• ベストアンサー

森鴎外の「米食、脚気問題」について

森鴎外の「米食、脚気問題」について、質問します。 鴎外が、脚気の原因をウイルスに求めたことにより、日露戦争時、多くの陸軍兵士が脚気に倒れたことは知っております。 鴎外自身はこのことについて、どう考えていたのでしょうか? あれだけ明晰なひとなので、自分の責任(誤り)が分からなかったということもないと思います。 それは作品上に現れているのでしょうか。 また、自身は、この件に関して、どのように考えていたのでしょうか?  黙殺? 自責? そもそも兵士が死んでも気にならない? 恥ずかしくて口に出せなかった? ライバルに負けるのが悔しくて、ひたすら意地を張っていた? 作家と陸軍軍医総監という二つのペルソナを、統合せずに生きたのか、それとも、内面ではどのように折り合いをつけていたのか(失敗したのかな) 研究書が多く、あれこれ読みきれないので、ご教授下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

まず鴎外に本格的な「脚気論」はありません。 これを頭に入れておいてください。 > 鴎外が、脚気の原因をウイルスに求めたことにより、日露戦争時、多くの陸軍兵士が脚気に倒れたことは知っております。 というのは、かならずしも歴史的経緯に即した記述ではないように思います。 まず、この点に関してもっとも手に入れやすい本としては、ちくま新書から出ている山崎一穎著『森鴎外 明治人の生き方』の第二章「『日本兵食論大意』を読む」(p.51)があるでしょう。以下の記述はその要約です。 鴎外が『日本兵食論大意』を著した当時、陸軍の最大の問題は「脚気問題」にあったことは確かだったのですが、鴎外の問題意識はむしろ「脚気をどうすべきか」という当面の問題より、もっと根本的な、軍の兵食をどうするか、具体的には海軍は西洋食を取り入れていたけれど、陸軍はどうしたらよいのだろうか、さらに、ひろく日本人一般の食生活にまで及ぶ広範なものであったといえるでしょう。 海軍が西洋食に切り換えた発想というのは、西洋人の知力体力が優れているのはその食事にあるというものでした。鴎外の『日本兵食論大意』は、日本人は西洋食にすべきであるか否か、という点に主要な問題意識があったことをまず理解しておかなければならないでしょう。 鴎外は二点から、西洋食に切り換えることの問題点を説きます。 ひとつは、五千人の海軍に較べ、陸軍は五万人の兵士を有していること。さらに、パンを焼く炉の設備の問題。さらに麦にしても、食獣にしても、国内需要でまかなえないことを考えても、国内で自給自足できる食物によって、国民の栄養を完全にすることは可能であり、陸軍の食事の改良は必要であっても、西洋食にする必要はない、と主張します。 -----(p.53からの引用)---- 鴎外は権威者の言を絶対視することを否定し、西欧の学者の研究方法を学び、調査や実験を重ねて、演繹法でなく帰納法で日本人に適する食の標準を定めることを提言する。鴎外は日本固有の食文化を尊重しつつも、西欧の学者の実証的研究法に学ぶという複眼的視野を持っている。 ------ このような鴎外が脚気にたいしてどのような態度を取ったか。 『日本兵食論大意』には「米食と脚気の関係有無は余敢て説かず」(※原文カタカナを読みやすいように平仮名で表記しています)と注記し、脚気の問題について直接にはふれていません。 鴎外が帝大で学んだのはベルツ教授でドイツ人です。 -----(p.54-56からの引用)------- ドイツ医学は病理学的に細菌の発見を第一義とする故に、脚気対策は病原菌である〈脚気菌〉を発見することだと考えた。東京大学で学んだ医学徒は、このベルツの考え方に立っている。鴎外や小池正直らは東京大学から陸軍省医務局へ入局する。脚気細菌説は東京大学、陸軍省へと受け継がれていく。……  高木兼寛(※海軍で白米に麦を入れる混食を取り入れることで、脚気の現象を見た。この人は対症療法を中心とするイギリス医学を学んでいる)も、栄養障害説に立っていない。当時の日本において、食の分析や栄養学という学問は成立していない。……  鴎外は日清戦争では第二軍兵站軍医部長、日露戦争では、第二軍医部長として出征する。鴎外の職務上の責任は免れえないが、これが当時の研究水準である。  日本における脚気の原因究明の対策が遅れたのには、薩摩が中枢を占めかつ英国に学んだ海軍と、長州が中枢を占めかつドイツに学んだ陸軍の組織的対立があった。また学理重視のドイツ医学と、臨床重視のイギリス医学の対立、官立の東京大学と私学という学閥の対立、そして根底にあった士族と平民という差別意識が相乗して、対応策を立ち遅らせたのである。 ---------- 以上を考えれば、日清・日露の両戦争で多くの脚気による死亡者が出たことの根拠を、ひとり鴎外に求めていくことの誤りを理解できるかと思います。つまり、鴎外はその脚気と米食の因果関係を結果としてあいまいにしてしまったかもしれませんが、それを指摘することができるのは、現代のわたしたちが脚気の病因を知っているからであるとも言えるのです。 さらに、この『日本兵食論大意』に、もっと積極的な価値を見る論考もあります。 以下は大屋幸世『森鴎外 研究と資料』から「森鴎外の『日本食論』―『非日本食論ハ将ニ其根拠ヲ失ハントス』を読む」を典拠としています。 ------(p.18からの引用)-----  要するに(※『日本兵食論大意』の結論は)、陸軍兵食は日本食をもってよしとする結論である。もちろん衛生学者としての科学的根拠を持った結論であるが、しかし、その底には別のあるものがあったのではないか。  それは「日本兵食論」でいう、「数百年来よしとされ維持されて来た風俗習慣には必ずやある良い内実があるにちがいないので、さもなければそれがそんなに長つづきするはずはなかったのだということを忘れてはならない!」(小堀桂一郎氏訳)という気概だ。 ------ 一方で、闇雲な欧化政策にたいして従来からの日本人の食生活を肯定するだけでなく、このようにも言っている。以下は同書に引用された『非日本食論ハ将ニ其根拠ヲ失ハントス』の孫引きですが、上と同様、原文のカタカナは平仮名表記にしてあります。 -----(p.22からの引用)------ 嗚呼我日本の学者は何故に自ら奮て我勇壮なる兵士我強悍なる防火丁其他の職人に就て実験を施し我日本人の健康人に適応せる食の標準を立てんとせざるや、此標準の立ちたる上にて日本食を以て西洋食に比せんと欲するには猶、許多の論定すへ(※べ)き点あり即ち様々の人類の栄養を博究し肉食と素食(※穀類を中心とする食)との得失を詳確する等是なり --------- つまり、この部分で鴎外が批判しようとしているのは、白米に麦を混ぜる混食を推進した人々に対してではなく、西洋食の導入を試みる人に対してです。西洋食の方が、日本食より優れているとするなら(加えて、その当時の自給率の問題を押してまで、陸軍全般を転換させようとするならば)健康体の日本人に実験をして、健康体の数値を割り出さなければならない。しかるのちに初めて西洋食と日本食の比較が可能なのである、と言っていて、この発想に誤りがあったとすることはできないのではないかと考えます。 わたしたちは、歴史的な事象をいまの観点から評価しがちだけれど、単純にいまの研究方法やその規準にあてはめて評価するのではなく、当時の情況や歴史的経緯を見るなかで考えていかなければならないでしょう。 ここで単純に、鴎外が誤っていて、高木兼寛が正しかったと結果だけを並べて論評することにあまり意味はないと思います。 あるいはこの一事をもってして鴎外の「性格」を云々することもまた、適切を欠くと言わざるを得ません。 おそらくこの点に関しては大屋幸世の本も言及している伊達一男『医師としての森鴎外』(績文堂出版)の「日本兵食論」の章が一番まとまった論考があるのではないかと思うのですが、未見のためにふれることができません。ともかく、さしあたっては冒頭に挙げた山崎の『森鴎外 明治人の生き方』のご一読をおすすめします。

eeldog_2005
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 「わたしたちは、歴史的な事象をいまの観点から評価しがちだけれど、単純にいまの研究方法やその規準にあてはめて評価するのではなく (中略)、適切を欠くと言わざるを得ません」。 考え方に関してはまったくそのとおりだと思います。 だいぶ、胸のつかえが取れました。 図書館で、ご教示いただいた本を探して見ます。

その他の回答 (4)

  • ojiq
  • ベストアンサー率41% (121/291)
回答No.4

>自分の身内には甘かったと言うことでしょうか その通りだと思います。自分や自分の身内を守ろうとする余り、ちょっとでも自分に敵対してくるような相手に対しては、徹底的に闘おうとしたのだと思います。そういう場合、自分のしていることは常に正しいというわけです。権力者によくあるタイプだと思いますが。

eeldog_2005
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 「ちょっとでも自分に敵対してくるような相手に対しては、徹底的に闘おうとした」 権力者云々というよりは、むしろ弱い人が(現実には鴎外は強者ですが)、過剰、過敏でかえって攻撃的になっているようにも思えます。 本来、論争になるようなものでもない件で、なぜか論争になったりしているのを見ると、そうも思います。

  • gulgul
  • ベストアンサー率33% (56/166)
回答No.3

ちょうど今、安斎育郎著「だます心 だまされる心」(岩波新書)を読んでいたところです。その80ページ以下に、この話題が記述されています。 鴎外の主張は、「脚気の発生には年度により増減があるため、(麦食による脚気の減少は)偶然に過ぎない。」ということのようです。 著者の安斎さんは、主張する側も批判する側にも統計学の素養がなかったので、水掛け論になった、と書いておられます。 ここからは個人的な意見ですが、作家と医者(科学者)は2つのペルソナ、というほどの関係だったかどうか疑問に思います。また、科学者としても、まだ実証の方法に乏しかったので、(文学者としての偉大さはともかくとして)誤りが分からなかったということもあるのではないか、と思います。

eeldog_2005
質問者

お礼

ありがとうございます。 「作家と医者(科学者)は2つのペルソナ、というほどの関係だったかどうか疑問に思います」 これはそうかもしれませんね。 現代の視点から、いろいろ言っているだけで、本人としては、それほど矛盾なく(脚気問題も含め)、折り合いがついていたのかもしれませんね。

  • ojiq
  • ベストアンサー率41% (121/291)
回答No.2

傲慢さという点では、文豪・森鴎外としても同じような側面が見られたと思います。自作の「舞姫」に対する石橋忍月の批評に対して、図星を突かれたからか、忍月の人格をも攻撃するような激しい反論を加えています。ですから、私の頭の中では、軍医総監・森林太郎と文豪・森鴎外は矛盾することなく、定義づけられています。

eeldog_2005
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 鴎外を傲慢さにおいてとらえるのは、もっともなことだと思います。私の中で折り合いがつかないのは、例えば、ある面では「鼻くそほじり」にこだわったりするユーモラスな面や、友を大事にしたり(小倉時代のドイツ語仲間とか)する面と、その傲慢さが同居している点です。 自分の身内には甘かったと言うことでしょうか、それとも時代背景を考えると、それも仕方がないということでしょうか。 傲慢さで解決できればいいのですが、まだ、すっきりしないところです。

noname#113190
noname#113190
回答No.1

森鴎外は自分の誤りに関して認めていませんし、反省もしていません。 同じく細菌説を主張した、緒方正規は誤りを認めましたが、鴎外は高木兼寛を罵倒し続けていますから、何となく最近非加熱製剤で槍玉に上がったA氏を思い浮かべませんか。 医者は患者の方を向くべきですが、違うほうを向いているのでしょう。 尚、作家の森鴎外と軍医の森鴎外は別人格と自分で考えていたのか、軍服の時に親しい作家仲間が声を掛けたら怒鳴って怒ったというエピソードもあります。

eeldog_2005
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 > 森鴎外は自分の誤りに関して認めていませんし、反省もしていません。 いろいろ検索すると、そのようですね。 例えば、高木兼寛について「麦飯博士」などと悪罵していたのは読みましたが、 周囲の人による記録ではなく、鴎外自身の手で書かれたものがあれば、読んでみたいのです。 また、なぜ反省しなかったのか、ということについてもぜひ知りたいと思っています。 > 作家の森鴎外と軍医の森鴎外は別人格 この辺は、実際のところどうだったのでしょう。分裂した人格のまま生きていたということになるのでしょうか。 本人にとっては、別人格であっても支障はなかったのかもしれませんが、遺書を見ると、一種の異様さを感じます。 文豪といわれる一面と、医学上の失敗をした一面(しかもそれを認めない)というのが、一つの人格にありうるというところが、まだどうも私の中で折り合いがつきません。一種の人格破綻者と一言で言い捨てるのも、また安直な気がしております。

関連するQ&A

  • 作家森鴎外と殺人者森林太郎の人格が共存してるのは?

    小説家としての森鴎外の作品の中で、医師としての森林太郎の責任の重圧は感じられるんでしょうか? 森林太郎は陸軍軍医総監として兵士の健康を守る立場にありましたね。ただ、当時の日本軍では脚気患者が続出していて、2万人以上もの死者を出しています。 トップとしての責任はもちろん、当時、経験的に麦飯が脚気に効果があることが分かっていて海軍では実施されていて、陸軍でも森林太郎の部下から麦飯を励行するよう再三意見具申がされているのに、森林太郎は自説にこだわって、患者の命を救う麦飯を無視して効果のない治療ばかり行って、結果的に2万人以上という信じられないぐらいの病死者がでてますね。自分のプライドを守るために兵士の命を犠牲にし続けたというのは、普通の人間なら重圧や罪悪感を感じるような気がします。 いま、青空文庫で森鴎外の「高瀬舟」などを読んでたんですが、27000人もの人を殺した人間が書く小説じゃないですよね? 「高瀬舟」以外でも、日露戦争以降に森鴎外が書いた小説に、大量殺人者という医師としての森林太郎の雰囲気はしません。 これはなぜでしょう? 森林太郎と、森鴎外という別の人格があって、医師と小説家の時の人格が切り替わっていたんでしょうか? それとも、 医師として自分が行った行為と結果について全く責任を感じていなかったんでしょうか? それとも、、、、、、、????

  • 森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応

    森鴎外(林太郎)と高木兼寛の脚気論争は日露戦争における陸軍と海軍の対応の巧拙の差として有名ですが、栄養説を唱えていた高木兼寛は後年鈴木梅太郎がオリザニンを取り出したとき何も反応しなかったのでしょうか。

  • 陸士海兵出身以外の軍人の階級

    旧日本軍で、陸軍士官学校・海軍兵学校の主流の軍事教育を受けた軍人の他に 軍医や技術将校がいました。 このような人たちは、階級昇進について 陸士・海兵卒の人たちと 別の基準があったのでしょうか。 森鴎外は、軍医としては最高の役職の軍医総監を勤めながら、階級は中将どまりでした。 たとえば、陸士・海兵以外は大将になれないというような 規則があったのでしょうか。 よろしく御教示ください。

  • 森鴎外について

    海外のメル友が森鴎外について知りたがっています。彼は「舞姫」を読んで、その作品や作者自身についてもっと知りたいようです。 どのように何を紹介したらいいでしょうか。そのような英語のサイトはあるでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 森鴎外の覚え方、どう思いますか?

    高校生の時、先生に「君たちの頭では、森鴎外を覚えるのは大変だ。だから次のように覚えなさい。」と言われました。私は傑作だと思いましたが、皆さんはどう思いますか。 ロマンチックな面影の      『ロマン主義』「面影」 ドイツのしがらみ舞姫は     『ドイツ留学』「しがらみ」「舞姫」 うたかたみたいな即興詩人   「うたかた」「即興詩人」 ああ没理想的恋ならば     『没理想主義』 目覚ましスバルのXXXやめ   『雑誌スバル』「キタセクスアリス」 阿部の大塩、山椒かけ     「阿部一族」「山椒太夫」 高瀬と渋江、干潮楼       「高瀬舟」「渋江抽斎」「干潮楼」 (解説) 森鴎外は、ロマンチックな面影のあるドイツ人のしがらみのある舞姫を好きになり、うたかたみたいな即興詩人の歌を贈った。しかし、振られてしまい没理想主義に走り、スバル(星)の下でのXXXはやめる。ご飯には、名物、阿部の大塩と山椒をかけて食べる。高瀬君と渋江君と干潮楼というレストランで、よく食事をする。 ※注意:解説の物語は、もちろんフィクションです。

  • 森鴎外

    森鴎外って、どういう人物だと思いますか?

  • 森鴎外のものの捉え方について

    文学で「森鴎外のものの捉え方について述べよ。」という課題が出たのですが、質問が抽象的すぎて何を書けばいいのか分からず困っています。 森鴎外について色々調べてはみたのですが、彼の生い立ちや作品に関する事が多く、あまりしっくりくる説明も見つかりません。 200~300字程度と簡潔に述べればよいので、何か参考になる知識を頂けませんか? よろしくお願いします。

  • 森鴎外

    森鴎外の普請中という作品に 「愛宕山では邪魔だろう」 と出てきますが、彼のどのような思いが読み取れるか教えてください。

  • 佐藤仁美さんダイエット糖質オフは一生ゴハン禁止?

    佐藤仁美さんのダイエットでは一生ゴハンを食べないのでしょうか? 武田邦彦先生は「ゴハンが悪いと言うのは、よほど特殊な考えでは」・・・と YOUTUBEの音声でツブヤいています。 https://www.youtube.com/watch?v=8z1YGSgStXU 糖質オフは、アブラの質を考慮していない不健康ダイエットの疑いがあります。 アブラの質は、魚油・オメガ3とバターなど・オメガ6の区別のことですが、 糖質オフが、 パフォーマンスではなく、 国際的・長期的に 完璧なダイエットであるということを 今回の質問で、はっきり見えてくるように 期待しています。 余談ですが、小泉政治劇場パフォーマンス政治があります。 「流行・パフォーマンス」を、真っ向から否定するのが、 イギリス経験主義と アメリカプラグマティズム実用主義・ 日本的改善と考えています。 これは、共産主義パフォーマンス・ソ連崩壊など 世界変動の中で、現在も、安定している、英米そして日本 ・・・・・・・・簡単にいいますと 森全体から見るような見方のことだと思います。 細かい視点の理屈や流行を考えず、「頭をカラッポにして」 ガラガラポンで考えると、見えてくるものがあります。 といっても ガラガラポンの流行語の大前健一は嫌いです。 日本的経営改善に反対する大前健一なので。 http://hiramayoihi.com/yh_ronbun_senngoshi_curry.html イギリス経験主義医学の例として 横須賀海軍カレーの高木兼弘 (最終階級は海軍軍医総監(洋食少将相当)。 医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。 脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる)は 当時、日本だけに発生していた脚気カッケは、 和食が原因だと考えて 麦を食べて洋食カレーなどを食べることを推奨しました (イギリス医学的に 理屈ぬきで頭をカラッポにして 考えると 現在は 洋食が過剰で 和食を食べた方が良い)。 イギリス医学に対して、 陸軍担当のドイツ医学の、 森鴎外は、 細かい理屈パフォーマンスで、 カッケは細菌のせいだと考えました。 糖質オフは、 細かい、間違えは、たくさんあるのですが、 全体として、質問すると はたして 佐藤仁美さんのダイエットは、 一生つづけて行くつもりかどうか? ごはんを一生食べないのかどうか ということに関心があります。

  • 森鴎外の小説

    舞姫の豊太郎のように、鴎外をモデルとした(と言われている)小説はほかにありますか? また、豊太郎と似た登場人物がいる鴎外の小説はありますか?