- 締切済み
意味盲・相貌盲について
永井均「ウィトゲンシュタイン入門」のp.182~に、意味盲・相貌盲について書かれていて、はじめて知りました。 ”はじめに”には、何の予備知識もなくてもよく考えたらわかる、と書いてあるので、何回も読んでいるのですが、よくわかりません。 たぶん、この本に書いてある例が少ないためだとも思いますが、ほかに参考になる例を教えてください。 または、このことについて書いてある他の本を紹介してください。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- booter
- ベストアンサー率34% (269/769)
ご参考まで。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/ninchi.htm 意味盲が出てます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
読んだことありませんが、こういうことじゃないかなーという推測でしかないんですが、、、 >何の予備知識もなくてもよく考えたらわかる、と書いてあるので、何回も読んでいるのですが、よくわかりません。 <よく考えたらわかる>というのは、何がわかるのかというと、わからないということがわかる というかと、、、 例えば<海>を見たことが無い人に海を<言葉>で説明しようとしたとする。 説明を聞いた人は、「それが海か!」と海を知ることができるか? できませんよね。 「私が感動した朝の海」を<言葉>でいくらしても、そのものを相手に言葉のみで相手に感じ取らせることはできませんよね。 「すっごい」とか「感動的」とか「創造の始まり」とか私なりの表現方法で説明するのだが、相手の「すっごい」と私の「すっごい」は違うわけで、、、、 意味盲というのもそういうもので、本質を言葉では表せない。 言葉には限界があるが、私たちは限界のある言語を使うしかないわけで、言語には限界があるので、そのままを言語では伝えることはできない。 映画だってそうです。 自分が伝えたいことを映画という媒体を通して他者に伝えても、自分が伝えたいことが映画を通して第三者にまるまるわかるかというと、わからないですよね。 本だってそうです、作者が言いたいことが、読者にストレートには伝わらず、限界がある。 意味盲というのも、そのままの意味を伝えていない。 何かしらの媒体を通してしか第三者に伝えられないが、媒体というものに変換したとたん、違うものになっちゃうわけです。 写真に撮ればいい? いえ もう写真という媒体になった時点で別物。 相貌盲というのも、世界をそのまま相手に伝えることができない みたいな? この本の作者が言いたいこと、それは<何回か読むうちに 何度読もうと媒体を通してしまったら、そのものはつたえることができなくなる ということががわかる> つまり「何度か読むと、わからないんだってことが わかる」って、、、、 ねぇ・・・・ 懸命に私の言葉で説明しようとしているけど、何言ってるのかわからないでしょ? 汗。 この本が言いたいことは そういうことじゃないかと。 何が書いてあるのかわからない ほらね? って言っているんじゃないかと。 えっと相貌失認ってあるんですね。 何度会っても相手に顔を覚えられないという障害です。 全体像を捉えることができないので、相手の特徴をつかめない障害です。 この本を読んでも 全体像がよくわからなかったんじゃないかと。 それを相貌盲って言っているんじゃないかと。 わかってるじゃないか? ええ、だけど、作者の言わんとする骨格はいぜんとしてわからず、「結局 読んでもわからない」ということを言いたいのかなぁぁ ねえ 教えて、、説明してもらっても、「やっぱりそうだ」と確信がもてない みたいな? >ほかに参考になる例を教えてください。 http://sokudokuhikky.blog103.fc2.com/blog-entry-738.html http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0833.html とかどうでしょうか。
お礼
言葉で表現できないというのは、前期ウィトゲンシュタイン(論考)だと思っていましたが、もしかしたら後期ウィトゲンシュタインの諸問題も言葉に表現できないというのと関係があるような気もしてきました。もう少し考えてみます。
お礼
ありがとうございます。 参考にしてみます。