男の理想とは?つごうのいい女について考えてみる

このQ&Aのポイント
  • 男性が女性の身になり代わって歌う演歌などを聞くことがあるたびに思っていたことなのですが、そのヒロイン像というのは、男性にとっての典型的な理想像の一種なのだそうです。
  • 現実の女性の話となると、いわゆる「つごうのいい女」と呼ばれるもので、むしろ軽侮される対象になりかねないように見受けています。
  • 男性にとって、軽侮に価するような女性が、すなわち「理想の女」ということになるのかについて考えると、心理的には男性の女性に対する恐れの感情が潜在しているとも考えられるのではないでしょうか。
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つごうのいい女は、男の理想?

男性が、女性の身になり代わって歌う演歌などを聞くことがあるたびに思っていたことなのですが、 そのヒロイン像(キーワードとしては、「尽くす」とか、「捨てられても」とか、「ついていく」等々、そういう系統の)というのは、男性にとっての典型的理想像の一種なのだそうですが、あくまで現実の女性の話となると、いわゆる「つごうのいい女」と呼ばれるもので、(そういえば、「あなた好みの」とか「悪いときには、ぶって~」とかいう歌謡曲もあったような。)「理想像」と言うよりは、むしろ軽侮される対象になりかねないように見受けています。 そうしますと、男性にとって、軽侮に価するような女性が、すなわち「理想の女」ということになりませんでしょうか?そうだとすると、一般的に女性たちにとっては怒りを覚えるべきことのように思われるのですけれども、心理的には、これは実のところ、いかに、支配下に置かないでは安心できないといった、男性の、女性に対する恐れの感情が潜在しているとも考えられるのでしょうか。

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回答No.1

こんばんは、 > 男性が、女性の身になり代わって歌う演歌など え~と、これは、「クロスジェンダーパフォーマンス」という呼び方があって、 日本独特の文化的な現象だと言われています。 http://homepage2.nifty.com/tipitina/CGREP.html http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/12/post-6e61.html おそらく、歌舞伎の女形などの流れを汲むものではないかと、考えられますが、 では、それが理想の女なのかと問われると、男としてはちょっと違う気がします。 クロスジェンダー論はちょっと脇に置いても 私が思うに、演歌の歌詞の中の女性像は、実際の女性とは違って かなりデフォルメされた心理描写であり、拡張し誇張された心理を 「あ!こんな感じ、あるなぁ」「(あの頃は)こんな風に感じていたなぁ」と 感情移入し、感情移入したことで、カタルシスがおこるように感じます。 そして、演歌の中の女性が実在したら、かなりウザイ存在だと思います。 歌の中の女性は、虚構の仮面のような存在で、 大人たちは時々それになりきって唄うことで、 自分の中の(演歌的な表現だと)“心の憂さ”を 晴らすためのカタルシス装置ではないかと思われます。 歌詞の中の女性を理想化している男はいないと思いますけどね。 奥村チヨの唄なども、「あなた好みの女になりたい」なんて あんな美人に言われて、ちょっとだけ良い気持ちになりたい…なんて 現実と幻(バーチャル)の区別をはっきりと持ち楽しんでいるのが、 大人の歌だったように思われます。 そのように考えると、 社会や歌謡界全体が幼児化しちゃったのかな~なんて思ってしまいます(笑)

VenusAurea
質問者

お礼

※補足欄から続けて御覧ください クロス・ジェンダー・パフォーマンス (CGP)というのは、どうやら日本特有の文化のようで、とも述べられていましたが、私も、もしかして、そうなんじゃないか、と、かねてから感じていたので、やっぱり!と思ってしまいました。 「日本がいかにクロス・ジェンダーを文化的に受容してきたか」ということなんでしょうね。しかし、 「ただ、そのコンセプトをそのまま英語の歌に適用してしまうと、やっぱり 「ぞくっ」 ときてしまうのである。」 とも述べられていましたが、このへんも興味深いことです。 他にも、ふだん日常において話す場面で、日本語で言えば大げさな語感が、英単語だと一種の軽みを持たせられる、あるいは日本語で言うと、その逆に英語で言うと照れくさくて言い淀んでしまうような単語が、抵抗感を弱められて発することができる、ということがあるのにも思い当たります。 またあるいは、男ことばだから、女ことばだから言いやすいとか何かしら演出効果を伴ったりすることも日本人には多いように思います。 哲学カテゴリーでの回答者のお一人は、日本と欧米における、ジェンダーという単語の取り扱い方の違いとかに、ちょっと触れておられましたので、このあたりを考察するのも、おもしろそうだと思いました。 さて、回答者さま御自身は、 >それが理想の女なのかと問われると、男としてはちょっと違う気が >歌詞の中の女性像は、実際の女性とは違ってかなりデフォルメされた心理描写であり、 >演歌の中の女性が実在したら、かなりウザイ存在だと思います。 >現実と幻(バーチャル)の区別をはっきりと持ち楽しんでいるのが、大人の歌 つまり、心身共にオトナの男性でいらっしゃるのだ、ということでしょう。(笑) 私は今、 >歌の中の女性は、虚構の仮面のような存在で、大人たちは時々それになりきって唄うこと が、いかなるメカニズムで >自分の中の(演歌的な表現だと)“心の憂さ”を晴らすためのカタルシス装置 となり得るのかにも興味が向いています。 実は、観察してますと、ここの哲学カテゴリーでも、ジェンダーにまつわる問題現象が一部で争いとなるまでに頻々と起きているようなんですよ。 回答者さまは、さすが、勘が良くていらっしゃるのか、 本当に、今の私にとって時宜に適した、オモシロくて興味深い参考URLと御意見でした。 有り難うございます。

VenusAurea
質問者

補足

最近、哲学カテゴリーでも、ジェンダーに関連する質問をいたしまして、大失敗でした。私の拙さ(+ちょっと、おフザケも 笑)から第一印象での誤解もあったようなんですが、一般には、というか、こちらのサイトでは、そもそも、その関心が至って薄いようです。 とりあえず、貼っていただいたURLを拝見していました。なかなか充実の内容で、おもしろくて、ついジックリと読んでいるうちに、お返事が遅れてしまいましたが、今の私の関心事に、とても参考になるリンク先でした。なかで 「…ただ一人の登場人物によるモノローグのみを独立させたものが,流行歌の歌世界だといえなくもない」 とありましたが、やはり日本特有の芸能であろう落語も、これと似たようなものですよね。また、 「(歌詞がジェンダー化されていなければ,ふつう,character=歌の中の語り手のジェンダーは,認知のエコノミーに従って,singer のジェンダーと同じだと理解されるだろう)」 「話しことばで書かれた歌詞は,歌の内容(状況設定とそのなかの人間関係の配置)だけでなく,ことば使いのジェンダー的示差性(とくに終助詞や人称代名詞)によって,いわば自動的に「女うた」/「男うた」のどちらかになってしまうことが多い(これは,英語のPMには見られない現象)」 ここのあたりも、しごくアタリマエの現象のようでいて、あらためて考えれば興味深いです。 そういえば、ウェブ世界での、ことばの遣り取りにも見られる現象なんですね。たとえば「ねかま」?とか(笑) 「person/performer/character のあいだにジェンダー(およびその他の属性)の一致を求めるかどうかは,文化の問題,あるいは限定していえば作劇法上の慣行の問題  歌舞伎と宝塚歌劇は,いっぽうで劇に出演する person のジェンダーを縛ると同時に,女形・男役という形で person/performer 間の性別のクロスを自明視する慣行を確立した  いっぽう,日本の流行歌のCGPは,performer/character の性別の切り離しを問題視しない慣行に支えられている  この切り離しは演劇空間の中で成立する(cf.ゴフマンのいう keying  しかも,それはパロディ(cf.コロッケ)や転倒によるジョークとしてではなく,マジ(straight),つまりシリアスな演技として成立している)」 「ジェンダー(その他)の一致」 「文化の問題」 「作劇法上の慣行」 「ジェンダーを縛る」 「性別のクロスを自明視する慣行」 「性別の切り離しを問題視しない慣行」 「しかも、それはパロディや転倒によるジョークとしてではなく、マジ、つまりシリアスな演技として成立している」 そうそう!ジョークとしてではなく、マジ、つまりシリアスなんですよね!これも、あらためて考えると、興味深いことです。 「ことば,音楽的要素,ポーズやジェスチュア,ステージングに見られる様式化された「型」が,エンカの構造化の原則だという  繰り返しと冗長さを伴う「型」が,エンカにおける感情の喚起(「涙のスペクタクル」)に重要な役割を果たすと…」 私の個人的出来事の影響もあって、少し以前から、こうしたことについても考えていたのですが、漠然としていたところを、参考リンク先御紹介のおかげで、明確になってきました。 >歌詞の中の女性を理想化している男はいないと思いますけどね。 いぃえ!ところが実際に、自分の内なる女性、えっと、アニマ?を「演じる」となると、その理想型が出てくる人もいるようで、やはり、同じ男性でも、いろんな人がいるわけなんでしょう。それも、オモシロイなあと思うのが、一見、気の強い、わがまま、はねっかえり、狂気とすら感じさせるほどの神秘性を喜びながら同時に、その内面下では、意外なほど従来的古風な面も固持しているところが見受けられることなんです。 もう一つ貼付していただいたリンク先の 「…徹底的に女の立場で、女言葉で女心を歌っているのに」「抵抗を感じない。」 これって、すでに、一種の<お約束>になっているからなのでしょうね。私は、なんとなく、歌舞伎などの舞台で見られる<黒子>というのを連想しました。それから、同じく 「そもそも、日本の文化というのは、クロス・ジェンダーにとても寛容というか、」 そうそう!そうなんですよね、それも早くから感じていました。 日本には、江戸時代の若衆文化とかも、あったのでした。 また、たとえばですが、美川憲一氏あたり、欧米では、どんなふうに受けとめられるだろう、などと想像してみるに、キリスト教文化の影響も加わるのでは?とも考えられます。 「西洋文化は、カップルを基本にしていますから、ということは、男と女の境目はしっかりつけているんだと」 教会が、いや、境界がハッキリしてる西洋と、曖昧模糊のようでいて、実は<お約束>上で<成り切り>の日本。 ※お礼欄へ続きます

その他の回答 (1)

回答No.2

こんばんは、 お礼と補足を拝見いたしまして、少し言葉が足りなかったと思いまして(笑) 歌詞の中の女性を理想化している“まともな”男はいないと思いますけどね。 と書くべきだったかも(笑) でもこれはこれで、問題のある発言なのかも知れませんが… 仰るとおりに、クロスジェンダーの背景には、“清濁あわせ呑む”だとか、 曖昧さの美学があり、そしてそれは、西欧のキリスト教的な対立・分離の文化に対峙して、 母系的な社会とかの、極めて、融合・内包的な文化の特徴ではなかったのかと思われます。 もちろん、近代(明治以降)は、西洋的な、対比・分離的な文化が圧倒的な支配を見せております。  ※こう考えると、同じアジアの中国などは、どうだったかなぁとも   思いますが、論点がまたズレますので… かの河合隼雄先生は、著書の『とりかえばや 男と女』の中で、 「とりえばや」物語(男女の姉弟(兄妹?)が性と役割を取替え出世していく物語)を通じて、 世界の(男性-女性の)物語、トリックスター、アニマ・アニムス、内なる異性、 両性具有、魂やモーツアルトに至まで、幅広く語っておりますので参考になるかと思います。 この本で、河合先生は、男女が入れ替わったりすることで、 男性-女性の二分的思考法に、対抗する力になるのではないかと、語っております。 そして、男や女という役割ではなく、クロスジェンダーすることで、 人間として…全体として人間をみる力を得る(回復)のではないか、とも… ユング派らしい分析だなぁと私などは思うのですが… また、話がズレていっているようです(笑)スイマセン > つまり、心身共にオトナの男性でいらっしゃるのだ、ということでしょう。(笑) さて、どうなのでしょう、自分が年齢を重ねていることは確かですが、 オトナであるとの自覚はありません(汗) ただ、あのようなバーチャルな存在を、理想の女性にしてしまう人たちが 大勢居る事は否定できませんが…アニメの女性に恋する方もいますし もしかすると、その背景には、テレビ、漫画、アニメ、映画なとの 現代メディアや器械の発達があるのかも知れません。 幼い頃から、これらのメディアに慣れ親しんで育った世代には、 現実の異性とメディア上の幻の異性との異差そのものが、 その前の(私たちの)世代に比べて大変に希薄なのかなとも考えさせられます。 私自身は、人間の発達課題は、人(他人と)出会うことだと考えています、 最初に、母親と出会い、父親を認識し、親戚、友達、ご近所や先生など 家族⇒地域⇒学校⇒社会と世界が広がるたびに、他人と出会い、出会いを通じての 交流(葛藤や対決や愛情)を通じて私たちは成長していきます。  哲学者の吉村思風先生は、一人称的世界(わたし)⇒二人称的世界(あなたと私)  ⇒三人称的世界(あなたと私と皆)と人間は成長していくと説いております。 そして、リアルな他人との関係を正しく(相手をきちんと認識して)築くことは、 葛藤や争いも伴う面倒臭いことであり、本人の努力や心発育や健全さが必要になってきます。  相手が物言わぬバーチャルである方が、楽チンですから、  怠惰な関係に安住してしまうと、そこから抜け出すことが出来なくなります。 演歌の歌詞の中の女性やアニメの偶像を理想化してしまったりするのは、 こういった自己保身(怠惰さ)が働くのではないかと考えられます。 心の成長が止まっているのかも知れませんね(笑) > いかなるメカニズムで カタルシスの構造は、そんなに難しいものではありません、 人前で話すときに、怖くて震えている自分を認めてしまったときに、落ち着きを取り戻すように、 隠しているもの(不安や恐れ、男性の女性性など自分が認めたくないこと)を表に出して、 「表現してしまう(認めてしまう)」ことで人は心安定を取り戻します。 そして、クロスジェンダーパフォーマンスで男性が女性になって歌うことは、 日本の文化の中で認められていますので、異性の気持ちになっての唄うことで、 男性の女性的な部分を表現し解放することになります。  この時、歌として(役割で)唄っているので、表面上、この男性の面子は保たれたまま、  心の中では、自分の中の女性性を表現し解放していくことが可能となります。 > 支配下に置かないでは安心できないといった、 > 男性の、女性に対する恐れの感情が潜在しているとも考えられるのでしょうか。 そういう恐れの感情もあるのかも知れませんが、どちらかといえば、他人が(自分にとって) 都合のいい存在でいて欲しい怠惰で未発達な心理が潜んでいるかと思うのですが… ただ…このことと、クロスジェンダーパフォーマンスとは、 余り関係ないようにわたしには思えます。 PS:哲学カテは、覗いてみましたがどうも読む気が起りませんので、(笑)

VenusAurea
質問者

お礼

‥‥‥ 年末の慌ただしい時期に、再度の御丁寧なアドバイス、ありがとうございます。 やぼ用等で、お返事が遅れがちで失礼しました。 字数制限のため補足欄も使用しています。 >隠しているもの(不安や恐れ、男性の女性性など自分が認めたくないこと)を表に出して、「表現してしまう(認めてしまう)」ことで人は心安定を取り戻します。 >男性が女性になって歌うことは、日本の文化の中で認められていますので、異性の気持ちになっての唄うことで、男性の女性的な部分を表現し解放することになります。 この時、歌として(役割で)唄っているので、表面上、この男性の面子は保たれたまま、心の中では、自分の中の女性性を表現し解放していくことが可能となります。 メンツーって、中国語から来たんでしょうか(笑)それはともかく、私がメカニズムとして興味を持っているのは、男性が(認めたくないという)自分の内なる女性を表現することで解放されるとは、何が何ゆえ解放されるのか?ということです。 あるいは、男性のほうが、縛られている存在なのか。 >恐れの感情もあるのかも知れませんが、どちらかといえば、他人が(自分にとって)都合のいい存在でいて欲しい怠惰で未発達な心理が潜んでいるかと思うのですが… ここも、なるほど!なるほど!!なるほど!!!です(笑) まぁしかし、何にとって「都合がいい」のかを考えるべきなんでしょうね。 たしかに、クロスジェンダーパフォーマンスとは、あまり関係ないかもしれませんが、私にとっては、生かせる情報として、とても参考になるものでした。 >PS:哲学カテは、覗いてみましたがどうも読む気が起りませんので、(笑) それは、すでにオトナの男でいらっしゃるからでしょう。 ここの哲轍ガク愕カテゴリーは、エエカッコしいの「おこちゃま」が犇めいてるところかも。私も、早く卒業しなきゃ(笑) オトナの男でらっしゃる(なぜ、こんなに強調する!?笑)回答者さまには、読む必要すらないのだと思います! この質問に使用しているネームは、実は、いわゆる捨てネームなので、じきにお別れなんですが、私にとって、オトナの男ハリーさんとお話しするのは、勉強になるし、楽しいです。お別れするの、つらいです。(笑)←と言いながら?(笑) 今回も、とても勉強になりました。参考にさせていただきます。

VenusAurea
質問者

補足

こんばんは。 またお答えくださって、嬉しいです。 >歌詞の中の女性を理想化している“まともな”男はいないと思いますけどね。 と書くべきだったかも(笑) (笑)なるほど!なるほど!!なるほど!!! いや全くのところ、これに尽きるのかもしれない(笑) ああ、思いっきり笑っちゃった。 ―でも、いるみたいですよ。 河合隼雄先生の『とりかえばや 男と女』、探して読んでみます。 『とりかえばや』物語というのがあるのは知ってましたが、私、こういうテの話、好きなんです。 ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』も、おもしろかった。映画化されたのも観ました。 >人間として…全体として人間をみる力を得る(回復) う~ん、なぁるほど。。 >オトナであるとの自覚はありません(汗) いえいえ、それだけ、自然に身に付いていらっしゃるということでは? オトナ!なんだから!と力むほうが不自然で潜在的問題ありかも。。。 >あのようなバーチャルな存在を、理想の女性にしてしまう人たちが大勢居る事は否定できませんが…アニメの女性に恋する方もいますし そうなんです。 たまたま、何かで検索中に、2次創作というんですか、あるラノベ・ヒロインを題材にしている、ちょっとポルノチックなサイトを見かけたことがあるんですが、私は、その元のラノベ自体は興味もなくて読んだことないのですけれど、ヒロインのイメージとしては、どうやら、ちょっとアタマいかれてる?みたいな非常に破天荒なイメージで描かれてるんですね。そこが、大変、神秘性すら帯びた魅力であると。 ところが、最終的には、ごくごく平凡な二児の母である、お玉片手の主婦になって終わるんですよ。(笑)べつにいいですけど(笑) 実際の、少なくとも、まとも、と言える女性が、こんなことガンガンやるわきゃないでしょ!と言いたくなるような場面だらけで、その二次創作を書いてるのは、比較的若いらしい男性ということでしたが、こういう願望なんだろうかな?という感想しか持てませんでした。。。 >その背景には、テレビ、漫画、アニメ、映画なとの現代メディアや器械の発達があるのかも知れません。 幼い頃から、これらのメディアに慣れ親しんで育った世代には、現実の異性とメディア上の幻の異性との異差そのものが、その前の(私たちの)世代に比べて大変に希薄なのかなとも考えさせられます。 近頃、よく取り沙汰される内容のことだと思われます。 私自身、ほとんどは、アニメまでは、あまり興味を持っていないだろう世代ですが、概ね、現代的各種メディアに囲まれて育った世代には違いないです(子どもの頃、マンガ家になりたかったんです)。 >相手が物言わぬバーチャルである方が、楽チンですから、怠惰な関係に安住してしまうと、そこから抜け出すことが出来なくなります。 >演歌の歌詞の中の女性やアニメの偶像を理想化してしまったりするのは、こういった自己保身(怠惰さ)が働くのではないかと考えられます。 心の成長が止まっているのかも知れませんね(笑) 実は、そんな感じの人たちに、ぶつかってしまったのがキッカケで、 >リアルな他人との関係を正しく(相手をきちんと認識して)築くことは、葛藤や争いも伴う面倒臭いことであり、本人の努力や心発育や健全さが必要になってきます。 もともと私の努力や健全さも不足しているということでもあるのか、最近、かなり面倒くさいという気分に襲われがちになっていまして(笑)でも、それでも、 >最初に、母親と出会い、父親を認識し、親戚、友達、ご近所や先生など 家族⇒地域⇒学校⇒社会と世界が広がるたびに、他人と出会い、出会いを通じての交流(葛藤や対決や愛情)を通じて私たちは成長していきます。 哲学者の吉村思風先生は、一人称的世界(わたし)⇒二人称的世界(あなたと私)⇒三人称的世界(あなたと私と皆)と人間は成長していくと説いております。 仰るように、他者と出会うことで遂げられていく人間の発達課題は、すなわち、世界と認識を広げていくことなんですね。これは、バーチャル、仮想世界と言われる場であっても、なお可能性のあることかもと考えています。

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