松方デフレから政府の財政困難への理由

このQ&Aのポイント
  • 松方デフレが起こった時期に政府は不換紙幣を増発し、国立銀行も不換銀行券を発行したため、通貨の量が増えました。
  • その結果、紙幣の価値は下落し、銀貨に対してインフレーションが起こりました。
  • 一方、政府の歳入は地租が主なため、歳入が減少し財政困難が生じました。
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日本史

僕は今高校1年です。 日本史の教科書を読んでいてわからない部分があったので質問します 松方デフレなどがでてくる少し前です 『当時の政府は西南戦争に際して軍費の必要性から不換紙幣を増発し、さらに国立銀行も不換銀行券を発行したので通貨の量が増大して、貿易取引などで用いられる銀貨に対して紙幣の価値が下落し、1870年代末には激しいインフレーションが起こった。一方、政府の歳入は定額金納の地租が主であるため、実質的に歳入が減少し、財政困難を招くようになった。』 とあるのですが、 後半の『政府が財政困難を起こす理由』がイマイチ理解できません。 もう少しわかりやすい説明ありませんか? 日本史に詳しい方など 解説お願いします!

noname#161788
noname#161788
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  • ベストアンサー
  • anju_z
  • ベストアンサー率37% (67/180)
回答No.1

極端なたとえ話かもしれませんが、金100グラムをお札10枚で買える時代があったとします。 その後政府がお札を発行しすぎて、市場にお札が出回りすぎたと考えてください。 市場に出回っている金の量は変わらないので、たとえば金100グラムに引き換えるためにはお札50枚が必要となりました。 これがインフレーションですね。 しかし政府の歳入は土地の広さに対して定額の税金をかけていました。 たとえば1坪の土地を持った人から、10枚のお札を徴収していたとします。 インフレーションがおこる前には、政府は1坪の土地あたり、金100グラムにあたる税収を見込めました。 しかしインフレーションが起きたことによって、1坪の土地あたり、金20グラムにあたる税収しか見込めなくなりました。 そのため、政府の歳入が実質的に減少した、ということだと思います。 なお、これはすべて説明するための極端な例であることを繰り返しておきます。

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