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小林秀雄、江藤淳

zephyrusの回答

  • zephyrus
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回答No.5

小林秀雄に絞って、少し書いてみます。 この作家の難解さは、当時の日本の「文学的常識」を一通り知っておくことが不可欠であることにも一因があります。フランス・サンボリズム(象徴主義)の影響を濃厚に受けていたためか、説明のための説明を省略する、もしくは極端に嫌う傾向があるため、そこを読者のがわが補って読まなければ意味がよくわからないことがしばしばなのです。 原書(しかしこれは翻訳本は可。でなければ小林とて、たとえばドストエフスキー論は書けなかったでしょう)をよく読んでおくことはもちろんのこと、先行する主要な批評も目を通しておくことが望ましい。この上で初めて、小林の批評文に接して、「うーむ」と肯くことになります。(いやしくも文学批評であるからには著者独自の見識がふんだんに盛られているはずのものです) つまり解る人にはすこぶる良く解り、それなりに納得もでき得るものだが、分からない人にはさっぱり分からないしろもの、ということになるかと思います。自身やその周りと文学的空間を共有しない人のことは、たぶん筆者の念頭に置かれていません。輓近によく見かける、読者にやたらと愛相のいい大多数の文章とは違い、良い悪いは別にして、一昔前の文章によくあったタイプです。読者を選ぶ文章なのです。 と、偉そうなことを言っている私自身よく分かっていません。それを承知の上でもう少し具体的に述べてみます。 『当麻』という短いが著名な文章があります。 これは題名から想定されるような当麻寺へ遊興に行ったという話ではなく、能の一演目を観て著しく感興した、その心のありさまと連想が綴られているだけなのです。その演目がどういう筋なのかとか、どういう経緯でどこに観に行ったのかとか、それが世阿弥に占める位置とか意義とか、普通こうした文章で触れられるであろう説明や解説をほとんど一切欠いています。 そのかわりに、猫の死骸がどうしたとか、仮面を脱いで素面をどうしろとか、そんなことが書いてある。 しばらく読み進めてゆくと、「室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑はなかつたあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる」などという警句が出、「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」という、どうやら世阿弥自身の言葉が引かれた直後、「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」という、この後長く喧伝されることになる有名なレトリックが続きます。 それにしてもいまいち、意味のよく分からない文章。気分だけで言葉を発し、その気分だけは何となく伝わってくるという現象は、当時の日本社会にもよくあったことです。仏文学者の鹿島茂氏によると、この文の元ネタはバルザックの『ゴリオ爺さん』にあるそうです。ヴォートランのせりふだとか。 ついでに最後のことろで、「あゝ、去年(こぞ)の雪何処(いづこ)に在りや」と盛り上がって、これは15世紀フランスの詩人フランソワ・ヴィヨンの最も有名なバラード、いにしえの美女たちの名を次々にあげてゆき、それらの人たちは今はもういないという詩のルフランの箇所を引いたもの。知っている読者にはすぐ分かって自尊心がくすぐられるし、前の文章にある「仮面を脱げ、素面を見よ」などとも照合しあって、なんとなく納得してしまう仕掛けになっています。 小林秀雄の文章は、批評文の本道ではありません。かなり特殊なものです。 読みこなそうとする人、また読みこなせる人はそうすればいいし、そうでない人はそうしなくてもいいのではないか、などと不遜にも私などはそう思ってしまいます。 このことをもう少し突っ込んでみたい(たとえば彼の代表作の一つとされる『モオツァルト』をもって)という思いはあるものの、すでにかなり長文になりました。別の機会といたしましょう。 何かのご参考にでもなれば幸甚です。

akarinn365
質問者

お礼

この質問に、親切な回答いただき有難うございました。 小林が理解できない、江藤が理解できない、ということでかなり、彼らに反感を持っていましたが、 よく考えてみると、小学生が、大学の教科書を読んで理解できないと騒いでいるのと同じ状況じゃないかって 思うようになりました。 長い目で、多くの書物を読み、知識を広めてゆく努力をすること。理解できる語彙を豊富にすること、 その中で、何か分るようになればいいかなって思います。 努力といってもそれほど真剣なものではないですが...

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