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寒さの「ピーク」?

こんにちは。 先日NHKのラジオを聞いていたら、ニュースの中で「寒さのピーク」と言う表現が使われていました。「peak」と言う英単語を辞書で調べると第一義として山頂などのように高い部分の先端を表すようですが、それ以外にも単に先端の尖った部分(例えば帽子のつば)を表す場合もあるようです。 温度変化と言うと何となく折れ線グラフで表されたものをイメージしてしまうので一番寒い(低い)点を表現するのにpeakと言う言葉は何となく違和感があります。それとも高低に関わらず先端と言う意味で使うと考えればいいのでしょうか? ちなみに他の時間帯のニュースでは「寒さの底」「寒さが底を打つ」と言った表現を使っており、そちらの方がしっくりとくる感じはありました。

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回答No.2

ピークという言葉を国語辞書で調べたら、以下2つの意味が書かれていました。(「大辞林 第二版」) (1)山の頂上。山頂。峰。 (2)物事の程度の最高の時。最高潮。 おそらく一つ目の意味が SousMarineさんが理解されている意味だと思いますが、NHKのラジオニュースで流れていた時のピークは、二つ目の意味で使っているのだと思います。 寒さの程度が最高潮に達していた、寒いという感覚が最高潮だったという意味で使っているものと思います。

noname#102303
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「最高」と言う言葉の感じ方の違いなのでしょうか?やはり温度の高低で言うと寒さは「低い」であって最「高」だと違和感を感じちゃいます。でもけっこう「今日はサイコーにさびーじゃん!」とか言っちゃってますけどね(笑)。 >寒いという感覚が最高潮・・・ うんうん、この感じですね!寒さでなくて「寒さの感覚」が最高潮!とても分かりやすい説明です。

その他の回答 (4)

  • cyototu
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回答No.5

回答の補足を頂いてしまったので、重複を怖れずに、今度は回答と言うことで書かせてもらいます。 (1)>「寒さのピーク」と言う表現が使われていました。 (2)>「寒さの底」「寒さが底を打つ」と言った表現を使っており、そちらの方がしっくりとくる感じはありました。 両方とも正しい表現だと思いました。 (2)の場合には、温度の数値の値その物の大小関係をそのまま並べて折れ線グラフで書いたことをイメージしている表現です。 一方で(1)の場合は、暑さ寒さに関わりなく、一年の温度の平均値辺りを基準として、そこをゼロと考え、そこからのズレに対して、それがプラスかマイナスかに拘らず、そのズレの大きさをイメージしている表現です。即ち、ズレの大きさの絶対値を折れ線グラフで書いたイメージの表現です。絶対値とは、例えば+10でも-10でも、そのプラスマイナスの符号を取った10のことですから、絶対値は常に正の値になります。したがって、絶対値を折れ線グラフで画くと、ゼロからマイナス方向にどんどん離れて行くと、その値はプラス方向にどんどん大きくなるので、マイナスの場合、底とピークは反転してしまうのです。しかし、我々はしばしば、大きさや強さと言うときに、数値その物ではなくて、その数値の絶対値を感じる感覚も持っているので、それを表現したのが、寒さのピークという言葉です。 私は、数学を言語の一種と理解しているのですが、同じ言語でも随分特殊な言語だと思っております。国語など通常な言語は、同じ現象を表現するのに幾らでもその表現法があり、融通性や深みを持っている。例えば、同じ物を底と呼んでみたり、ピークと呼ぶ自由度を持っている。それが、この多様な世界の複雑性や、我々の心の中の多様性を表現するのに大変適しているようです。しかし、その自由度の豊富さのために、しばしば表現が曖昧になってしまう。一方、数学は同じ言語でも、文法や構造に例外を認めない。したがって、融通が利かないことがしばしばありますが、その代わり、その文法に全面的な信頼を置けるので、簡単な現象の表現に対しては、曖昧さのない強力な説得力がある。ただし、人類が数学の言語を深刻に話し始めてから高々300年ぐらいしか経っておらず、他の言語と比べて、その言い回しの可能性がまだまだ殆ど探られていない 大変未熟な言語だと思っております。数学は厳密さ故に、信頼が置けますが、また、表現の自由度が極端に少ない言語なのです。どんなに経験を積んだとしても、数学で恋を語れるときはやって来ないのではか。まあ、通常の言語でも、言葉を尽くすよりも、始めて相手の手を握るときに手から伝わって行く情報量の方が言葉よりも遥かに多いので、通常の言語で恋を語ることにも限界はあるかもしれませんが。 おっと、話がそれましたが、数学的な厳密な表現を尊重しつつも、状況によって臨機応変に数学的表現と通常言語的表現とボディーラングエッジを使い分けて行くのが、賢明な態度だと思っております。

noname#102303
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 重ねてのご投稿感謝いたします。No.4のアドバイスと併せて読ませていただき、わたしなりに理解ができたように思います。 数学言語論も興味深く読ませていただきました。ふと思いましたが、そのような明晰な言語に翻訳することが可能であれば今回四氏から頂いた回答もただ一つに収れんされてしまいそうですね。数学の言語それ自体が未成熟なのか、わたしたちが未成熟でその深みのほんの表層にしかふれることができないでいるのかは分かりませんが、もしそのような言語を手に入れ自由に駆使することができるようになったとしたら、このようなサイトの運営も立ち行かなくなりそうですね。おそらく一つの質問には一つの回答で事足りてしまいそうですし、そもそも質問すら立てる必要もなくなりそうな気もします。それに明晰は情熱を殺すという負の側面もあるように思いますので、わたし自身としては曖昧さの海の中を自由気ままに泳ぐ方を選びたいと思います。 お礼の割にはくだらないことを長々と書いてしまい大変失礼いたしました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.4

生物学的に見て、人間の感覚の中には、この表現をおかしと感じないように出来ている部分があるようです。 例えば、ゼロを挟んで右に正の数、左に負の数を対応させた数直線を頭に浮かべて下さい。次に、-100000000 (-1億)という数字と、-0.00000001(-1億分の1)にそれぞれに対応する数直線上の位置を考えて下さい。さて、貴方は直感的に-1億と、ー1億分の1と、どちらが小さい数字だと感じますか。一つの見方は、数学の大小関係の定義をそのまま適用して、-1億の方が小さいという答えあります。ところが、その数はゼロからの距離が-1億分の1よりもずっと遠いので、-1億分の1の方がずっと小さい数字だと感じる感覚も我々には存在します。事実、物理学の専門家達は数学のプロ中のプロですが、彼らに聞くと、数学による大小関係の定義を平気で無視して、彼らは100%、-1億分の1の方が、-1億よりも小さい数字だと答えます。 我々が自然界を見て大小関係を感じるのは、必ずしも数学の定義に基づいた大小関係で感じているはなく、その値の正負に関係なく、数字の絶対値の大小で感じている場合が往々にしてあります。その自然な感覚を優先させて考える傾向が物理学者にはあるために、数学の定義を無視していることを承知で、物理学者は絶対値の大きさで、大小を判断する習性があります。また、我々がこの自然界に生きて来た経験によると、自然界のある現象を論じるときの影響力の大小は、ゼロにどれくらい近いか、あるは遠いかが決定的になりますので、物理の専門家達は実務的な理由によっても、大小を絶対値の大きさで判断する傾向があるのです。 アナウンサーの原稿を書く方も、我々が普通に持っているこの自然な感覚を持っていて、温度の高低を数値その物ではなくて、その絶対値で捉え、寒さのピークと呼んでいるわけですから、この表現は何ら不自然な表現ではないのです。 生物学的に見ると、我々の感覚は物の大小を数字その物だけで認識しているのではなく、脳や感覚器官の中で、いろいろ修正を施してから感じています。上の例のように、絶対値に修正してから認識する場合もありますが、もっと面白いのは、明るさや匂いなどの大小を感じる感覚です。我々が、例えば明るさが2倍になったと感じるときの、実際の物理的な光の強さは約10倍に、また、3倍になったと感じる時には、物理的な光の強さは100倍に強くなっています。即ち、我々の脳は、数値その物を直接感じているのではなく、例えばこの場合、10の何乗倍になっかについての、何乗の部分を感じているのです。 寒さのピークに関しても、そのように我々の脳味噌のフィルターに通した感覚を表現しているわけです。 数学で言う大小の定義を金科玉条の如く考えて、実際に自分で見ている世界の対する感覚を否定したり、間違いであると結論を出すことが、場合によっては危険であるという認識を持っていることは、世界を正しく認識するために大切なことだと思います。

noname#102303
質問者

補足

「回答」ではなく「アドバイス」として読めばよろしいのですね?正直なところ、わたしの質問との繋がりが全く分かりません。少し深読みしすぎて迷走しちゃってませんか? でも独立した文章として読ませていただくと大変興味深いお説だと思います。わたし自身は全くの文系人間ですが、何故か寺田寅彦や中谷宇吉郎と言った物理学者の書いた随筆は好きでよく読みます。

noname#112964
noname#112964
回答No.3

私の名前はOKWavejcomです。後半部分がjcomになっていま~す。 No.2の方とは別人です。 単語は根っこの意味を知ることが大事。 概ね一つの単語の根っこの意味は一つ。 一つの単語に別々の二つの意味があるわけではない。 根っこのところから枝分かれしているようなもの。 ピークの根っこの意味は「先端の尖った部分」。 折れ線グラフで「暑さのピーク」は普通に見る。 「寒さのピーク」がどうしても凹に見えるようならば、逆さまに見れば凸になる。 本当はそんなことをせず、観点を頭の中で変えることによって、見え方が自由自在に変えられるようになるのが望ましい。 二個の回答がありますが、真に理解できている回答は一つです。

noname#102303
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自身2度目の質問で早くも「専門家」のご来臨を賜り光栄に存じます。「国語カテ回答」の専門家と言う解釈でよろしいでしょうか? オーストラリアなど南半球で作られる世界地図は南極が上になっている、と聞いたことがあります。彼の国の方々が、仮に日本のことに詳しいとしても、日本製の世界地図に描かれている日本の姿を見てもどこの島なのかおそらく一目では見当が付かないでしょうね。 >観点を頭の中で変えることによって、見え方が自由自在に変えられるようになるのが望ましい。 なかなかムズカシイことでありますね。

noname#103167
noname#103167
回答No.1

私は「寒さのピーク」をヘンだと思ったことはありません。 ピークは仰せの通り尖がったところです。 「寒さ」から見れば、一番寒いところが尖がっていますので、ピークといえます。 気温の推移の折れ線グラフを見るとピークがへこんでいるように見えるからヘンだというのが、質問者さんの御感じになったところですが、これは折れ線グラフが気温の高い方を上に書いているから、それに引っ張られたのでしょうね。 「寒さのピーク」は「寒さを主体」に考えてピークでいいと思います。 たとえば山岳地帯のことを考えますと、ピークの反対は谷間とも言えますが、「寒さの谷間」って言ったら違う意味になってしまいます。 >それとも高低に関わらず先端と言う意味で使うと考えればいいのでしょうか? ハイ、とんがったところです。 なお、帽子の「つば」はピークとは言いません。 「つば」は帽子のぐるりに丸く付いているものですから(刀の鍔と同じ)、とんがっていません。 ピークと言うのは野球帽のような前へ突き出ている「前ひさし」です。

noname#102303
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なろほど!確かに一般的なグラフの目盛の付け方に引っ張られている、と言うことはありそうですね。考えてみれば温度目盛りを横向きに付けて見たら上も下もなくなっちゃいますね(笑)。 >なお、帽子の「つば」はピークとは言いません。 手元の電子辞書(研究社の英中)に「帽子(cap)のひさし、つば」と書いてありました。もともとは刀の「鍔」だそうなので、言われてみればおかしいですね。でもcapだからいいのかな?

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