときでも、なんにもなくて パッとしないときでも、よろこんでいるときはもちろん、 なんでしょうかね… ものすごく、「やりますか!」みたいな状態です。 なんていうんですかね、医学的にそういうのって名称とかあるんですか? そういうのを経験したことあるかた、どんなささいなことでも いいのでちょっと話をきいてみたいと思いました。 ちなみに、僕は明るい音楽とかきいたときとか、 空が異常に明るいとき、あとは、何か頭に言葉が浮かんだ時 とかになりやすいです。
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- toraneko14
- ベストアンサー率42% (3/7)
質問者さんは感性を大切にされていますね。 これは私にとっても追いかけている(求め続けている)ものです。 この「うおーー」というか、身体中が動き出したくなるというか、力強くなるような感覚。 これは「理屈」っていう、中途半端に学んでいる人が手放せないものを失くしちゃうことが出来たとき、とか必要条件があるようです。 ことばで言い始めると、それが遠のいちゃうのであまり言いませんが、これがないと私は仕事が出来ません。 どうにかして毎日出てこないか、と願うのですが・・・なかなか。
- _doukeshi_
- ベストアンサー率40% (40/98)
理由なく心がどんよりする時もあれば、これまた理由なく気分が上がる時、私もあります。 心は気まぐれなのだと思います。 空と言えば私も、4月になって、雪が溶けて、コンクリートが見えたとき、何ヶ月かぶりにポカポカ陽気につつまれたとき、とても気分が上がります(北国在住)。
お礼
「心は気まぐれ」まさにそうですね。 この何とも言えない感覚というものは、いつ来るかわからない。 でも、そのほとんどが、自分というものを意識してないときにやってきます。 気まぐれなんでしょうね。人がその感覚を持ちたいと心から願うときには決してやってこないですし、むしろ何も考えてない時のほうが訪れてきます。 とても気持ちのいい感覚です。もしかしたら、景色というものはそれを呼び出すような作用があったりするのかもしれません。 わたしは閑静な住宅地に住んでいますが、日中の日差しや、ときたま現れる紫色に輝く夕焼けなどは、ものすごく心をゆさぶられますね。 見た後は、「ハッ」としてなにか心に大きな空洞ができて、何かをやりたくなるような感覚になったりもします。 空模様には不思議な点がいくつもありますね。私は朝が怖いと感じるときがあります。たとえば、あの真っ青な朝5時半ぐらいのとき。まるで自分がすべて吸い込まれるような、そしてただ風の音がゴーゴーときこえてきます。 青く、薄紫の、どこまでも遠くまで見渡せる空が、とても怖いと感じるときもあります。 それに比べて、夕方の日はやさしさや、あすへの勇気をくれたりするのでしょうか。 朝日も私は好きだったりします。朝7時ごろのあの目を覚まし、起きる辛さ軽減してくれる朝の日はわたしを見届ける存在であり、とても気に入っています。 たまに携帯で朝日を撮ったりしますね(笑) 回答ありがとうございました。参考にさせてもらいます。
- matatabi12
- ベストアンサー率14% (30/204)
私的に 考えてみると それは バイオリズムの波が ぐっと上向きになった時 自分のバイオリズムは 意識してないから 明後日くらいに来るよ!的なことは 全然わかんないけど(笑) おんなじ音楽聞いても 上向きにならない時もあるけど ビックウェーブが来る時に聞くと ふぁ~ と 軽くなる それが無意識に一致した時なんでしょうねぇ まぁ 単純な人間なんで そんなこといちいち考えてはないですけど(笑) こじつけです(笑) 私的には 雨上がりの匂いを嗅いだときかなぁ(^-^)
お礼
雨上がりのニオイは私も好きです。あのどことなく懐かしさと、 青く薄暗い空模様が、私の心の中にスーっと入り込むような、 不思議な感覚になりますね。 matatabi12さんの言うような、「無意識に一致したとき」、 これは私もずっと思っていたことですね。やはり、この、なんともいえない感覚というのは、 無意識下でしか、体感できないものだと思うんです。 意識している状態、感覚を自分から得ようとしているときは得られない。 ですが、苦しくて何も考えられなくなった時、うれしさで感覚が興奮しているとき、 そのときは人は無意識という状態におちいりやすかったりするのかもしれません。うれしい時も苦しい時も、ふいに訪れてきますからね。 突然体が空気みたいに軽くなるあの瞬間こそ、人には必要になってくるものなんです。 でも、考えないでその感覚を心と身体が共有できれば、生きることへ、より前向きになるんだと思います。 どんな自分が境地にいても、無意識になれれば、人は考えなくても動く生き物なんじゃないかな?と思ってしまいましたね。 ありがとうざいました。回答は参考にさせていただきます。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
躁状態、ということかな。
お礼
躁状態、調べてみました。高揚な状態が続いた後に、イライラしやすくなるとのことですが。 ちょっと気になる内容ですね。なんでもできるんじゃないかと思ったり、次から次へと物事のアイディアがうかんだり、活動の増加などといった点では、私の言っていた状態と当てはまる点が多いです。 自覚しているときはエネルギーが満ちていると思っているが、それは社会的にトラブルを起こす原因にもなると・・・ なんだか深いですね、躁状態。 ですが、社会活動、人間関係などには今のところ支障はありませんので、おそらくこれとは違うと思います。 非常に興味深い言葉を教えてもらいありがとうございます。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20268/40180)
ありますよね。 ただ、それを明確にタイミングも含めて敢えて意識しない方がいいのかなとも個人的には思ってます。 客観的に振り返ると、色々な悩みや整理しきれないもつれた糸がすっとほぐれる時があるんですよね。 そのきっかけが何なのか? それはおそらくそれぞれ違う。 ただその結果びっくりする位今までのモヤモヤが晴れたり、急に光明の筋を感じられる時があって。その後には妙にシンプルに前だけを見据えられる自分が備わってる事に気がついたりね。 それはおそらく無意識的に自分の中にあった、色々な整理に繋がる要素が合致する寸前の状態で存在していたり、過去に深く悩んでもがいた自分の残像があったり。 それがどういうタイミングなのか、縁なのか、引き金なのか。 それはわからないけど、上手くかみ合う瞬間があると。 僕自身は散歩をしてると良くありますよね。 外の空気を感じながら、草花のふんわりした香りを辿りながらのんびり歩いていると。段々歩いている事自体が小さなエンジンを蒸かしている状態になっていたりね。いつも必ずそうなる訳ではないんですけど。 貴方の書いてる、やりますか~という気持ちに近い感覚を優しく携えて戻ってこれた時はなんだか嬉しいですよね☆
お礼
経験者さんがいてなんだか嬉しいです。 たしかに、この「なんともいえない感覚」(あえてこういう言い回しで表現しますが)は意識してしまうと、なぜだか現れてこないような気がしてならないんです。 何と言いましょうか、無意識的にしていると、自分に不意に訪れるような感覚なんでしょうね。私もblazinさんの意見と似ているところがいくつかあります。 本当にビックリするぐらい前が見えるんですよね。でも、数分たつと、それはもうはるかかなたの感覚、ですが、そのあとの精神的な支えみたいなものは要らず、体が軽くなったように動くんですよね。 前だけを見据えられる自分が備わっている←まさにこれを言いたかったような気がします!ひたすらその光明だけを見ている自分を、どこかで感じ取っているような気がしますね。 心や精神の中にある、記憶や起こった出来事の感情などが、綺麗に整頓されたような、そうですね…blazinさんの「うまくかみ合う瞬間」というのはとても良い表現だと思いました。なにかがカチッとはまって落ち着くんですよね。 まだまだ、言葉では表しきれませんが、貴重な意見が聞けてよかってです。 回答ありがとうございました。
- marie92
- ベストアンサー率16% (1/6)
その気持ち、すごくわかります! 私はいい香りをかいだ時(笑)とか、 すごいピンチに陥った時、 心が熱くなって・・・じっとしていられないんですよね^^ 医学的名称はわかんないんですけど、 私にもしょっちゅう起こります。
お礼
心がシンプルかつ熱くなるような…まさにそれです! なんとも不思議な感覚なんですけど、どこかオーソドックスで 基本の構え、みたいな感じですかね。 向かってくるあらゆる何かに対して、構えてる自分が無意識に存在しているとき。まさに、そこで自分の心の奥に静かに燃えている何かがあるんですよね。 でも、なぜかその感覚って意識しきれないような、抑えられない感覚のはずなのに、どこか自分は平然とその感覚を受け入れている。 そんな気がして、はるか向こうの光をひたすら見ているんですよね。 経験している方がいてなぜかホッとしてしまいました。 回答ありがとうございます。
お礼
ぜひ毎日訪れてほしいものですよね。 仕事も勉強も、すべてにおいて必要なのでは?とわたしは思っています。 どんなに暗い状態でも、この感覚は裏切らないでやってきてくれますからね。 わたしは特に苦しいとき、頭に言葉が浮かんできますね。その言葉が自分を、そっと背中を押してくれるんですね。 あのときに一気に「うおーー」という感覚が体の芯からわいてきます。 あとは音楽のテンポが遅く感じるときですね。普段流すように聞いている音楽も、感覚が鋭くなっているときはなぜかゆっくり聞こえます。 そのとき不意に自分に無意識がやどってくるんですね。おかげでとても音楽が綺麗に聞こえてきます。 でも、さすがに毎日は訪れないのがこの感覚… 仕方ないですけど、できるだけ、困った時は何も考えないようにしてるのがわたしの生き方みたいな感じですね。 無意識化に不意に訪れるこういった感覚をたくさんの人が共有していてとても参考になりました。 回答ありがとうございました!