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複文の分類法の学校文法と学者の意見の違いについて
学校で学ぶ国語文法にはいろいろな問題があることを学びました。 (たとえば日本語は「主語」と「述語」からなると教わりましたが、日本語に「主語」はないという学者もいますよね) 今、複文について整理しているのですが、学校文法では英語の文の分類(単文か複文か)方法をそのまま適用して、日本語の文も分類しているため、不都合なこともあるようです。 たとえば、「象は鼻が長い」という文は学校文法では複文になるそうです(文のある部分が節でできているため)。この「象は鼻が長い」は複文ではなく単文だ、と主張している学者はいますか?? もしいたら、どういう理由でそのように主張しているのか、教えてください。 よろしくお願いします。
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- Piedpiping
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回答ではなく、補足要求ですが。 私も学校文法には批判的ではありますけど、中学生や高校生に最新の言語学・日本語学の成果をそのままぶつけるのは無理だろうと思って、ある程度は仕方がないと思っています。しかし、 >「象は鼻が長い」という文は学校文法では複文になるそうです(文のある部分が節でできているため)。 というのは聞いたことがない。もしこれが複文なら、 今日は天気がいい。 冷蔵庫の中にはビールがある。 お好み焼きは広島(大阪)が本場だ。 これらが全部、複文になってしまう。そんな馬鹿なことを言う人がいるとは信じがたい。 複文(あるいは重文も)かどうかは、文のある部分が節でできている、ではなく、主語と述語のペアがいくつあるか、で決まるはず。 私としては、「象は鼻が長い」は複文だという人の顔を見たい。 というわけで、補足要求は 「そんなことを言うヤツはどこのどいつだ」 ちなみに、 先生は太郎に校庭を走らせた。 僕は雨に降られた。 という文なら、複文の可能性があります。 [先生は [太郎に校庭を走r] aせた] (主語「先生」と述語「aせる」と、主語「太郎」と述語「走る」のペアで複文) [僕は [雨に降r] aれた] (主語「僕」と述語「aれる」と、主語「雨」と述語「降る」のペアで複文) もちろん、これはあくまで可能な分析のひとつに過ぎず、単文であるという人もいて、論争があります。
補足
「象は鼻が長い」や「私が登ったのは富士山です」は学校文法では複文に分類されるが、それに異を唱える学者がいると『新しい日本語学入門』(スリーエー出版)という本で書かれていました。私もどうして「象は鼻が長い」が学校文法では複文に分類されるのかがよくわからずに質問させていただきました。 構文を研究する学者がたくさんいて、それぞれ複文について、また複文の分類についての方法が異なっていて、どういうものが複文なのかがよくわからなくなってしまいました。。。 ご存じな部分がありましたら、どうぞ教えてください。 よろしくおねがいします。