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森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応

森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応の巧拙の差として有名ですが、栄養説を唱えていた高木兼寛は後年鈴木梅太郎がオリザニンを取り出したとき何も反応しなかったのでしょうか。

noname#194289
noname#194289
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回答No.1

何か勘違いしている方が多いのですが、 日清戦争戦の陸軍給与規則は石黒忠悳が発令。 日露戦争では陸軍大本営が発令しています。 この大本営野戦衛生長官は小池正直です。 森鴎外が陸軍軍医総監になったのは日露戦争の後です。 少なくとも、二度も脚気が大流行しているのですから、 おかしいと考えるのが普通です。 しかも、麦飯派の大臣を差し置いて命令が出ています。 プライドの高い華族らしいやり口です。 >何も反応しなかったのでしょうか。 らしいです。 死ぬまで脚気に対しての謝罪は一切ありませんでした。

noname#194289
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。鈴木の発見に対する高木の反応を知りたかったのですが…

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