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日本におけるハイデッガー問題
ハイデッガー問題というのは、ファリアスが『ハイデッガーとナチズム』の中で暴露した、ドイツの哲学者ハイデッガーとナチスドイツとの関係のことを指す。要するに、哲学や文学にしか通じていない人物が、政治権力との関係を打ち立てようとして失敗する話である。 日本の場合、西田幾多郎の弟子で京都学派の哲学者・高坂正顕が「期待される人間像」の中で展開した、学生や若者などがどうあるべきかということを述べた文章が、これに相当するように思われる。 私はこのテキストの存在を、現役の哲学者だった廣松渉と、同じく作家の大江健三郎の文章で知った。そのことで、評価するものや批判者たちが、日本のハイデッガーに対するハイデッガー的人間として、戦後日本の思想界や文壇などにいるということを意識していたのである。 しかし、高坂などは京大の人文科学研究所にいたということ以外に何の取り柄もなかった人物で、もはや趣味にでも生きるしか能のない人物である。 そして、自分がこのことを日本の問題として改めて提起するのは、この種の旧帝大の中で落ちこぼれた人間が、渡米すれば成功できるだの、地方に行けばそれなりのものとして通用するなどといった楽観主義に立ち、いつまでも期待される人間でい続けるということが、ニートなどの温床になっていると思うからである。 若い人たちの雇用などが政治問題化されるというのもこうした経緯があるからで、突然わき起こったわけではない。 そういうわけで、日本版のハイデッガーたちは、ニート状態から経済的成功へという閉塞状況を生きざるを得ない状態に置かれている。このことは、就職氷河期から現在のニート問題が発生するに至る、日本におけるハイデッガー問題の結果であるように思われる。
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- seinnzeit
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ハイデッガーとナチスの関係がどうして日本のニートの問題にすり替わるのかさっぱりわかりませんが、 哲学が政治と深く関わっているということは、ソクラテスやプラトンの「国家」、アリストテレスの「二コマコス倫理学」の例を出すまでもなく明らかでしょう。 近代で言えば、ホッブズ、ロック、ルソー、ヒューム、カント、へーゲル・・・政治に根本的に関わってない哲学者を探すほうが難しいでしょう。
補足
日本には、西洋の古典的な哲学者に相当する人物はいなかった、というのがご回答の内容であるとすれば、日本人の哲学者の中で、そういう人はいなかったのか、というのが私の発した問いだと思います。西田幾多郎とその一派はそうではないのか。特に、学生や若者を狙った啓蒙活動につなげることで、日本で失業状態にある者から、労働者や兵士などを育てようとしなかっただろうか。このようなことを、問題視しているのです。