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聖書の内容について質問です

こんにちは。 恥ずかしながら、最近マタイ福音書を読み終わりました すごく疑問に残った点が2つありましたのでどうか、ご回答下さい。 一つ目 作中しばしば「祭壇」やら「大司祭、司祭」やら、と言った、今の教会を彷彿とさせる単語が多々出てきますよね? これらの「教会」は何を奉った教会なのでしょうか? まだキリスト教がないのは当たり前ですし… 二つ目 作中に「(イエスが)私は平和をもたらしに来たのではない、敵対をもたらすのだ(と彼は言った)。」という記述が確かにあったのですが、これの真意をお教えくださらないでしょうか? キリスト教の基本理念に「博愛」とあるので、かなり解釈に戸惑っております。 これらの点について、よろしくお願いします!!

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  • kigurumi
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回答No.5

No.2です。 No.1さんの回答内容を見ないで投稿したのですが、No1さんの回答の通り、敵対する相手とはパリサイ派のように、口では律法を守るように言うが、ちっとも実践していない者。 律法は預言者を通して民族に与えられたものとされます。 律法の内容は神がやっている内容なわけで、神のやっている通りにやる すなわち律法を守ることがもっとも神の心にかなうことだとされたわけです。 洗礼者ヨハネは、自分はもう十分律法に沿った生き方をしていると自覚したものに洗礼という儀式を与えた。 イエスがヨハネの洗礼を受けたとき、「私の心にかなう者」と言われたと書いてありますでしょ? サタン 敵対者という意味です。または妨害する者。 例えばパウロ教は預言者を通してイスラエル人に与えられた律法のほとんどを否定していますよね。 神の心にかなおうとする人々の耳元で、「律法は守る必用が無いんだよ」とささやき、神の心にかなおうとするのを妨害するわけです。 つまり妨害するのでサタン。 そういう律法を守ろうとしない あるいは守る必用など無いと言い人々を神から離そうとするサタンと敵対させ、律法の隅々まで守り、神の心にかなう人になれとイエス作家は言っていたわけです。 律法のほとんどを否定したパウロ教は、イスラエル民族を神から離そうとするサタンなのです。 ただし、うちら日本人は関係ないです。 あれはイスラエル民族の憲法だから。 日本には優秀な憲法があります。 聖書を読むより憲法読んだ方が日本人としての自覚が沸きますよ。 イスラエル人が作ったのかもしれないという疑惑が多少ありますが。。。 orz

heygibson
質問者

お礼

ありがとうございます! 日本国憲法もいつかは目を通して見ます!

その他の回答 (6)

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.7

 勘違いしてはならないのは、イエスは律法学者と対立したのであって、決して法律を守らなければならないと主張したのではないでしょう。むしろ、その逆だと思います。  法律だけは守らなければならない としてしまっては、「法律さえ守れば何やってもOK」となり、かえって人間社会の混乱と、人間自身の苦しみを増す結果となります。  イエスは、『律法学者』と対立し、磔に掛かったのです。  むしろ、それまでの旧約のエホバに示されるような、契約と、それによってのみ成り立つ社会を否定したのです。

heygibson
質問者

お礼

ありがとうございます! 理解できました!

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.6

 イエスが本当にそう言ったのであれば、敵対ではなく、対立 という言葉のほうが適切であると思います。 http://www.catholicmeguro.org/osh710.htm

heygibson
質問者

お礼

ありがとうございます!

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.4

一つ目はすでに回答があるので省略。 二つ目。 マルコ10:34ですね。 そのあとを読むとこうあります。 === わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 === 創世記で、神が一人息子をいけにえにしろと言ったのとまさに同じく、全てを捨てて信仰のために仕えよ、と言っているのです。したがってそれを止めるものとの戦い、ということになります。

heygibson
質問者

お礼

なるほど ありがとうございます!

回答No.3

 こんにちは。    ★ 一つ目:マタイ福音書における「祭壇」やら「大司祭、司祭」やら  ☆ はすべて 昔からのユダヤ教の制度のものです。  イエスの主張は このユダヤ教の新しい一派だという受け取り方も はじめにはあったわけですが。  ★ 二つ目 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  作中に「(イエスが)私は平和をもたらしに来たのではない、敵対をもたらすのだ(と彼は言った)。」という記述が確かにあったのですが、これの真意をお教えくださらないでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ いろんな風に解釈できると思いますし そうすべきだとも考えますが そのひとつとして 次のようにとります。  ○ 《和を以って貴しと為す》のではないならば 誰がすき好んで波風を立てるだろうか。

heygibson
質問者

補足

ありがとうございます!! ユダヤ教のことだったのですね? 経緯を知らなかったもので…無知を悔います…。 2つめはなかなか理解できないです… ごめんなさい…

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

一つ目。 >これらの「教会」は何を奉った教会なのでしょうか? シナゴーグのことですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B0 どういう役割を果たしていたかは、上記リンクの通り。 二つ目 使徒信条にもあるとおり、イエスは人々を裁くためにやってきたとされます。 古代エジプトの死者の書では、人は死ぬとマアトの天秤に心臓がかけられ、10戒を含むもっと多い内容を「していません」と告白し、オシリスの支配する国に行くかどうか決定されるとされました。 平和をもたらしに来たのではなく、地上に火を放つためにやってきた というのは、火は浄化作用があるとされ、雑菌を焼き殺して、浄化するってことですね。 既にそれが済んでいたらどんなによかったか と残念な胸のうちを告白しており、また火を放ちに25800年後に来ますよ 内容です。 すぐ来る ではなく 今まさに放火しにきたってことですね。 そこ誤訳してます。将来来る ではなく 今まさにそれをやりに来て、今度は25800年後にまたやりに来るってなってますが、天文学上のことです。

heygibson
質問者

補足

ありがとうございます! シナゴーク…知りませんでした…ためになります! なるほど… 誤訳とは、日本語訳のことでしょうか?それとも私の解釈でしょうか?

  • vaidurya
  • ベストアンサー率45% (2714/5983)
回答No.1

基礎知識として、アブラハム一神教の流れに ユダヤ教の堕落からキリスト教が生まれ キリスト教の堕落からイスラームが生まれたという経緯があります。 ので、イエスの時代には、その地域の主たる宗教として ユダヤ教があり、イエス自身ユダヤ教から出発しています。 (ただイスラームにしろキリスト教にしろ、たぶんすべての宗教が、経典等に古い宗教の名称を使わないようですけどね) マタイ書とか読んでいませんが… この場合、ユダヤ教のラビとしてのイエスの発言として考えると 堕落に対しての敵対という解釈でいいような気がします。

heygibson
質問者

お礼

ありがとうございます! なるほどそういう経緯があったのか… 納得です! 2の方は…若干厳しいですね…

heygibson
質問者

補足

2の方もわかってきました! 補足とさせていただきますが、ありがとうございます!!

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