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叱られないと 勉強しない

stomachmanの回答

  • stomachman
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回答No.8

「AでないならばBでない」の対偶は「BならばA」。  しかし、「叱られないと勉強しない。」のどこに「ならば」が入ってます?つまりこの文章のまんまで形式的に対偶を作ることはそもそも不可能です。  普通の命題論理に乗せようとすると、文章の意味を保ったまま、ふたつの「命題」を「ならば」で繋いだ形式に言い換えなくちゃいけません。自然言語から命題論理への変換をやる必要があるわけです。(このような変換はたとえば「リンゴが2個あります。ひとつ食べたらのこりは幾つでしょう」を「2-1=」という式に変換し、答の1を「リンゴ1個」に逆変換する、そういう操作に相当します。) ●ではやってみましょう。 「叱られないと勉強しない。」は「叱られていないのに勉強している、ということはあり得ない。」という意味であり、(すなわち「叱られたって勉強しているとは限らない。」ということをも含んでいます)この点に留意すると、 「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」 という形式に変換しても意味は変わっていないでしょう。 するとその対偶は 「『勉強している』、ならば、『叱られた』。」 である。再び普通の言葉に戻すと、 「勉強しているなら、叱られたに違いない。」 これをこんどは論理式でやってみましょう。"¬"は否定、"∧"は「かつ」、"∨"は「または」"→"は「ならば」の記号を使って、命題論理で表すと、 (特に、A→B は、(¬A)∨Bとも、¬(A∧¬B)とも等価です。) S,Bをそれぞれ、S:『叱られた』、B:『勉強している』、という意味の命題とするとき (¬S)→(¬B):『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。すなわち (¬(¬S))∨(¬B):(『叱られた』のではない)のではないか、または、『勉強している』のではない。すなわち S∨(¬B):『叱られた』か、または、『勉強している』のではない。すなわち (¬B)∨S:『勉強している』のではないか、または、『叱られた』。すなわち B→S:『勉強している』ならば『叱られた』。 ●さて、(他のスレッドの回答にも書いたんですが)論理は人の弁論や推論のうちのごく一部分を取り出して形式化したものに過ぎませんから、扱えることが限られています。自然言語に含まれているいろんな推論をうまく取り込んだ論理体系(様相論理(modal logic))の研究は、まだまだ発展途上です。特に、時間経過や因果関係を扱う「時間論理」という分野は一筋縄ではいかないことが知られており、まだ決定版はないようです。  様相論理のうちで最も古典的かつ重要なのは、必然(□)と可能(◇)を区別する論理です。たとえば、□(¬A)は「Aでないことは必然である」という意味で、これは¬(◇A)つまり「Aであることは可能ではない」と等価です。¬◇(¬A)「Aでないことは可能ではない」は、□A「Aは必然だ」と等価です。この記号を使うと、普通の命題論理よりももうちょっと自然言語の雰囲気を表すことができます。  そこで「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」を様相論理で、わざと遠回りをしながら変形していってみましょう。 □((¬S)→(¬B)):(『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない)は必然である。すなわち ¬◇(¬((¬S)→(¬B))):((『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない)のではない)ことは可能ではない。すなわち ¬◇((¬S)∧B):(『叱られた』のではなく、かつ、『勉強している』)ということは可能ではない。言い換えれば「叱られたのではないのに勉強している、ということはあり得ない。」すなわち、 □¬((¬S)∧B):((『叱られた』のではなく、かつ、勉強している)ことはない)ことは必然である。すなわち □(S∨(¬B)):(『叱られた』か、または、『勉強している』のではない)ことは必然である。すなわち □((¬B)∨S):(『勉強している』のではないか、または、『叱られた』かである)ことは必然である。すなわち □(B→S):(『勉強している』、ならば、『叱られた』)ことは必然である。 言い換えれば「勉強しているなら、叱られたに違いない。」  これだと少しは雰囲気が出ていませんか?

adagio
質問者

お礼

stomachmanさん、いつもお世話になります。 > しかし、「叱られないと勉強しない。」のどこに「ならば」が入ってます? > つまりこの文章のまんまで形式的に対偶を作ることはそもそも不可能です。 「叱られないと勉強しない。」は、「叱られない ならば 勉強しない。」と 同等である、ということまで否定してるわけではありません。 > この点に留意すると、 > 「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」 > という形式に変換しても意味は変わっていないでしょう。 さりげなく書いておられますが、『叱られないと』ということばを「『叱られた』 のではない」というように過去形に変換していますよね?ポイントはここだと思い ます。「叱られなかった なら 勉強していない」という命題なら、「勉強してい るのは 叱られた(から)」という対偶を作ることに異論はありません。『叱られ ない』という日本語が、現在形にも過去形にも取れるために、対偶が2通り作れる ので矛盾が生じたと思うのですが、みなさまが書いておられるように、文意を正し く理解して対偶を作れば、「勉強しているなら、叱られたに違いない。」という対 偶のほうが正解であるということは、理解できるのです。それなら、『叱られない (Aでない)』を『叱られる(Aである)』と形式的に変換してはいけないという ことなので、教科書の書き方に疑問を持ったということなのです。 おかげで、ずいぶんすっきりしてきました。わたしの理解不十分なところを、まだ 教えてあげようという方もいらっしゃるかと思いますが、これにて締めさせていた だきます。ありがとうございました。

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