• ベストアンサー

6歳の子供が、死を異常に恐れています。

 先日6歳の子供が、テレビ番組の1部でやっていた『壮絶介護スペシャル』というのを見てしまい、その中でアルツハイマーの患者が奇声を発して暴れたりするのに、異常な恐怖心を抱いてしまったようです。  その後、子供の中では『死』自体が怖いものとなってしまったようで、テレビで病気になる話や死ぬ話を聞いたり、なんとなくボーっとしていると思いだしては、シクシク泣きだしたり、食欲がなくなったりしています。  そんなに簡単に人が死ぬ訳ではないとか、十分に長く生きた後に死ぬことは怖いことではない事など、色々話してみましたが、本人の中では解決には至らないようで、すごく心配です。  どんな風に話をしてやればいいのか行き詰ってしまい、同じような経験をしたママさんや、専門家の方の意見が聞けたらと思います。 どうぞよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • natsurei
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.2

現在二人の子供を持つ母親です 質問を読む今まで何十年も思い出すことはありませんでしたが、私自身5,6歳の頃、子供が自殺する再現ドラマを見てしまいとても怖くなり、しばらく間、精神不安定になりました。ちょっとしたことで泣いたり、落ち込んだりしました。 事情を話すと親はとても心配し、そんなテレビを見せてしまった事を後悔していたような記憶があります。 私の経験から言うと、おそらく一時の恐怖で終わると思いますが、私の場合、夜になると無性に怖くなりました。 なのでしばらくの間、お母さんや家族がしっかりお子さんについてあげることが良いと思います。スキンシップもいつも以上に! そして昼間やお休みの日にはいっぱい家族で楽しい時間を過ごせばきっとすぐにそんな恐怖は忘れてしまうと思いますよ。私の場合はそうでした。 その時の私は、死=家族と別れてしまう と思っていて、それがとても悲しかった記憶があります kira2miraiさんのお子さんもきっと家族みんなの事が大好きなんでしょうね これからも愛情いっぱい注いであげてください

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございます! ご自身の経験からのアドバイス、とても参考になりました。 確かに息子も、家族と別れること、二度と話したり笑ったりできなくなることを、とても悲しんでいるようです。 それに、怖いことを思い出すのが嫌だから、『なにか面白いことをして!』と言います。 natsureiさんのおっしゃるように、しばらくの間はいつも以上にスキンシップをして、必要以上に考えすぎないようにしながら、『死』をなんとなくでいいから理解して(まだ完全に理解するのは難しいと思うので)、恐怖を乗り越えていってほしいと思います。 息子が、家族の事が大好きだから悲しいんだろうというnatsureiさんの言葉に、思わず涙が出てしまいました。 温かい言葉でのアドバイス、本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (5)

回答No.6

 すごいアドバイスができるようなら、すごい宗教家になれるでしょうね(^^;  90歳のお年寄りだって、死ぬのは怖いです。  私自身、初めて身近な人が亡くなったのは、19歳のとき。母方の祖母でした。そのときの自分の感情はよく分かりませんでしたが、生理がしばらく止まりました。未だに表現が分かりません。  私は、自分が死んだり、大事な人が(老衰は仕方ないと思います)死ぬのは嫌なので、子供には、死なないようにがんばろう!道路に飛び出してはねられないように。1人のとき、お風呂でもぐって遊ばない!とか、都合のいいように言い聞かせています。泣きながらがんばる~、とうなづいてくれます。すぐ忘れますが。  うちの年長の息子もそうです。  年中の終わりくらいかな・・・。  最初は絵本がきっかけでした。  嫌われ者のティラノサウルスが、初めてできた友達のために死んでしまう、とい話でした。  何で死んじゃったの?なんで?  と泣いていました。  そのときは、ああ、絵本の物語に、共感できる年になったんだなぁ。と思いました。  そのころから、テレビのニュースで家事が、事故で人が亡くなりました。とか、死亡しました、と言うことに反応するように。  死亡、と言うことに関しては、一度ふざけて私の腹の肉をつまんで、これが脂肪、と教えたら、ニュースで流れるたびにつまむように(><)お母さん、何でこんなに脂肪、あるのに、ニュースに出ないの?とまでのたまわれました。この教え方だけは、絶対にしないほうがいいと思います(TT)  話を戻して。  交通事故遺児の話をニュースで見たとき、この子のお父さん、どうして死んじゃったの?死んだらどうなるの?うちのお父さんは大丈夫?と泣きました。それから、朝、出勤のとき、車に撥ねられないでね~~~と送り出してくれるように。父、感動。  さらに先日、動物園に行ったとき、サルの赤ちゃんが死んでいるのに遭遇しました。母猿が戻ってきて、抱き上げて、どう聞いても泣き叫んでいる、と言うような泣き声をあげ、無理やりにおっぱいを飲ませようとする姿に直面したわけです。  何も言いませんでしたが、夜、泣きました。お風呂の中でボロボロと。  ただ、抱っこして、寝付くまで抱いてあげることしかできませんでしたが、翌日から、けろっとしていました。忘れたわけではないでしょうが、上手く整理が付いたんだと思います。  お子さんは、死、そのものより、年を取って、テレビで見たような姿を家族がなる、自分がなる、と言うことを恐れているように思います。  だったら、こうならないように、しっかりご飯食べよう!とか、運動しよう!とか、プラスに持っていけるといいですね。  老人ホームでボランティア経験がありますが、親が思う以上に、衝撃的なものですよ。老い、とか、死、って。時間の解決をまち、親がいる、家族がいる、安心感を与えてあげてください。  また、大きくなったら、と言う話題もいいかもしれません。  遠い未来より、近未来。  小学生になったら、とか、クリスマスになったら、とか、身近な未来にも考えが及ぶようになれば、記憶の戸棚に整理されると思います。  自分の経験ばかりでしたが、こればかりは、人類が数千年、悩み続けたことですから・・・。

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございます!  私も、老衰で死ぬことは決して怖いことではないから、それまでちゃんと生きていけるように、『道路に飛び出さない』『手洗いうがいをきちんとする』などの言いつけを守ろうね、と話しました。 それだけでは、本人の不安は消えないようでしたが、私が心配して悲しい思いをしていることに気付いたようで、今日はしっかりご飯を食べてくれました。 テレビを見ている時には、また不安になるワードが出てきたのか、『ママはどこも病気じゃない?』『ママもちゃんと手洗いうがいした?』と聞いてきましたが、今日はシクシク泣いたりはしませんでした。  多分これは『怖いとか、悲しいとか、嫌なことばかりを考えてると、気分が悪くなって病気になったりするから、毎日楽しく笑って過ごした方が長生きできるよ』と私が言ったので、少しでも楽しくしようと自分なりに考えてるんじゃないかと思います。  6歳の小さな胸の中の、恐怖や不安の占める割合が少しでも減るように、楽しい事や嬉しい事が増えるように、これからも家族で向き合って行きたいと思います。  いろんな経験を聞かせていただいて、ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • sona1986
  • ベストアンサー率46% (122/263)
回答No.5

私も今、まったく同じ問題に直面しています! 5歳(年長)の娘が最近、驚くほど「死」に執着しています。 「人間は歳とったら死ぬんでしょ?人が死んだら悲しいんでしょ?それなのにどうして『お誕生日おめでとう』って言うの?死に近付く日なのに」 この質問に、どうしても答えられずにいます。 「生まれたことに『おめでとう』って言うのよ。あなたが死ぬのはまだずーっと先だし」と言うと、「じゃあ何歳からおめでたくなくなるの?『生まれた日』より『死ぬ日』の方が近くなっても、お誕生日は『おめでとう』なの?」と返され、困ってしまいます。 私自身が20歳の時に両側卵巣腫瘍で摘出手術をしたという話を娘にしてあったので、時々「20歳まで、あと15年だ!私はいつ病気になって何歳まで生きるのかな」と不安がり、私のそばを離れません。 私自身の病歴が娘に「病気への恐怖」を強く与えてしまったみたいで、「ママが助かったみたいに病院で治してもらえるのよ」と言っても「でもいつかは死ぬんでしょ」と、もう堂々巡りです(^_^;) 息子さんも6歳(娘と同学年かな?)とのことで、生と死・世の中の仕組み・人間の感情…生きていく上で避けて通れない色々なことに目が向くようになった年頃なのかもしれません。 私自身も、小学校低学年の頃は毎晩お布団の中で「私もいつか必ず死ぬんだ…」と思い怖がっていた記憶があります。 夜の闇や、眠りに入る瞬間の「意識が遠のいていく感じ」が、死を連想させたんですよね。 でも今回、息子さんはカブトムシであっても「ひとつの命が失われた」ということを理解したのですよね。 これはとても良いことだったのではないでしょうか。 「命は大切」なんて口で百回言い聞かせるより、衝撃的だったかもしれませんがテレビの映像を通して、「死の恐怖=生の尊さ」を学んだと思いますよ。 息子さんはきっと、とても繊細で優しいお子さんなのですね^^ 死の恐怖が分からず暴力的になってしまう男の子もいる時代、とてもいいことだと思います。 お子さんが不安がる時は、普段以上にスキンシップをとって、楽しい場所に連れて行ったりちょっとゼイタクさせて欲しがる物を買ってあげたり、一時的に気を逸らしてあげてもいいかもしれませんね。 根本的な部分は自分で乗り越えていくしかないと思うので…死は大人でも怖いですから(笑) お互い模索しながらですが、根気強く頑張りましょう^^

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 息子は8月で6歳になった、来年から小学校に行く学年です。 娘さんと同じですか? 娘さんのお誕生日を祝っていいかどうか、というのは凄く子供ならではの観点ですね! 考えたこともなかったけど、確かにそうも考えらますよね(^_^;) 息子も娘さんも、とても大切な成長の段階を通過しているんですね。 今、ここを大切に通過しないと、命の尊さや人への思いやり、家族の絆など、大切な事を大切だと気付かない大人になってしまうかも知れませんよね。 とにかくいつもよりも、出来るだけ一緒にいて、色んな話をしてみようと思います。今までよりも、もっと心の中がのぞけるように・・・。 同じように悩んでいるママさんがいると分かって、とても心強いです。 本当に大変ですが、お互いに頑張りましょうね。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kasumimama
  • ベストアンサー率44% (1218/2747)
回答No.4

私自身がそうでした。 同じ年齢の頃です。テレビの2時間スペシャルみたいなもので 破傷風?だったでしょうか、また普通のドラマで骨肉腫がやってました。 それをみて私はすごく怖くなり、母もまたおもしろがって私が手が痛いというと 骨肉腫じゃない?とか言ってたんですね(^_^;) 私はすごく不安で怖くて、テレビでは鼻がもげて死んでいくのですよ。 でも私は怖いとか自分が怖がってると知られるのも恥ずかしくて 一人でずっとびくびく怖くて影で泣いてました。 だから母は私が怖いなんて思ってもいなくてよくいじめられてました(^_^;) その点質問者様はすぐに気がつかれお子様はうらやましい限りです^^ でも私死を恐れるというのは良いと思います。 ですが不安すぎるのもやっぱり可哀想ですよね。 お薬を飲んだら治るとか説明してあげましたよね? 私は自分がそうだったので簡単に答えてしまいますが、 自然に忘れますよ。 ただ死というものを理解している分怖がりでしたが、 それがわかっているからこそ、命の大切さも学びましたし 悪い事ばかりではないです。 まったく死を知らず、怖いとも思わないよりも私は良いと思います。 病気して苦しい思いをして可哀想だねということ、 でも頑張った人は天国に行くんだよということ。 死は未知ですからお子様にはその怖い部分しか印象に残っていないのでしょうね…。 死後があるないの教え方はいろいろ家庭であるでしょうが 私は頑張ってから死んだ人は天国に行く、お利口じゃない子は閻魔様が…と教えられていて 普段悪い事するとご先祖さんが見てると教えられ悪い事もするの怖かったし 天国は良いところなんだーと漠然と思っていて 病気は病気で怖いですが、病気で頑張ってから亡くなってしまうドラマとかありますよね、 そういう場面では母はこの人は天国に行くねー良かったねー ママも天国に行けるかなーっと言ってたので怖いだけではなくなりました。 病気になるかもしれない、死もいつか来るのは確かな事ですから 最初は可哀想かもしれないですが、私はそのうち大丈夫になると思います。 あんまり気のきいた事言えなくてすみません。 参考にならないと思いますが…必死になって説明するほど怖い気もしました(^_^;) 笑って大丈夫だよ^^って言ってくれる方が安心するかも?

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございました! 確かに、『死』にちゃんと向き合う事が出来たのは、息子にとっていい経験になっていると思います。 今まで飼っているカブトムシが死んでしまっても、『前のが死んじゃったから、新しいの飼って~!』みたいなノリでした。 でもそのテレビを見てからは、そういうことを言わなくなったので、少しは『死』の意味を理解したんじゃないかと思っています。 死んだ後は、天国っていう良いところに行くんだと教えるのもいいですよね。 先に死ぬであろう祖父母や私たち両親も先に行ってるから、一生懸命生きて神様が迎えに来たら、また会えるからねって笑顔で言ってみようかと思います。 ご自身の経験を聞かせていただいて、とても参考になりました。 私が心配しすぎて暗い顔になってちゃ、ダメですよね。 笑顔で、出来るだけ一緒にいようと思います。 本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Tinte
  • ベストアンサー率45% (27/60)
回答No.3

僕も正常な子供が正常な成長をする際の登竜門のような気がしています。 子供時代(小学校2年生から4年生ぐらいの間)は子供は様々なものを怖がる時期に入るらしいです。 「死」の恐怖を直接感じるというお子さんは比較的少ないそうですが、比喩的に死を意識できるようになるとお化けや妖怪、宇宙人、もののけなどを異常に怖がるようです。僕自身もそうだった記憶があります。 時期が訪れれば元のように元気になると思いますが、やはり怖がっている間は一緒にいてあげるのが一番よいのではないかと思います。kira2miraiさんのやり方で充分子供の成長に寄与していると思います!

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 子供時代に様々なものを怖がる時期があるんですね。 初めて知りました。 上の子がちょうど4年生なのですが、少し前から将来自立することに対しての不安を口にするようになったんですが、それも漠然としたものを怖がる気持ちから来ているのかも知れませんね。 私のやり方で大丈夫だと言っていただけて、救われる思いでした。 今は子供たちと出来るだけ一緒にいて、不安を感じなくてすむように、楽しく毎日を過ごさせてあげたいと思います。 本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#104874
noname#104874
回答No.1

良いことなのではないでしょうか。 個人的には死を「いつでも心の中では会える」みたいに 最初から教えてしまうのは苦手です。 死の絶対的な恐怖、取り返しのつかなさ そういった感覚が慎重な行動や、他人への安全の配慮にも繋がるからです。 子供の頃自分も死が怖くてたまりませんでした。 特に親は先におそらく死ぬと言うこと。 幼稚園の年長の頃にうたた寝した母がこのまま目が覚めないのではと恐怖して 揺り起こしてしまい「疲れて寝てるのに思いやりがたりない!」と叱られたこともありますし 9歳で祖母がお骨になったのを初めて見たときにはずっと思い出しては怖かったです。 死の恐怖を和らげるより、今生きていること、生きる楽しさを思い出させる方向はどうでしょうか。 ある程度時間が解決する部分もありますが たくさん楽しいことを思い出すような遊びやお出かけをするとか。 とりあえず参考になるかわかりませんがこんなサイトがありました http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/2005/siseikan.html

kira2mirai
質問者

お礼

回答ありがとうございます! そうですよね。 anzuppaさんのおっしゃるように、適当な言い方でごまかすのではなく、『死』にちゃんと向き合うチャンスだと思って、しっかりと話し合って行きたいと思います。 紹介して頂いたサイトも、とても参考になりました。 もう少し時間はかかりそうですが、息子が今楽しく生きていられる事が有難い事で、自分の命も人の命も大切に思えるように、導いていけたらと思います。 本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 安楽死についてどう思いますか?

    安楽死についてどう思いますか? 私は、日本社会に安楽死を導入すべきだと思います。 例えば、こんなことは非常に言いにくいのですが、 知的障害者や、アルツハイマーなど、 何の意味があって生かされているのか解らないからです。 家庭にかかる精神的な負担と、金銭はかなりのものだと思います。 また、自分が年をとり、死にそうにくるしい状況の中で、生命維持装置などをつけられていたり、末期の患者に高価な抗がん剤治療などなど・・・ アルツハイマーなどになっていれば、生き地獄のような気がします。 それに国の借金が減らない理由は、高齢化が進み、年金、医療、福祉などの圧迫が一番の原因で、 毎年、一兆円の借金が増えていく国です。 また、高齢者にいたっては、最近社会問題となっている、生死不明の方への年金支払い。 このまま突き詰めていけば、一体どれだけの税金が支払われていることか・・・ 少子化対策のため、子供手当てなどを支給しても、低所得、増税などで、意味がないように思えます。 このまま高齢化が進んで、介護施設、または障碍者施設で働く人たちの低所得、重労働、人員不足は、対処できるものなのでしょうか??? それにはやはり安楽死の導入が必要なのではないかと思いました。 今、私は倫理的に最低なことを言っていると思います。 どうかみなさんの意見をお聞かせ下さい。

  • 死を恐れる子供に死をどう説明すれば良いか・・・

    こんにちは^^;初めて投稿します。ご意見をお聞かせ願いたく書き込みました;; 来月で5歳になる1人娘を持つ母ですが、先日私が始めての白髪染めを家で自分でやっていたところ、横で見ていた娘が突然娘が号泣しだしたんです。なんとか落ち着かせて理由を聞こうと試みると「ママが死んじゃう~ママが死んじゃう~;;」と涙も止まらぬままやっと答えてくれました;;私は怖くなりどうしてそんな事言うのか聞きましたところ、私が白髪のおばぁちゃんになって死んでしまう。そして自分もいずれおばぁちゃんになって死んでしまう!人間なんかに生まれたくなかったと号泣がしばらく続きました・・・まだ4歳の娘です;;これまでお墓参りは勿論、祖母のお葬式等に子供を連れて行く機械が有り、その時も火葬されるおばぁちゃんを見て熱くないのかとか、痛くないのか聞かれた事が有り、熱くも痛くもなく、お星様になって皆を見守ってくれるんだよと怖くないように説明してきたつもりだったんです。そこでもっと安心出きる回答はないものかと慌てて「ママも○○も死なないし、万が一死んでも生まれ変われるから大丈夫!」等と言ってしまいました・・・「でも星になるんじゃないの?」と聞かれ、その時点でママは嘘つきだと思われたに違いありません。そんな私の生まれ変わり説を信じているいるかどうか微妙なところですが、そこからまた1時間以上あれやこれやと安心させるべく話し真剣に聞いてくれました。こんな時どう答えれば一番安心させてあげれるものか良い案が有ればお聞かせ願いたいです。今もなお子供の心が痛んでないか、どうしてそこまで不安を感じたのか考えます;;私も同じような不安というか恐怖を小学校3年生の頃だったか凄く考えた事が有りましたが、4歳と言う年齢で死を考えるものでしょうか?

  • 死が怖くて仕方ありません

    私は現在大学3年です。 高校生のころ先輩が事故で亡くなりました。 そのとき初めて、 死んだら、いま感じている気持ちや感覚はどこへ行くのだろう と死について考え、叫び出してしまいそうな凄まじい恐ろしさを感じました。 何回かそのようなことを考えては、恐怖に怯えましたが その瞬間だけで何事も無く過ごしていました。 しかし、最近になって、死に対する恐怖が頭から離れなくなり テレビを見ていても、学校で友達と会っても、好きな音楽を聞いていても 死んだら何も分からなくなってしまうのかと思い、 食欲がなくなり、呼吸がしづらくなったり、吐き気を感じたりしました。 恐怖しか頭になく、他になにも考えられず、面白いことがあっても笑えません。 これは異常だとおもい、心療内科に行きました。 そこで、抗不安剤をもらい、4~5日は薬のおかげでだいぶ落ち着きました。 しかし、その後も、いろいろな考えがどんどんと出てきてしまい、 両親が亡くなるのを考えては、涙がでてきてしまったり そんな気持ちがあるから、少しでも両親に優しくされたり ただ日常の他愛もない話が出来ただけで泣きそうになってしまいます。 また、少しずつ就職活動も始めなくてはいけない時期なのですが どうせ死ぬならどうして働くのか なぜ就職活動をしなくてはいけないのか、と考え始めてしまうのです。 こんな怖い思いを抱くのなら、生まれてこなければよかった、と思ったりもしましたが せっかく母親が生んでくれた、そしていまの両親と出会うことができたと思うと そんなこと考えてはいけないなと思いました。 死を考え、生きている意味がわからなくなり、何もやる気が起きません。 いろいろなことを考えすぎて鼓動が早くなったり、手が震えたりします。 このままでは自殺してしまうのではないかと自分が怖くなりました。 実際自殺する勇気なんてこれっぽっちもありませんが。 今まで、部活に打ち込み、学校行事も思い切りたのしみ はつらつと生きてきた自分が、ふとした瞬間からこんな状態になっていることも怖いです。 死は避けることのできないことだと分かっています。 でも怖くて仕方ありません。 こうやって悩んで、何もできずに毎日すぎていくことも 死に近づいているわけで、とても怖いです。 でも、何かやろう!!という気にもなれません。 どのような心持ちで生きていけばいいのでしょう。 カウンセリングなど受けたほうがいいのでしょうか。 また死が怖くないという方とかいらっしゃいますか? よくわからない長文でごめんなさい。 どんな観点からでも構いませんので 回答していただけると嬉しいです。

  • 死との向き合い方

    私のような若い人間(大学生)が言うのも変な話かもしれませんが、時折「死」というものが非常に自らに迫ってくる時があります。 特段、病気を患っていたり、生命の危機的状況に現段階でいるわけではありません しかしながら、夜寝る時や夕方下校途中など、ふと人生について考えてみると、急に何とも言いがたい恐怖感に襲われてしまいます。換言すれば、「死」という絶対的なものの前での人間(自分)の無力さを痛感してしまうのです こうなると寝れなくなってしまったりしまい、「死の恐怖」を忘れようとするかの如く、漫画やテレビ、いわゆる娯楽に逃げこんでしまいます。 「現実逃避」「逃げ口上」と言われるかもしれません。実際、それを完全に否むことは出来ないです。 ただ上述のような恐怖を感じたりするといったことは紛れもない事実です 生きている以上、「死の恐怖」を感じるのは必然だと思っています。故に「死の恐怖」を完全に払拭することは不可能であるということも重々承知の上です。 私はただこの恐怖との、いわば付き合い方を知りたいのです もちろん絶対的な答えはないでしょう、ただ皆様のお考えを参考にしたいと思っています 自分の考えを思いつくままに書いていますので、駄文かつ長文となってしまいましたが、みなさまに回答していただければ幸いです。

  • 子ども時代の死の観念

    小学校入学前後に「人は必ず死ぬんだ」という事実に気づき、恐怖に陥りました。 背景には、小学校での集団生活に対する不安があったんでしょう。 何せ、私は'保育園中退(馴染めなくて)'でしたから… その後、時々その事を考え、居ても立ってもいられない気持ちになりました。 子どもなりの直感で、"宗教へ逃げて(?)も駄目だ"と思いました。 その後も、この直感を破る宗教や思想に出会えません。 大人になって、それは'死の恐怖発作'と言うんだと知りました。 そして、本を読んで作家や詩人の中にも、子どもの時、似たような体験をしている 人々もいる事を知りました。 自分一人だけでは無いと知って、少しは気が晴れました。 似たような体験をした方。それは何歳でしたか?きっかけは?克服法、あるいは対処法は?

  • 子供の死の乗り越え方

    内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。 私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。 おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。 発見した時、助からないのは一目で分りました。 冷たく硬直した体を必死で温めて、人工呼吸や心臓マッサージをしたり、動かしたらいけないのは分ってるのに、救急車が来るまで、何かせずにはいられませんでした。目の前にあるのは絶望でした。 警察の現場検証と司法解剖の結果、「原因不詳の死」でした。私は半狂乱で警察の方に「娘は私が寝かしつけました。だから私が殺したのも一緒です。なぜ私は裁かれないのですか?」そんなことを言ったように思います。殺したのか?と聞かれれば決してそんな事していません。 警察関係者、家族、友人誰一人として私を非難する人はいませんでした。非難されれば、それは、とても辛いことなので、感謝しなくてはいけないと思いますし、周りの温かさに随分救われました。なぜ自分は自分を許せないのでしょうね。自分を責める事で自分を守っているのでしょうか。かわいそうと思ってもらいたい、同情して欲しい・・・心の中ではそんな気持ちもあるような気がします。情けないですね。 警察では「現代の医学では解明できない数十万人に一人の割合で起こる原因不詳の死。事故死でも窒息死でも無く、乳幼児突然死症候群とも分類しがたい。8ヶ月で亡くなってしまった事、それが娘さんの運命だったと思います。」そう言われました。 沢山笑ってくれるようになりました。とっても元気にバタバタ手足を動かして、お名前呼ぶと、にや~として。でも、もう何もしてあげられません・・・もう会えません。一緒に桜並木をお散歩するのが夢でした。温かくてふわふわしてたあの子はもういません。娘があまりにも大きな幸せをくれたので、失ったものの大きさに押しつぶされて、泣いてばかりです。小さな小さな体に全身メスを入れられ、本当に最後まで良く頑張ってくれました・・・・。そして最後にかわいそうな事をしてしまいました。 ちなみに、主人は決して、私の前では涙を見せません。一緒にいる時は一生懸命笑わせよう、楽しくしようとしてくれます。でも、私は泣いたり、時に酷い事を言ったり・・・悲しませてしまう。主人が泣いたのを見たのは2回だけです。 これから先、お迎えが来るまで私は悲しみを乗り越えて、生きて行かないといけません。私一人ではどうしても悪い方向に考えてしまいます。皆様の経験談や悲しみの乗り越え方のアドバイスをお待ちしております。どうぞ、宜しくお願いします。 次の子供を作ったらと母乳を止めるために行った病院でも、警察でも言われました。 本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか? 私の願いは娘にただ会いたいということです。ママを事を許してくれる?パパとママの事好き?聞きたいことが、話したいことが沢山です。 長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

  • 孤独死するしかないのでしょうか?

    貯金がなく、子供を産まない人は孤独死するしかないのでしょうか? ふと疑問に思ったので教えてください。 私は今は有りがたい事に仕事もあり、幸い友人にも恵まれています。 両親も健在です。 でも高齢になって両親も他界し、老人ホームに入居出来るような貯金がなかったらやはり孤独死するしかないのでしょうか? 友人と言っても他人である自分の死を看取ってくれるような友人がどれだけいるのでしょうか? 何かそう思ったら早く結婚して子供産もうかな…と言う気持ちになる時があります。 結婚しても子供を産まない選択をする人の話を良く聞きます。 「老後の面倒を見てもらうために子供を産むなんてありえない」と言う意見を見かけますが、それってそんなに悪い事なんですか? 自分が高齢になったら結局誰かの面倒になると思います。 それは結果として他の方が産んだ「子供」にお世話になるんですよね? 結婚だって結局歳をとったらパートナーの介護するでしょう? そういう方って「老後の面倒をみてもらうために結婚はありえない」とは言わないんですか? 子供を持つ人がそう言う理由で子供を産んでいるとは思いませんが、自分の最期を家族に看取ってもらいたいと思う人は多いのではないのでしょうか。 実際私の両親は介護のために私を産んだのではないと思いますが、多分両親が高齢になったら私が面倒を見るだろうし、介護だってするつもりです。 人って色んな人に支えられながら生きているのに、誰の面倒にもならない!って言ってる人って傲慢だと思います。 うーん、、、タイトルとは随分話逸れちゃったんですが、みなさんはどう思いますか?

  • あなたの死は望まれる死?

    突然の交通事故により、25歳の若さでこの世を去った ある女性看護士の手帳が、後日両親の手によって彼氏の元に届けられた。 看護士と言う仕事柄、数多くの人の死と向かい合ってきたのであろう。 その手帳に書きとめられた詩の中に“望まれる死とは”と言う、外国人 詩人が歌った詩が書きとめられてあった。 その詩の内容は・・・ 『望まれる死とは、 自分の死期は自分で決められればそれが望ましい 病に倒れ死が訪れるのをまつのではなく むやみに死を選ぶことも無く 春の木漏れ日に、空に舞うチョウのように 人生で一番輝いている時、選べるのなら死を選びたい』 と言う内容の詩だった。 チョウは生まれてすぐに大空を舞うわけではない。 寒い冬を卵で過ごし、やがてサナギとなり空を舞うチョウに成長していく。 今までの自分が木陰の人生だったのならば、チョウのように 大空を舞う自分がいてもいいのではないだろうか。 その後、死を迎える事ができるのであれば、それこそ“望まれる死”ではないだろうか。 彼女はこの詩と、病で旅立ってゆく患者の無念さを重ね合わせていたのかもしれない。 突然の事故によりこの世を去った彼女が残していった詩。 残された彼氏にとって『人生で一番幸せだったよ』と言う天国からのメッセージだったのかもしれない。 彼女は自ら命を絶ったのではない。 自ら命を絶とうとする人は、もう一度考えてほしい。 “望まれる死” あなたはまだ空を舞っていないのではないだろうか・・。 チョウですら空を舞い、輝いてから死を迎えるのだから。 それでも死を選ぶと言うのなら、 神にあなたの冥福を祈るのではなく。神に願いたい。 あなたの捨てる命と交換に、彼女の命を私に返してほしいと・・・。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ あなたにとって、“望める死”とは・・・。

  • 子供にとっての父親の死

    子供にとっての父親の死 小学1年と保育所に通う年長の息子がおります。 現在主人は闘病中で、早ければ数週間、もし今回は薬が効いてくれたとしても、子供の成長を一緒に見守っていけるだけの長い時間はないと思われます。 長男ですが、父親の病気のことを心配しているのは当たり前なのですが、それが自分の中で膨らみすぎて寂しさ、不安、恐怖に押しつぶされそうになっています。 下の子への暴力という行動に現れ、私も必死息子と向き合っているのですが、それでも息子の心は不安定のままです。 昨夜も「寂しい、寂しい」と言い、「お母さんはいつ死ぬの?」「ワンちゃんも死ぬの?」とかとにかく「死ぬ」という言葉をよく口にするようになりました。 息子はまだ身近に死を感じたことはありません。ですので、一番最初に迎えるのは父親の死になると思います。 息子のこの気持ちは普通の感情であって、特別な事ではないと思いますが、少しでもいずれくる大切な人の死を受け止め手助けになってくれる本など ご存知の方はいらっしゃらないでしょうか。 また、息子と同じように主人の病気について迷いを持っている私にも、家族の気持ちなどを素直に吐き出し、アドバイスいただけるようなサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら 教えていただけないでしょうか。 厳しい現実を医師から宣告されているため、「パパはもうじき帰ってくるから、もう少し我慢しようね」など、期待をさせる言葉は後々余計に悲しませると思い、私には言うことができません。 ただただ、「寂しい」という言葉に共感してあげる言葉しかでません。今まで以上のスキンシップをもったり、帰宅後の時間は大切にしているのですが、息子の不安と心配と寂しさ・・・支えきることが出来ていません。そんな不甲斐ない自分が情けないです。。。。 過去の質問歴を見られるようにしていますので、もし良かったらそちらも見てアドバイスいただけたらと思います。

  • 病気で死に至る(または直前)時「もうダメだ」の意味

    皆様方の中には家族が、友人が、知人が、病気で他界された方がいらっしゃるかと思いますが、ご存じでしたらお教えくださいますようお願い致します。もちろん医療関係者であればもっと情報量は多いかと思いますがよろしくお願い致します。 人間が病気で死に至る時、直前も含みます。 その過程で患者が「もうダメだ」と聞いたことが幾度かあります。 うちの家族やあるいは知人のお父さんも同じことを言ったそうです。 つまり患者は自分の死が近いことを認識して言葉を発するのだと思うのです。 平成20年3月4日のテレビ朝日で19時から放映していました「小さな命スペシャル」では小児がんの患者が最後「俺、もう・・」と言っていました。私の家族のひとりは「もうお迎えがきている」、もうひとりは「もうダメだ」と言っていました。まさかその時「どうダメなの?」とも聞けませんでした。知人のお父さんはやはり「もうだめだ」と言っていたそうです。テレビの患者さんを含めがん患者は3人、血管系で1人が私の知っているところです。 「どうダメなの?」と聞きずらいかと思いますが・・、聞かれた方もおられるかと思いましたのでここに出した次第です。がんの患者で水を飲みたがらない理由を聞きましたら「水を飲むとそのまま腹水に入っていく」と言っていました。これは腹水にまつわる内容ですが、どなたか聞かれた方がおられましたらお教えください。 とても気になるのです。患者は自分の体内の、病状の、どの状態、病気の進行地点をもってその言葉を発するのかです。病名は問いません。例えば、「血液が体内中もれてきている」とか「がんがあちこち飛び回って広がっているようだ」とかその心中が気になりますのでお尋ねしました。 よろしくお願い致します。