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仏教の三宝・三蔵について
曹洞宗系の大学なので、宗教学で仏教について勉強しています。 試験で、三宝(仏・法・僧)、三蔵(経・律・論)についての論述問題が出題されるのですが、うまく説明できません。 どなたか仏教について詳しい方がいらっしゃいましたら、教えて頂けますでしょうか?
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>三宝(仏・法・僧) 仏・・・「仏陀」の略。多くの宗派では「仏陀」は釈迦一人を指しているが、悟りを得た人を意味する場合もある。この場合は「阿羅漢」などと別の呼び方をされる。 しかし、一般的には、釈迦と同じ位のレベルに達した者などを「仏陀」と呼んだりもしている。 また、近年、仏教が欧米などに普及されるようになり、「禅」や「マニ教」の影響を受けて「ニューエイジ」と呼ばれる宗教哲学的発展の中では「光明」を得た者を「仏陀」と呼ぶようにもなった。 法・・・「仏法」の略。人倫道徳を支配するもので、人間が生活する上での「秩序」と考えられ、人間の日々の日課も「法」と呼ばれた。 また、「真理」を表す「法(仏法)」は、古い経典では「法をみるものは我をみる。我をみるものは法をみる」と説かれ、「仏(仏陀)」と同じように悟りをひらいたもの、と考えられ、「仏法」は「説教」として説かれるという意味では「教法」である。 この「真理」としての「法」を具体的な釈迦の教えでいうと、「諸行無常」「諸行無我」「涅槃寂静」の「三法印」といわれるもので、「無明」「行」「識」「名色」「六処」「触」「受」「愛」「取」「有」「生」「老死」の十二の縁起の「法」で、これを「中道」といい、仏陀の説かれた「苦」「集」「滅」「道」の「四諦」から、分かりやすく分類していったもので、釈尊の悟った「真理の中の真理」といわれ、邪法ではないという意味から「正法(妙法)」と呼ばれている。 ロシアの仏教学者ツェルバッキイは、「法」を次のようにまとめている。 1.「真理」の意味を中心とする一群。仏教の「教義」「教法」「法則」などの意味を持つ。 2.「存在」の意味を中心とする一群。「存在するもの」という意味であり、存在の「性質」「徳性」さらには、「具体的な存在」を構成している「実態的要素」なども含めての意味。 僧・・・「僧伽(そうぎゃ)」の略。「集団」「集会」を意味し、仏門に入る時の「仏」と「法」に次ぐもの・・・つまり、「三帰依」の対象となる「僧」となること。 「僧」は仏陀の教えを実行し、その教えが真実であることを世間に示し、あわせて、弟子を教育し教法を次代に伝えることを義務付けている。 「三宝」のまとめ: 聖徳太子の憲法17条の第2に「篤く三宝を敬え」とあり、具体的には「仏像」や「塔」「経典」「儀礼」「僧侶」など、仏教で尊重されるべきものの総称を「三宝」と呼ぶ。 >>三蔵(経・律・論) 経・・・さまざまな分野での規範。 仏教においては、「仏」や「聖者」の言行や教えを文章としてまとめたものを指す。 律・・・「戒律」の略でもあり「律」そのものでもある。 「戒」とは、自発的に行うべき修行の心得。 「五戒」「八齋」「菩薩戒」「十重禁戒」「十三僧残」「三聚浄戒」などがあり、在家僧侶は100戒を比丘(出家男性僧侶)は250戒、比丘尼(出家女性僧侶)は350戒を守ることが義務付けられている。 「律」とは、修行僧の守るべき規則。また、教団として守るべき集団規則でもある。 戒を破っても「罰」は受けないが、「律」を破ると罪の内容により「罰」を受ける。 例えば、波羅夷罪(はらいざい)としては、次のような「罪」がありますが、僧団を追放されたりしました。 1.婬戒(いんかい) 相手が異性であれ同性であれ、または動物であろうと、あらゆる種類の性交渉を行えば波羅夷。性交の部位が性器以外の、肛門・口などいずれであろうとも波羅夷となる。ただちに比丘としての資格は消滅し、僧団から追放される。 ただし例外として、婬戒を犯してもすぐに後悔の念がおこり、それを隠すことなく僧伽に告白・懺悔したならば、もちろん比丘ではなくなるが、僧伽と本人の意思次第で沙弥または寺男・浄人として僧団内に残留することが可能ではある。これを「波羅夷比丘(はらいびく)」という。 2.盗戒(とうかい) 町や村または修行所において、いまだ与えられていない物を、盗心をもって盗れば波羅夷。ただちに比丘としての資格は消滅し、僧団から追放される。ただし、盗んだ物の価値が五銭以上のものの場合。五銭以下の場合は、もちろん犯戒ではあるが波羅夷とはならず、追放処分とはならない。 3.殺人戒(せつにんかい) 人を意図的にみずから殺害、またはそのための凶器を他者に渡して人を殺害させれば波羅夷。また、死を賞讃して人に自殺を勧め、その方法や手段を教授して実際にその人が自殺しても波羅夷である。ただし、意図せずしてなんらかの事故を起こし、結果的に人が死に至った場合は無罪である。 4.大妄語戒(だいもうごかい) いまだ到達してもいない境地に到ったと虚言をはけば波羅夷。例えば「私は佛陀となった」「私は阿羅漢である」「私は聖者、賢者の境地に到達した」などという類の虚言。ただし、その人が増上慢[ぞうじょうまん:未熟であるにもかかわらず、自分を過信して思い上がること。自らの境涯が高いものであると過信し増長すること]の状態であったと僧伽が認めたならば、波羅夷とはならない。 また、僧残罪としては、例えば、以下のようなものがありますが、僧籍剥奪などの「罰」が科せられました。 1.故出精戒(こしゅっしょうかい) 比丘が自慰行為、いわゆるマスターベーションを行って射精にいたれば僧残である。ただし、夢精は無罪である。 2.摩触女人戒(ましょくにょにんかい) 比丘が欲情の心をもって、女性の身体や手、髪またはその他の部位に触れれば僧残である。 欲情の心をもって、との前置きがあるが、基本的に女性に触れるのは罪である。もちろん不可抗力による場合や、なんらか火急を要する事態での場合は例外となる。 3.与女人麁語戒(よにょにんそごかい) 比丘が欲情の心をもって、女性に対し、性器や性行為に関する淫らな言葉を発すれば僧残である。淫らな言葉一語につき一回、僧残を犯すことになるため、多くの淫らな言葉を発した場合、別住期間は長大なものとなり、出罪がさらに困難となる。 欲情の心をもって、との前置きがあるが、そもそも出家者が淫らな言葉を発することなどあってはならない。不可抗力によってなどとという場合も考えられないため、淫らな言葉を発すれば僧残である。 (以下略) もともと、「戒」と「律」は異なっていましたが、やがて、「戒律」として合体した教えになっています。 論・・・Upadesaという原語を音訳して「優婆堤舎(うばだいしゃ)とも呼ばれる。若い弟子が経典の意味を習う時、その意義や重要な綱目などを解説したり解釈を注釈として記したもの。 少しでもお役に立てれば・・・。
お礼
分かりやすい解説をありがとうございます。 とても助かりました。参考にさせていただきます。