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「ヴァイオリン」と「バイオリン」について

guttyan35の回答

  • guttyan35
  • ベストアンサー率14% (3/21)
回答No.5

こんにちは。 No.4の方がおっしゃっておられるように、音韻体系の異なる外国語を日本語で表す中で表記のブレが生じたのだと思います。 「ヴァ」という発音は、日本では「バ」と今まで表記してきました。「ヴァ」は、わりと最近入ってきたのではないでしょうか?同様に「ティ」「ディ」などもそうだと思いますが、おじさんは「PTA(ピーチーエー)」「デズニーランド」としか言えなくて、子供にバカにされてしまったりします(涙) 現在は「ヴァイオリン」と書く人と「バイオリン」と書く人が半々、もしくは「バイオリン」と書く人が多いくらいなので、英語表記の発音に近いからといって「ヴァイオリン」に統一するということはないと思います。こどもにとっては不自由なくても、お年を召した方が「?」となることもあるでしょう。 原音に近づけたほうがよいという意見もあれば、日本語なのだから合わせなくてもよいという意見もあるようです。 仮に統一したとしても、実際の使用状況が伴っていなければ、あまり意味がないように思います。 ちなみに、お隣の韓国では、外来語はなるべく近い発音で話すようです。ご参考まで。

mayapapa
質問者

お礼

ありがとうございます。 質問内容に関連して触れました個人的意見について、反対意見をいただきましたので、 折角ですから、少し趣旨を補足したいと思います。 私の具体的な趣旨は、#4 へのお礼で書かせていただいているようなことでして、 要するに、学校教育や報道関係ではできるだけ原音に近い記述に統一するべきじゃないかということです。 今回挙げたケースですが、 小学生にはまだアルファベットを教えてないからといって「バイオリン」というようなあほな刷り込みをして、 中学生になったら「ヴァイオリン」の方も教えてというようなことは、 最近鴻池大臣にも酷評された文部系役人のいかにも考えそうなことですが、 却って児童生徒への負担にもなるだろうし、国際コミュニケーション上もハンディを引きずることになるだろうし、 ということです。 現状が並存だから統一の必要はないというのでは、時代観、大局観を欠くと思いますし、 年配の人が云々だからというような理屈では、 たとえば「ちょうちょう」は「てふてふ」のままで良かったのにということになると思いますが。 それと、「日本語なのだから合わせなくてもよい」という意見があるというのはそのとおりでしょうが、 問題はそういう意見が正しいかどうかだと思いますが。 元々は日本語に適当な表現がなかったりしたために借りてきた言葉なわけですし、 折角原音により近い書き方があるのにそれに合わせなくても良いというのは、 つまらないこだわりやコンプレックスから来ているんじゃないかと思いますが。

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