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裁判員は奴隷の一種ですか?

裁判員制度は奴隷制度の一種のような気がしてなりません。「裁判員」という言葉を聞くだけでイラっとしてしまいます。できれば明確に否定していただきたいのですが。

みんなの回答

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.4

裁判制度はむしろようやく日本国民が手に入れた、司法権への国民監視の権利だと思います。 日本の場合、法治国家で国民主権でありながら、司法については専門家の独自性が高くて、国民の監視が行き届いていませんでした。 特に「国民の監視が行き届かない」という点については、裁判だけでなく検察にも問題がありました。 たとえば「明石歩道橋事件」については、国民監視の手段である検察審査会が、警備責任者の明石警察副署長を3回も起訴相当(起訴しなさい、ということ)にしているのに、検察は不起訴処分にして罰則を受けることもありませんでした。 検察には民意を反映させる仕組みがあるのに司法が無視する、という現実がまかり通っていたのです。このような状態では国民主権とはとてもいえません。 このため裁判員制度と時を同じくして、検察審査会の権限も強力になり「起訴相当」の議決が2回出たときは、必ず起訴して裁判が開始されるように法改正されました。 つまり、国民が主権者として、悪人を法の網から逃さない(検察審査会)と悪人なのかどうかは裁判で見極める(裁判員制度)という両面が行えるようになったのです。 私はこの回答の中の「国民主権」を広く一般社会活動における国民一人一人の責任と解釈しています。 確かに裁判員制度開始によって、厳罰化が進んだようにも見えますが、さいたま地裁で判決の出た在日外国人の強盗傷害事件では、被告の更生を考慮して検察の求刑より軽い量刑で結審していますし、山口地裁で行われた老々介護による殺人未遂事件では、執行猶予判決がでています。 どちらも判決が軽いことが要点ではなく、一般的な国民が裁判にかかわることで、犯罪の裏にある社会的な不正義や貧困などの社会問題を身近に感じるようになったことでしょう。 裁判員制度を通じて、このようなことを感じる人が増えれば、国民主権という言葉が実行力を伴った社会に変革すると思います。 犯罪などの社会に現れる諸問題を、司法の専門家に任せて「その判断を無謬のものとして受け入れる」という態度は、むしろ絶対王政のような人治主義を思い出させ、そのような社会に生きる人々のほうがむしろ隷属的であると思います。

hornet3
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 裁判への一般市民の参加が、(裁判官の資質に関わらず)国民主権という見地から重要であることが改めて認識できました。 ただ、疑問なのは「参加できる」ということではなく、「参加しなければならない」ということなんです。

noname#114796
noname#114796
回答No.3

面白い見方です. 本質的には,免罪符かもしれません.あまりにも裁判官が判決を書く自信を喪失して,一般国民がどう思うかを知り,責任を押し付けたいのかもしれません.「俺が神だ」のような清廉な人がいないのでしょうかね. または,裁判官を続けると世間の常識から離れてくるからでしょうか.どんな犯罪でもひたすら判例を基に機械的に判決を作るし. 今までに裁判官の犯罪もありましたよね. 裁判員制度が適用されてからの判決は,求刑に近くなる傾向があるようです.一般裁判員は求刑が足りないと感じているのではないでしょうか.

hornet3
質問者

お礼

大変明確なご意見ありがとうございます。 確かに、裁判官に対し、本当に付け焼刃の素人の助けが必要なレベルのかと疑いたくなります。 もしそうだとしても、あるいはなおさら、手伝ってみてもいいとは思うのですが、制度がどうしても気に入らないんですよ。

  • yamada28
  • ベストアンサー率27% (5/18)
回答No.2

裁判員は奴隷ではありません。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.1

質問者様が何故奴隷制度だと思うのかを書いていなくてはそれに対して違うと言う意見が書けないと思います。 私は、日当が出るので奴隷では無いと思います。 (こういうことを言っているわけでは無いですよね?)

hornet3
質問者

補足

レスありがとうございます。 >何故奴隷制度だと思うのか についてですが、 (1)裁判員となっている時間、職業選択の自由がないこと。すなわち、強制労働の一種ではないか (2)義務に対する権利が軽く、社会契約として成り立たないのでは と思ったからです。論点を絞らずに多角的な意見を聞きたかったので書きませんでした。

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