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長篠の戦いのことで!
長篠の戦いが有名なのは、鉄砲を初めて使って戦ったからですか?そうじゃないのならなんでしょう?
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鉄砲自体は、長篠の合戦(1575年)よりも30年以上前に伝来したとい われています。当然、長篠の合戦より前に、実戦投入されています。 長篠の合戦が有名になったのは、それまでにない規模で鉄砲を大量に 使用したからであります。織田・徳川連合軍の鉄砲は3000丁以上だった という説もあります。 鉄砲の使用は初めてではないが、数千丁単位の大量の鉄砲が使用され たケースは初めてだったので、有名になった……ということです。 もっとも、長篠で大量の鉄砲が使われたというのは織田軍による宣伝 であって、実際には鉄砲の火力は数百丁であったという説もあります。 というのも古戦場の発掘から鉄砲の玉が出てこないからで、勝因は兵隊 の人数と徳川軍の奮戦であったという説も唱えられているそうです。
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- lions-123
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>長篠の戦いのことで! 長篠の戦いが有名なのは、鉄砲を初めて使って戦ったからですか?そうじゃないのならなんでしょう? ↓ その様に思いますが、少し補足しますと(勝者に拠る書物や後世の読本には諸説あり、誇張も含む)戦術戦法、陣備えが、一層、長篠の戦を興味深くさせ、合戦状況&結果を有名にしたのではないでしょうか。 ◇当時、最強と思われていた武田騎馬軍団が織田・徳川連合軍の鉄砲(初めてでは無い)が、史上初、大量に銃列を組み、突撃防止の柵にてたじろぐ騎馬に向け一斉射撃を行った→ (1)新兵器の威力と新戦法 (2)名将&勇将が、名も無き足軽鉄砲隊に討たれる (3)名門武田家崩壊の切っ掛け の面で、時代の変化、主力武器の変化、戦法の変化が、滅びの悲しみ哀れを誘い、その後の天下布武への重要、有名、歴史の転換点となった。
- trajaa
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鉄砲自体はそれ以前から利用されていたが、それを積極的に活用した織田軍と、雑兵の兵器、卑怯な飛び道具として重視されなかった武田軍という構図はある。 その他の要因としては ・それまで戦国最強と見られていた武田騎馬軍団が、一つの会戦でほぼ壊滅した。 ・それまで、各武将毎に小規模な鉄砲隊を分散配備していたのを、鉄砲隊を集中的に配備した ・この合戦によって武田家の衰退が決定的となり、織田徳川連合軍の国内平定が加速した。 と言った幾つかの 要因が重なっているからではないか? 鉄砲三段構えとか、実際はどうだったのか? 信玄の死後に旧来の家臣団と勝頼(とその直臣)との齟齬があるなど、武田家の弱体化はそれ以前から進んでいた。という話も聞いたことがある。 合戦の状況については後世の脚色もだいぶあるのでは無いかと思う、そう言う脚色を加えやすい題材で、その脚色された部分が人々の記憶に残っているという事もあるかと。
- toro321
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初めてではないです。 通説では、鉄砲を、3段構えで使用したからです。 当時の鉄砲は、掃除、火薬込め、玉込め、発射と時間がかかるので、一発撃てば、次の発射まで時間がかかりすぎ、騎馬武者に接近されてしまうのが欠点でした。 それを防ぐために、発射すると後に下がり、2人が撃ってる間に撃てるように準備して、絶え間なく撃つ事によって武田の騎馬を全部討ち取ったとされてます。