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認めてもらう言葉
認めてもらう言葉をかけてもらうのはとても大切なことだと感じております。 ただ、受け取る側の人が 受け止められない場合ってありますね。 たとえば、認めの言葉が自分が利用されるためだったりした場合 認めの言葉から、必死に振り切ってきた過去を持っていたりした人には どう接していくのが良いのでしょう。
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- heartmind
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認めてもらう言葉がその人からとったら認めてもらう言葉じゃなかったらどうでしょう。 私の幼児体験です。保育園の運動会のお遊戯の場面、満足そうにかわいいわねってほほ笑む大人たちの顔、それを見て思わず、手と足が止まり直立不動になりました。 私はそうじゃない。誤解しないで。踊らされている私をみて満足しないで。 今はイノセンスの堅持だと思ってます。客観的に見たら強情でへそ曲がりなだけだろうけど、本当の自分を見てほしいという主張です。 言葉でくくってほしくない曖昧な感覚をただ言葉でくくってほしくないだけ。 受け止めない自由もあると思うのですが。 真心も大事だとは思うけど、そのまんまを認めることも大切かと思うのですが。
今晩は。つい先日回答させて頂いた者です。 先日の回答や次にご 紹介する回答と同じ様な話になってしまうけれど、ご質問にある“認めの言葉を振り切ってきた過去がある人”は、自尊心よりもプライドを大切にしているのだと思います。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5461481.html (回答No.4で自尊心とプライドの違いについて回答をしています。) その人が自分は利用されるだけの人間であっただとか、人から掛けられる認めの言葉が信用ならないと考えているのであれば、“自分はこの世の中に受け入れられている掛け替えのない存在だ”とは感じていないということになると思います。 “掛け替えのない存在である”とは、驕り高ぶることではなくて、誰かと比べて勝っているだとか劣っているだとか蔑みや卑下の感情とは無縁のもので、自分が存在していること、そのこと自体が尊くて価値があると確信できることなのです。 このことは、自分の命そのものに尊厳を持つということに言い換えられると思います。 それは自分自身が、この世に生きて存在していることに対して、怒りや悲しみ憎しみだけではなく、喜びや意欲、安らぎを持てるということ、即ち存在意義を見い出せることでもあると思います。 自分の身に起きた良いことも悪いことも、自分の欠点も長所も、全部ひっくるめて事実を歪めることなく、ありのままに自分という存在を自分で受け止めることが出来ていると、自分に向けられた言葉に対して斜に構えたり、否定にばかり走るということはないと思います。 ありのままに自分や物事を見ることが出来る人は、常に全体を捉て考えるから、極単には走らないものでしょう。 自尊心があって情緒が安定していると、ものの考え方は限りなく中庸に近づくと思います。 ご質問にあった人は、自尊心が無い状態にあるので自信を持つことが出来ず、自分の判断能力にすら懐疑的になってしまい、認めの言葉を掛けられても人を信用することに対して嫌悪感を抱いたり恐怖心を持ってしまい、拒絶してしまうのだと思います。 恐らく、その人にとって一番慣れていて安心できる選択が拒絶なのだと思います。自分の可能性に対しても信用出来ないので、拒絶することによってプライドを保っているのでしょうね。 人を信用して裏切られるのが怖いので、先に自分で拒絶して、その事で安心しているのでしょう。 これだけで高慢(=プライドが高い)とまでは言えないけれど、外界との関わりよりも自己の世界を尊重し、誰も自分の心の中に踏み入らないように自己愛に走ってしまい、守りに入ってしまうのだと思います。 つまりは、自分のことで手一杯なので、自分の中に誰かの感情を取り込むのは荷が重いのでしょう。 自尊心があると、自分だけではなく人との関わりも尊重できます。 自分がこの世に受け入れられていると感じていると、自分も世界の一部だと認めることが出来ます。 だから、同じ様に人のことも受け入れる余裕を持つことが可能です。 その人は孤独を愛する人なのかもしれません。 だから、認められたいとは思ってはいないかもしれません。 しかし、 「認めの言葉が利用されるためだった」 「認めの言葉から、必死に振り切ってきた過去」 とあるからには、 「無償の愛を感じたかった」 「縛るものではなく、包み込むような愛が欲しかった」 という想いを抱いているように感じられます。 その人が一番恐れているのは、 「利用されること」 「感情を踏みにじられること」 「裏切られること」 「嘘をつかれること」 だと思います。 誰だってそうだと思うけれど、その人は多分、尋常じゃない場数を踏んできたのでしょう。 その人は愛された記憶がないから、認めの言葉が空虚に聞こえるのでしょう。 その人が欲しいのは真心(男女間には限らず普遍的な愛)なのだと思います。 だから、真心で接するのが良いと思います。 けれども、真心は誰にでも注げるのかというと難しい面があります。 愛を届けることが出来る人には、芯が強い人でなければなれないと思いますので。 そして真心とは、相手が苦しんでいるときに「信じること、見捨てないこと、追いつめないこと」だと思います。 そして、助けを求めているときには、「駆け付けること」だと思います。 「~してあげる」とか、「~せねば」ではないと思います。 何があっても、「愛さずにはいられない」という溢れ出す感情が真心だと思います。
こんばんは† ちょっと、ピンと来る言葉が浮かばないなの。 あたしは,読解力有るほうなはずなんだけどなの…。 認めてもらう言葉⇒共感・肯定・褒め言葉かななの。 受け取る側が,受け止められない無い場合⇒自分の持ち味と違うことを,指摘されたからかななの。 単に,図星の照れも有るかななの。 利用する為⇒仲間づくりで,自分の考えに同意させる為のかななの。 言うなら,嫌いな人間か,みんなから嫌われている人間に言われたのかななの。 嫌い人間や,嫌われ者さんからの言葉は,受け入れ難しい思うなの。 それなら,誰でも有る思うなの。 でも,接し方なのね? う~ん, ●嫌いを好きになれるかなの。<長所を見つけること> ●嫌われ者さんと,一緒にいる勇気が有るかなの。と,その人に思いやりが持てるかなの。 勝手な解釈で,回答しているけど,話の内容に有っているのかが,不安なのなの。