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運命論と科学、因果律?

itsuki7927の回答

回答No.7

ご質問になっている問題は、 様々な事例や考え方によって論じる場合には永遠に解消しそうにありませんが、 言語という観点から考えますと意外と簡単に解消します。 哲学は前者の学術として発展してきましたが、後者も是非ご参照ください。 我々は 「決定 (されている)」 という語について、2種類の概念を有しています。 I : (自然科学の大前提である) 決定論に示される決定概念。 II : 科学が採用される以前から人類が有している、神による決定。   運命ないし宿命による決定。 I と II の違いは、それぞれの適用例を見ればよくお分かりになるでしょう。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130243786 お手数ですが、上のページの itsuki7927 の回答を一読していただいて、 ◆ I の語用については ・・・ 冒頭の決定論の説明を構成している決定概念を ◆ II の語用については ・・・ 回答最終行の 「決定していない」 を それぞれご確認ください。 ところで、因果律とは 「一定の原因に対しては一定の結果が継起する。 原因が同じなら結果も同じ。よって、結果が別様であれば原因が異なる。」 という、ニュートン力学以前にさかのぼる旧い説明です。 この説明中の 「一定の」 とか 「同じ」 といった記述を見る限りでは、 自然科学も II の決定概念に負うものであるかに錯覚してしまいますが、 因果律が ( I の決定概念からなる) 決定論を足場として述べられる説明である以上、 そういった記述は 「ニュートン力学以前の時代の人々には、決定論が 『量子力学や複雑系といった 当時にはなかったタイプの諸法則を導くものとして自然科学の大前提であること』 の認識が乏しく、またそういった配慮も未だ不要であった」 ということを示すものでしかありません。 ここでご質問に立ち戻りますと、ちょうど 「ラプラスの悪魔」 という考えが magne65さんのご質問で述べられた世界観にあたるように思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94 要するに、「初期条件がもれなく与えられれば、全ての成り行きが確定するはずだ」 という見解ですね。 ラプラスはニュートン力学全盛の1800年代の人物なので、「一定の」 とか 「同じ」 といった記述からなる因果律に負うことで、みずからの主張を意味したのでしょう。 ですが、自然科学は ( I の決定概念からなる) 決定論を大前提とするものであり、 上で見たように因果律は決定論を足場として述べられる説明なので、 「ラプラスの悪魔」 は因果律によって正当化される見解ではありません。 以上より、magne65さんの世界観は斥けられます。

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