• 締切済み

昔の日本では「神道ではない」イコール「仏教」だったのでしょうか

宗教カテがないのでこちらに書き込ませていただきます。 仏教の各宗派の教義(?)を簡単に調べてみたら、すべてを「仏教」というジャンルでひとくくりにしていいのかというほど、それぞれが違っているなぁという感想を持ちました。 その昔、Religionにあたる日本語がなく、明治初期に「宗教」という言葉を作ったとも聞きました。 また、キリスト教が宣教され始めた頃、最初に通訳・翻訳をしてくれた日本人が教義を説明する際に仏教用語を使ったため、民衆に「ああ、また新しい仏様(?)が来たのだな」と理解されてしまい、あわてて用語を修正したという話を何かで読みました。 そんな中、当時はなんでもかんでも「仏教」だと思っちゃってたのかな?と疑問が沸いてきたので質問です。 宗教という言葉がなく、宗教的なものはすべて仏教という思考回路が中途半端に現代に引き継がれているならば、「仏教が多様すぎて、それぞれ別の宗教じゃないか?全部をひとまとめで仏教というのは乱暴じゃないか?」とわたしが思ってしまうのも納得できます。 標題の質問のほか、仏教を仏教たらしめている基本的事項のようなものをご存知でしたら、簡単に教えてください。わたしのような無知な者にもわかりやすく、簡単に・簡潔に、だとありがたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.5

日本は神道の国です。でもそれはどちらかといえば天皇を中心とする貴族支配の中で作られた古事記というか日本書紀の話です。 私はそれ以前の神道は、現代のアイヌや米国の原住民の信仰に近いと考えています。 古代の信仰はありとあらゆる物に神が宿っているから、仏教に対して誤解したというよりは、神として受け入れたというほうが正しいでしょう。 (貴族支配の元で出来た神道からすれば侵略でしょうが) その後仏教が日本に導入され、神仏混淆というのには不平等な形で仏教に取り込まれた神道になりました。元々仏教は外交政策や国内政策の為の政治目的なのですから仕方ない事です。 現代の多くの神道の常識はこの中で出来上がった物だと思います。 その仏教も仏陀が作った仏教ではなく、ヒンズー教を取り込んだものですし、仏教も大乗的なものと小乗的なものに分かれます。(以前は分けていましたが、最近では分けない学者も増えて居るそうです) 更に神道と陰陽道を取り入れた民間陰陽師や密教から生まれた修験道が民間に広く伝わるようになりました。これが今言われている修験道の始まりです。 特に修験道と密教には深い繋がりもあるので、区別はつきません。 修験だけをしている人も居れば(最初から属さない人も居れば僧籍を持っていたのにその世界を飛び出してしまった人など)、法相宗や天台宗などの僧として行なっている人も居ます。 明治になり、政治は天皇の下に国を一つにすることを決めます。 それには天皇の祖先である神を唯一絶対にしなければならないので、神仏分離令を出します。 現在の神道で言われている事の殆どはこの時に、仏教との差別化の中で生まれたことです。 でも、神道も一つではいられませんでした。 天皇と政治支配の中で、神社が勝手に教えを広めては困るのです。そこで神社庁は「教え」を廃止しました。これに反対したグループなどは神社長を離れ独自の神道を打ち立てました。これが出雲大社などの十三派と呼ばれるものです。 何を基準にして分けるかと言う問題ですが 例えば生物分類でも、動物と植物から類・目・科などの細かい分類に分かれています。 宗教も大きく分ければ多神教と一神教から、細かい細分まで区分けしていいと思います。 後は必要に応じて、ドコで分けるべきかという問題になるだけです。 仏教でもヒンズーの神まで含めているのを仏教というか、仏陀の言葉とされえいる部分だけを仏教徒するか、或いはその間のドコまでか、の違いです。

ray_ray
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 他の回答者さまと同様に「神道イコール仏教ではない」ではなく、「神道・仏教あわせてひとつ」というお考えですね。 ザビエルが来日したのが1543年、その頃の神道はまだ仏教と厳密にわかれていなかった、という感じだったのかな。 最近では大乗仏教・小乗仏教をわけないという考え方もあるのですね。部外者から見ると、まったく別物のように思いましたが、きっと何かしら共通するものがあるのでしょうね。 どうもありがとうございました。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.4

修験道は、神道(整備された教義の神道)とも仏教とも言い難い信仰です。また、サンカなどは独自の信仰(山岳信仰に類した信仰)を持っていたと言います。 また、古神道は長い時間を経て仏教を吸収し混淆してきましたから、その最たる例が本地垂迹になります。ですから、明治以前の日本の信仰を単純に仏教と神道に分離することはできないし、神道が教派神道として教義を整理したのはかなり近世になってからです。 仏教も日本の仏教は北伝の大乗仏教で、南伝の小乗(上座部)仏教とは教義に大きな隔たりがあり、仏教とはというレベルで括れないと思います。

ray_ray
質問者

お礼

ご回答くださいましてありがとうございます。 No2さん、No.3さんと同じく、もともとは神仏は集合しており区分がない、つまり何もかも神(神道の)か仏というお考えでよろしいでしょうか。 みなさんの解釈だと、外来の神はすべて神道の神か仏教の仏として扱われるという理解になるのかなと思いました。 また、2つ目の質問に関しては、他のサイトなどにも目を通した結果、現代日本における仏教は大乗仏教だけであり、目的は仏になること、そのためにインド・中国経由のご本尊を拝むための経典がある、という理解になりました。 どうもありがとうございました。

  • goncici
  • ベストアンサー率26% (283/1054)
回答No.3

その昔は、神様と仏様が非常に身近な物だったようです。 「神様仏様」と言いますよね。 お寺の中に神社があったりして、あまり区別する必要も無かったのでしょう。 祈りの対象としては、「神」は荒ぶるものであり、 現世で生活する上で、犯してはいけないもの、恐れるべきもの・いざというとき心の支え・頼りにするものとしていたようです。 仏は「来世・彼岸」の生活を安らかに過ごしていくためのよりどころでしょうね。 今とあまり変わっていません。 自分の力が及ばない事や理解できないこと、制度的にどうしようもできない時代だからこそ神仏を味方にしていたのだと思います。

ray_ray
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 No.2さんとの回答とあわせて考えると、そもそも昔は神道・仏教をわけて考えてはおらず、「仏教・神道を習合させてひとつのカテゴリ」であり、「仏と神は似たようなもので呼び名が違うだけ」で、新しく世間に知れ渡る神も神・仏のどっちかである、となりますね。 一つ目の質問に対しては「神道以外はなんでも仏教」は間違いで、「ようするになんでも神道か仏教」であった、ということでしょうか。 もしよろしければ、どなたか二つ目の質問の「仏教を仏教とする根本的な何か」をご存知であれば教えてください。 それとも、大乗仏教と小乗仏教を両方とも仏教だと思わず、ブッダの教えから派生したけど、もはや別のものと考えればスッキリするのかな?似て非なり。 そしたら「わたしは仏教徒です」ではなく「○○宗信徒です」というような言い方をしてくれるようになれば、いったい何を信じているのかがわかりやすくてよいですねぇ。

  • fumiaki00
  • ベストアンサー率34% (29/85)
回答No.2

諸説がありますので小さくまとめます。 1.日本の文化的宗教は「神道」が大本。 2.神道にも各種あり系統分けは出来るが詳細は不明。 あっているとは断言できませんが、下記URLを参照ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93 3.日本から見た仏教とされる宗教は大まかに分けて「大乗仏教」「小乗仏教」の系統に分類され、区別としては「教えを受けて勉強して悟る」「自分で修行して悟る」  ブッタシャカムニが起こした仏教の初めは「独覚」という小乗仏教です。続く各流派はその派生と言い切っていいでしょう。 4.現在の日本において宗教観の大本になる発想が仏教中心に感じるのは死亡時の扱いが仏教的であるため。 5.逆に、誕生から死亡に至るまで宗教なんでもありの状態は、いかにも「神道」的であると言い切れると思います。 仏様 という形容で仏教を考えるのは正しいのですが、「神様」とすると見え方が変わると思います。 当時なんでも仏教としてみていたのではなく、日本宗教的に「仏教」も「キリスト教」も外から来た「神様」なわけです。 で、その神様を表現する単語が「仏」だったといえると思います。

ray_ray
質問者

お礼

ご回答くださいましてありがとうございました。 > で、その神様を表現する単語が「仏」だったといえると思います。 ああ、この表現にはなるほどなと納得がいきました。 言葉の使い方の問題かもしれませんが・・・。 > 4.現在の日本において宗教観の大本になる発想が仏教中心に感じるのは死亡時の扱いが仏教的であるため。 この「仏教的」がなんなのか、どうやらそれが知りたいようです。 神道にも系統のようなものがあるのは知っていました。今回は仏教についての定義を知りたく思っています。 わたしのもともとの仏教の理解というが、最初におっしゃっていただいた『「悟る」ことが目的で、同じく悟ったブッダを先輩的に見ている。そして自分もいつか悟って輪廻の輪から出る』という、哲学に近いものだと思っていたのです。これが若干誤解がありそうなものの小乗仏教ですよね。 ところが『極楽浄土があって念仏を唱えると死んでからそこに行って仏になれる』という概念があると知ると(大乗仏教ですよね)、あれ?輪廻は?となりました。 更に『霊魂が草葉の陰から見守っている』って??あれ?浄土にいるって考えているんじゃないの?とも疑問になりました。 キリスト教に関していえば、正教会・プロテスタント・カトリックと分かれていても、神についての理解は共通しているので、「三位一体の神を否定したらキリスト教ではない」とハッキリいえる、いわゆるキリスト教がキリスト教たる定義があるのですが、「はて、信じてはいないが割と身近にある仏教はどうなの?」となったので質問させていただきました。

noname#113957
noname#113957
回答No.1

今も昔も山に神あり水に神ありが日本であり、 神道や仏教はその下のレベルです。 神道でも日本古来からの風習もあれば、朝鮮半島由来の神道もある。 仏教にいたってはインド由来のものはなく中国や朝鮮半島由来が大半で、 真の仏教は日本にはない。 キリスト教もローマ帝国の国教となった時点でキリスト教ではなくなってますが。

ray_ray
質問者

お礼

書き込む時間を作ってくださったことにまずはお礼を言いたいと思います。 ありがとうございました。 わたしの質問に対する回答がわかりづらかったのですが、つまり神道も仏教も日本にはなく、名のない、あるいは宗派などのない神がいるというのが回答者様のご意見だという解釈でよろしいでしょうか。 質問がわかりづらかったらスミマセン。わたしが知りたかったのは「仏教というジャンル・カテゴリについての定義」です。

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