• ベストアンサー

現代文明(西洋的な部分)の理解と日本語と英語以外

現代の文明の理解(西洋的な部分)には、日本語と英語だけだと理解できないように思えます。 現代のビジネス用語は英語が原語かもしれないですけど、哲学など特に近代ではドイツ語ですね。 「ドイツ観念論」って和訳でそれを知っているのでいいのかなど。 哲学など中心にドイツ語あるいは現代思想のフランス語、ギリシャ語などのように。 言語の習得の問題がありますけど、何語が必要で重要になるのでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.5

みなさんが言われるように、まずは母国語でしょうね。 言語学者サピアと人類学者ウオォーフは言ったそうです。「我々はみな自分の用いる言語によってがんじがらめに拘束されている」(=サピア・ウォーフの仮説)、と。つまり、我々の思考や行動は自分の持つ言語(能力)に縛られており、それに左右され決定づけられる、ということのようです。 極端な単純化をするかも知れませんが、例えば、「語彙力1万語の人と2万語の人とでは、頭脳労働の能力が2倍違う」、ということになる、のだと考えてみれば分かりやすいと思います。 ということで、「自分の持つ言語能力」は、想像を絶するほどに広く深く自分自身の生活に影響を与える、と言えるでしょう。特に、「分析力・判断力・応用能力」などの点では、言語能力の差が如実に現れるのだと思います。 次に外国語ですが、外国語学習には、実用・教養・思考力錬成の3つの意義(ないし目的)があると思います。このうち教養・思考力に関してはどの言語を選んでも大差ないと思いますが、実用に関してはどの言語を学ぶかでかなり違いが出てきますね。この際英語は特別ですので、除外して考えますが、 (1)哲学や社会学などの学問を重視するならドイツ語がお勧めです。 (2)文学や芸術などを重視するならフランス語がお勧めです。 (3)経済や交易関係などを重視するならスペイン語(や中国語)がお勧めです。 これに個人的な好み、その他の条件を加味して勘案することになりますが、特にスペイン語と中国語の比較では、地理上の距離や母国語との関係などが大きな条件要素となるかも知れませんね。 なお、経済学の用語「限界効用逓減の法則」(どのくらいのエネルギーを注ぎ込んだら、最大効果が得られるか)を外国語の学習数にあてはめて考えると、最適値は2.5くらいだそうです。つまり、外国語は2か国語か3か国語を学習するのがよい、ということのようです。そこで、英語でまず1つ、上の(1)~(3)から1つえらんで学習した上で、気が向いたらもう1つ学習するのが、最適な外国語学習数でしょう、ということになりそうです。(私は昔、こういうことを知らずに5か国語も挑戦してしまいましたので、すべていい加減で、中途半端でした!)

noname#209756
質問者

お礼

ありがとうございます。 >(1)哲学や社会学などの学問を重視するならドイツ語がお勧めです。 (2)文学や芸術などを重視するならフランス語がお勧めです。 (3)経済や交易関係などを重視するならスペイン語(や中国語)がお勧めです。 なんですね。限界効用の話は聞いて忘れてました。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.4

どの言語であれ論理学において、最終的には概念は明確な 定義に基づく記号化され、文章は演算可能な論理式に還元 されるので、基になる言語は関係ありません。 多少、ドイツ語が日本語よりロジカルだといっても、それ から先の長い道のりに比べれば、微々たる違いです。 そうした日常レベルの概念による詩的なエッセイを「哲学」 と称する場合にのみ、その差異は影響するが。

noname#209756
質問者

お礼

>そうした日常レベルの概念による詩的なエッセイを「哲学」 と称する場合にのみ、その差異は影響するが。 なるほどです。 そのレベルで特に大きく変わるのかもしれません。 ご回答ありがとうございます。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

>「ドイツ観念論」って和訳でそれを知っているのでいいのかなど。 どこまで理解するのかで違ってきます。 翻訳する際には翻訳した人の解釈や持っている語彙によって変わってきます。 文学の世界で翻訳した人毎の作品が沢山あるのはこの為です。 >何語が必要で重要になるのでしょう? どの分野で何をどの程度理解しようとされるのかで違ってきます。 人間は言葉で考えて、言葉で表現します。 この言葉(単語)と言いますのは、具体的な事物や概念がないと作られません。 具体的で身近な例が現在の日本語です。 現在使われている現代文の言葉(単語)は明治以降に創作されたものだということを御存知でしょうか。 明治になって海外の制度を導入したり文献を翻訳する必要が生じました。 当時日本にはなかった制度や概念を翻訳するのには新しく言葉(単語)を創る必要がありました。 結果として沢山の言葉(単語)が創られて現在も使われています。 和製漢語と呼ばれます。 学校の科目の名前などがその例の一つです。(化学、物理、数学) 如何に沢山の言葉が作られたか下記のサイトをご覧下さい。 和製漢語 - Biglobe www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/kanji/waseikango.htm カテゴリ:和製漢語 - ウィクショナリー日本語版 - Wiktionary ja.wiktionary.org/wiki/カテゴリ:和製漢語 この和製漢語はもともと日本にはなかった言葉ですから、言葉の定義も元の外国語の定義がそのままあてはめられました。 宗教、哲学という言葉の定義も外国語の定義がそのまま流用されています。 日本人は無宗教だ、などという際には、外国語の定義に合致したものを持っていない、ということですので注意してください。 江戸時代までは信心という言葉で語られていました。 信心であれば今でもあるのではありませんか。 初詣にいくのは宗教ですか? 交通安全のお守りは宗教ですか? 受験生が天神様にお詣りするのは宗教ですか? このようなことは明治時代が初めてではありません。 漢字が渡来してきたときにも同じことが起きました。 中国語である漢字や文章をやまと言葉で読むということもやってのけました。 漢文の訓読と呼ばれる方法がこれです。 熟語として沢山の中国語が日本に定着しました。 「自由」という言葉をどのようにお考えでしょうか。 freedomと libertyの違いが説明できますでしょうか。 (英語を母国語とする人は区別して使っています) 江戸時代までは「自由」という言葉は現在とは全く違う意味で使われていました。 現在も仏教では日常とは違う使い方がされています。 このように日本語として取り入れられた結果独自の解釈が加わったり時代によって変わることがあります。 このようなことは日本だけではなく世界中で起きています。 その国に具体的な事物や概念がなければ言葉がありませんから翻訳することが出来ません。 最近の日本ブームで、すし、たたみ、うまみ、などと日本語がそのまま外国で使われるようになったのはこのためです。 日本では和製漢語を創りましたが、欧米では自国語読みで読んだり、自国語のスペルに書き変えたりしました。 ヨーロッパの言語はもともと全体を支配していたローマの言葉が数多く残っています。いわゆるラテン語と呼ばれるものです。 英語にせよフランス語にせよドイツ語にせよ大学などの語学を扱う学科ではラテン語の勉強が推奨されています。 新約聖書もキリストが使っていたであろうと考えられている言葉で書き残されたものがありません。 後世ギリシャ語で書かれたものが現在の原本となっています。 このギリシャ語で書かれたものを各国の言葉に翻訳して使われています。 つまり、聖書を勉強しようとしてギリシャ語まで遡ってもまだダメだとも言えます。 何はともあれ、基本となる日本語と身近な英語を勉強してください。 言葉を知れば知るほど自ずと理解が深まります。 お読みになられた「ドイツ観念論」も翻訳者が異なるものを読んでみてください。 英語が堪能になられたら英文もものも読んでみてください。 原語を知らなくても著者の意図は理解できるようになります。

noname#209756
質問者

お礼

>翻訳する際には翻訳した人の解釈や持っている語彙によって変わってきます。 まさにそういうことなのでしょう。それを研究する分野もありますよね。 >後世ギリシャ語で書かれたものが現在の原本となっています。 知らなかったです。 >freedomと libertyの違いが説明できますでしょうか。 外国語を勉強する意味ってここにあるのかと。 くわしくご解説いただきありがとうございます。

回答No.2

>何語が必要で重要になるのでしょう? 母国語である日本語です。 ほとんど日本人の場合、母国語の言語空間が外国語のそれの上位集合(Super set)になります。 母国語が貧弱な言語の場合は、外国語を習得することで言語空間を拡張することになりますが、日本語は明治以来に造語努力をし続けた結果、広範囲の言語空間をカバーすることができます。 たとえば、Aufhebenに相当する日本語はもともと無かったが、明治の先達が止揚という日本語を造語することで日本語の言語空間を拡張してくれました。 同じくCommunismに相当する日本語もなかったが、共産主義という造語によって、日本語の言語空間によって論ずることができるようになりました。 この恩恵を受けている現代日本人(および朝鮮人、中国人)は、それぞれの母国語で十分に西洋哲学を理解する事が出来るようになった訳です。 まずは、日本語を徹底的に学習し、その言語空間の外側にある外来語に遭遇した時には、外国語の辞書を読みながら日本語で解釈すれば十分と思います。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

"言語の習得の問題がありますけど、何語が必要で重要になるのでしょう? "    ↑ 日本語です。 言語の機能は、意思伝達だけではありません。 抽象的、複雑な思索は言語でやるのです。 だから、母国語に習熟していないと、満足な 思索は出来ません。 母国語並に外国語に習熟するなど、非常に難しいわけです。 一部の限られた人だけです。 そんなことが出来るのは。 なら、母国語に習熟する方が現実的、というものです。 また、筋金入りのクリスチャンでないと、西洋哲学を 本当に理解することは出来ない、と指摘する人も おります。 頭では理解できても、それが感情など、人間の骨髄まで 達することが出来ないのです。 筋金入りのクリスチャンになったら、今度は日本人と しての情感が失われるでしょう。 日本人は日本人として、哲学を理解する他ないと 思います。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう