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美術や音楽は進歩していますか。

美術や音楽は進歩していますか。 今の時代、ダビンチやベートーベンの時代よりも進歩している(上である)と言えますか。

みんなの回答

noname#102288
noname#102288
回答No.9

脳を刺激する芸術と、脳を休める芸術があります。現代の芸術は、脳を知性を刺激して、頭で理解する、論理思考芸術です。究極は抽象表現です。脳を刺激すると活性化して、元気になるけど、頭の知的な美的な遊びで、自己満足で、癒しではありません。脳を休める芸術は、日本の伝統文化です。情緒を表現していて、情緒思考文化です。脳を休ませる芸術は、情緒に溢れているので、心が癒されます。論理思考は情緒を排除します。論理と情緒は対立していて両立しません。だから自己主張や自己表現が強いと、論理思考芸術になります。日本の伝統音楽の義太夫節、演歌、民謡などは、母音を過剰に伸ばすので、この時、脳が休み、脳波がアルファ波になり、情緒が交流します。つまり日本の伝統文化は、舞踊や演技の間、音楽の母音、絵画の余白、和歌の枕詞などに、間を入れて情緒を多くします、これが脳を休ませる情緒思考芸術です。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は情緒の時代です。世界中で日本人だけ、思考行動パターンが、情緒思考です。だから日本は情緒溢れる国です。新しい時代の手本です。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.8

 No.4です。  ★ ありがとうございます。   ☆ それだけですか?

noname#112964
質問者

お礼

>☆ それだけですか? ハイ、それだけですよ(^∇^*)

回答No.7

わたしはいつも「進化」とか「進歩」とかという言葉の使い方で つまずいてしまうのですが、参考になれば――。 「進化」「進歩」は、一つの目的に向かっている過程において「意味」をもつ言葉だと思われます。 たとえば「物質の性質の解明」という視点(目的)があるならば、「化学」が進化しているかどうかの「判定」が可能となります。「家」を造るなら「建築学」の進化を問うことに意味があります。 そこで「音楽」「美術」の進歩はどうかです。 こういう「芸術」の目的をはっきりさせねば意味のある議論になりにくいのですが―― 「美学」は「感性の学(エステティック)」のことですから、 「目に心地よい」「耳に心地よい」という目的が成り立つとして (西洋クラッシックには頭が痛くなる人もいれば、義太夫節にそうなる人もいますが、 心地よさを「科学的」に還元できるとして)、 美術や音楽の表現手段(染料、エアブラシ、CG、など)は格段に進歩しています。 具体的な内容については問いません(好きか嫌いかに堕さない議論はあまりに複雑です)。 ここで芸術を考えるとき「人間」とは何かという問いが、大枠として有効ではないでしょうか。 「人間の目的」が少しでもほの見えてくえれば、それを「進歩」と見ていいのではないか。 わたしの感じでは「気高く」「うるわしく」生きるという方向に「人間らしさ」があると思っています。 文学の話しで恐縮ですが、たとえば「万葉集」の歌人や、「古今和歌集」の歌人がもっていた「直観力」には現代人の数倍も深く鋭いものがあります。ぜんぜんかないません。「進歩」などというのはおこがましいというかお話しになりません。 もう二〇年近くまえ、世田谷美術館で「フィレンツェ・ルネサンスの修復展」を観たことがあります。その帰り道、ちょっと画材や絵を売っている店にはいったのですが、そこに飾ってある絵の安っぽさに辟易した記憶があります。また渋谷でモーツァルトのオペラを聴いたあと、しばらくテレビの歌番組をきけませんでした。いまでも、10分以上たつとだんだんその「下手さ」に耐えられなくなります。(大晦日のあれは苦痛にちかいものがあります。) おっしゃるとおり、「進歩」などしてません。 ででも、「何を進歩というか」です。 いずれにしても、喪ったものを取り戻そうとするところに「気高さ」もまたあるのでは。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.6

この問題は進歩と捉えるよりも、進化と捉えた方が的を射ていると思います。生物の世界を見ると、偶然によるいろいろな状況に適応するために分岐を繰り返し、より高度な構造を手に入れて来ました。そのような状況で、果たしてチョウチョウの方がトンボより進歩しているとかいないとかは、意味のない言明です。同じ様に、文化の発展を見て来ると、いろいろな民族が歴史の中の偶然の出来事を繰り返しながら、各民族固有な文化に分岐して行き、個性豊かで多様な文化を作り上げて来ました。たまたま軍事的に強い文化があっり、経済的に強い文化があったとしても、それが他の文化の持っている深みを凌駕しているわけではなく、それぞれの個性を持った文化を形作っているのですから、どちらが進歩した文化であるかどうかを論じるのは、やはり意味のない比較です。 芸術も同じような進化を遂げて来たようです。音楽自体、西洋音楽、インド音楽、中国音楽とそれぞれ固有な個性に分岐して来ました。また、西洋音楽一つをとっても、中世の音楽から、バロックのバッハの分岐へ、次に古典派のモーツアルトの分岐へ、次にシューベルトを経てロマン派のベートーベンの分岐へ、そして、意外な分岐としてドビッシーなどの印象派が出て来ました。 絵画にも、西洋絵画もあれば浮世絵もあり、そのどちらが進歩しているのかという問いは意味がありません。西洋絵画に限っても、写実派はから印象派が、そして、立体派が出て来ましたが、これも進歩というよりは、トンボやチョウチョウが現れてくるのに類似した分岐と捉えた方が芸術史の全体像が整理されると思います。人類は一つの形式の中で先へ先へと一次元的に進んでいるわけではなく、意外な分岐を繰り返して、新しい世界を創造し続けて来たのです。ですからこれからも想像もつかない分岐を繰り返して、我々の芸術を多様で豊かな物に進化して行くでしょう。 また、一つの形式に限っても、米国のサミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」などは20世紀の中庸になってもロマン派がある一面で新展開可能であることを示しているようです。個人的な経験を述べて恐縮ですが、私はマーラーの交響曲第1番を時々レコードやCDで楽しんでいます。ところが、あるとき実際の演奏会に行って、これが100人を超える大管弦楽によって演奏されていることを知った時には強烈な印象を受けました。私の大好きなバッハの「フーガの技巧」の弦楽版が、ほんの十名余りの演奏者であれだけの奥行きと厚みのある音を出しているのに、マーラーの音楽は素晴らしいとは言え、100人以上も使って、たったあれだけの厚みかと驚いたのです。たった10人程で「フーガの技巧」のあの厚みを造り出せる人類が、100人もの人間を使ってその厚みを出せないはずがない。ロマン派に限ってもまだ押し切ったところまで行っていないという確信みたいなものを感じました。ですから、分岐以外にも、既存の枠の中でも偉大な作曲家が出て来ないとは限らないと思いました。

noname#112964
質問者

補足

>果たしてチョウチョウの方がトンボより進歩しているとかいないとかは、意味のない言明です。 鷹も同じでしょうか? >既存の枠の中でも偉大な作曲家が出て来ないとは限らないと思いました。 この偉大な作曲家の出現は「進歩」or 「進化」?

  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.5

. >>芸術の進歩の定義を教えてくれ。 >無理に理屈っぽく考える必要なし。 >よくなっっていると思えば進歩。 それが、とても難しいんだよ! ピカソは、生きて、絵画活動をしている時から評価されていた。 一方、ゴッホは、生前は評価されず、無名であった。 死んで後、ゴッホの絵が評価され、今の様に高値で売買されている。 よくなっているという感覚がいい加減だから、こんな事が起こるんだ。 .

noname#112964
質問者

お礼

(((p(≧□≦)q)))

回答No.4

 こんばんは。  よく分かりませんが つぎのような見方には共鳴します。  ▲ (木村重信) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  イメージはロゴスに従属するのではない。  ロゴスはイメージから抽象され、イメージの働きを基礎にして、象徴的な思考が可能になり、その結果として哲学や科学などがうまれた。  このイメージないしその記号としての美術の本質は変貌であって、発展ではない。  進歩、退歩とか開化、未開とか言われるが、これはすべてのことをロゴスに翻訳して考える習慣が我々にしみついているからである。   ・木村重信著作集〈第2巻〉:はじめにイメージありき    (1925~ 民族芸術学 美術史学)  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  現代美術の著しい特性として、即物的傾向をあげることができる。  抽象美術はシュジェ意識の否定という形で、シュルレアリスム美術は日常的意識を否定することによって、共にオブジェへの傾きを示す。  作品がオブジェとして即自的に完結することと、普遍的な人間性のシンボルとして対自的になること、この総合を求めて現代美術家は茨の道を歩む。   ・木村重信著作集〈第6巻〉:現代美術論  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 音楽はどうなんでしょう? わたしは 現代音楽がよく分かりません。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.3

. 芸術の進歩の定義を教えてくれ。 それを、教えてくれたら、思考のテーブルに載るかもしれない・・・ .

noname#112964
質問者

補足

>芸術の進歩の定義を教えてくれ。 無理に理屈っぽく考える必要なし。 よくなっっていると思えば進歩。

回答No.2

芸術は、人間の認識に付随して生じる“ひずみ”の一種です。 人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。 その最も分かりやすい例が、色でしょう。 物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。 「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。 この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。 それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界の各地域によって、美的センスは異なってくるのです。 (砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす) であれば、“芸術の独立した進歩”などというものは存在せず、人間がより幸福に暮らせる社会において必要とされる芸術が、「進歩した芸術」と言えます。 その観点(物質的繁栄ではなく精神的充足の志向)からして、現代社会は、本来、社会生命として助け合うために集まっていながら、その「助け合い=感謝」の情報をお金に転嫁したため、それを奪い合う弱肉強食の社会(しかし結果的には助け合う)と化し、生きることは働くことでありながら、「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ようになり、決して「進化している」とは言えません。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#102013
noname#102013
回答No.1

美術と、音楽という芸術文化は、 *人それぞれの好き,嫌いが、大きく影響する。 *優劣は、何が基準かなんてモノが無いから、進歩を問う事は、無理。 こう思います。 ○進歩→進化とした場合 進化した美術ならば、グラフィックの世界。<CG> 進化した音楽ならば、コンピューターが奏でる音の世界。<特に、テクノ系> 哲学分野では、無いと思います。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございます。

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